7.バイアン
「誰でありますか! いったいそれは誰なのでありますか! まやちゃんをひどい目に逢わせたバイアン! 許せないのであります! ホンカンは直ちに逮捕するのであります! 憎っきバイアン! どこに隠れている! 出てこい! さあ出てこい! このホンカンが、お縄に……」
人一倍大きな声で喚く河西巡査の頭を、猫屋敷は「うるさいっす」と言って叩いた。
ミカンちゃんは不安そうに丸くなる。
「摩耶さんには、すでに伝えてあるわ。彼女、私から皆さんに説明してほしいって頼んだの」
メンバーたちは「まやちゃんが?」と首をかしげた。
「ええ、摩耶さん、犯人を知って安堵してたわ」
メンバーは、さらに首をかしげた。
「順を追って説明しましょうか。摩耶さんが、レッスン中に、ふらつき、発熱し、皮膚が黄色くなったのは、溶血性貧血を起こしたからなの」
「溶血性貧血?」
「ええ、血液中の赤血球が破壊されると、赤血球に含まれる色素、ヘモグロビンが、ヘムとグロビンに分解される。ヘムは、黄色いビリルビンに還元され、黄疸になる。貧血、倦怠感、発熱、黄疸、これらは溶血性貧血の症状ね。急激にビリルビンなどの血中濃度が上昇し、腎不全を起こしたのね」
「でも、どうして突然?」
「ええ、摩耶さんのお父様って、スペイン系でしたよね。それで、彼女の遺伝子を調べてみたら、摩耶さん、グルコース-6-リン酸脱水素酵素欠損症を持ってたの。これは、遺伝子疾患の一つとされてるけど、疾患と呼ぶには適切ではないわね。これを持つとマラリアに抵抗性を持ち、感染症に強くなるから……。アフリカや地中海沿岸では珍しくないけど、日本人には、ほとんどみられない」
猫屋敷の頭の中はショートを起こしはじめ、目から生気が失われていく。
「それでは、犯人をご紹介しましょう」
早乙女は窓から外に出る。皆、その後をついて行った。
芝生を歩き、プールの横を通って、三十坪ほどの緑美しい菜園に着く。ナスの実がなり、可愛らしい花が咲いている。
早乙女は畑に足を踏み入れ、ある植物の前で止まった。
「これが、今回の毒殺未遂の犯人です」
「え、こ、これは枝豆?」とミカンちゃん。
「違う、そら豆……」と藤原。
「豆すか! 豆が犯人なんすか!」と猫屋敷
「……前の晩に食った、てんぷらか?」とサーラ。
「ええ、摩耶さんは、『そら豆中毒』を起こしたのね。そら豆に含まれるビシン、そしてコンビシンは、過酸化水素の活性酸素を作り出す。そら豆は、ほとんどの人にとっては無害なんだけど、グルコース-6-リン酸脱水素酵素が欠損していると、この過酸化水素を中和できなくって、過酸化水素は赤血球を攻撃して破壊して、溶血性貧血を起こすの」
「え、でも、食べたの、前の晩だろ、どうして次の日になって、いきなり……」とサーラ。
「そうね。もう少し正確に言うと、中毒を起こすのは、食べたあと、ビシンとコンビシンが大腸まで到達して、腸内細菌で加水分解された、ジビシンとイソウラミルなの。腸の長さや、蠕動速度によって、中毒が発現する時間は異なるわ。摩耶さんはそれが、ちょうど、レッスン中だったのね」
藤原が、拳で掌をトンと叩いた。
「……昔、ピタゴラスは、そら豆を食べるな、と言った……。アリストテレスは、その理由を考えた……。ひとつ、そら豆がキンタマの形に似ているから……、ふたつ、割れ目が、地獄の門に似ているから……、みっつ、腐りやすいから……、よっつ、宇宙の本質に似ているから……、いつつ、少数独裁政治を思い起こさせるから……」
それを聞き、サーラは頭をひねった。
「……ただ、食中毒、起こすからじゃね?」
河西は「今、キンタマと言ったでありますか! まさか! 姫の口から出たのは、キンタマでありますか! ホンカンの聞き間違いでありますか!」と戦慄いている。
「なんで医者は分かんなかったんだ?」とサーラ。
「そうだよ、そうだよ」と中川。
「あ! そうであります! やはり藪医者だったのであります!」
「お医者さんのことわざに、『蹄の音を聞いたら馬だと思え、シマウマと思うな』って言うのがあるわ。ありそうな病気から疑うのは当然ね。日本で、グルコース-6-リン酸脱水素酵素欠損症を持つ人なんて、0.1%だし、そら豆中毒なんてまず起こらない。血中グルタチオン量を測定していれば、早く判明したかもしれないけど、あの病院の臨床検査項目には、それはなかった。そら豆は、普通の人にとっては、毒でも何でもないしね。……まあ、あまり、お医者さんを責めないであげて」
メンバーたちは尊敬のまなざしで早乙女を見つめる。
そして「はい!」と大きな声で答えた。
ふと中川が言った。
「もしかして、まやさん、てんぷら、お代わりしなければ、酷くならなかったかも……」
「そういや、初めて食ったって感動して、そればっか食ってたな」
ミカンちゃんは、しみじみ遠くの空を見あげた。
「食べ過ぎって、いけへん時も、あるんやね」
犯人が、番組のアイデアを盗用されたと主張したのは、『ガラスハウス』は過去の海外番組をもとに製作されていたため、言いがかりに等しいものであった。
犯行を教唆したのは、恨みを持つ人間を煽って楽しむ、愉快犯だった。
二人は警察の取り調べで、コッテリと搾られている。
警視庁、休憩室。
テレビの前には、不可能犯罪係や、手の空いた捜査一課の面々が、多数集まっていた。早乙女は立ったまま腕を組み、猫屋敷は楽しそうに、わくわくしていた。
コマーシャルが終わると、緊張感のある音楽と共に、番組が始まる。
『ガラスハウス(特別編)!! 美少女危機一髪! 犯人逮捕の決定的瞬間24時!』
ゴールデンタイムの二時間スペシャル。
『ジャンブル・ガールズ』の私生活を追うとともに、脅迫状やSNSでの中傷を紹介していく。
並行して、カメラが捜査官に密着取材する。
「あっ! あれ、山さんですよね!」
「お、俺だ」
捜査員たちは和気あいあいとテレビに見入る。
そして、エロチックな音楽と共に、早乙女が登場した。顔にはモザイクがかけられている。
テロップに『謎の美人刑事!』と流れ、その後さらに『素顔はひ・み・つ♡』と流れる。
早乙女は、あんぐり口をあけ、猫屋敷は嬉しそうに手を叩いた。
「あ、係長っすよ! 後ろの、俺っす!」
『はたして、この超絶美女の正体やいかに、女神か、はたまた、救国のジャンヌ・ダルクか……』と渋い声のナレーション。そして『ああんっ』と女性ボイスの効果音。
捜査員たちが早乙女に目を向け、「ヒューヒュー」と口を鳴らして喜ぶ。
刑事部長の谷垣が早乙女の横に立った。
早乙女は当惑の声をもらした。
「……なんです?……、これ……」
テレビに顔を向けている谷垣は、早乙女に同情しているようだった。
「ああ、番組プロデューサーが悪ノリしたと聞いている」
「止めなかったんですか……」
「警視総監が大ノリ気だったからな……」
テレビの中で、河西巡査がインタヴューを受け、「一緒に働けて幸せであります! ここは天国であります!」と敬礼している。
シーンの端々には、警察官募集のポスターが映りこんでいた。
「……君が喜ぶと思ったらしい……」と谷垣。
早乙女は眉間にしわを寄せ、コメカミを押さえた。
ちなみに、クライマックス、大捕物の反響は凄まじいもので、その視聴率は記録的な数字となった。
時は流れ、ある日。
退院した花岡摩耶を含め、『ジャンブル・ガールズ』のメンバー五人が、不可能犯罪係の部屋に、「おねーさまー」「姉御ぉ」と黄色い声を挙げて、雪崩れ込んで来た。
金魚のフンのように付いて来た若い警官たちは、大きなガラス窓の外から中を覗いている。
早乙女は目を見開いた。
彼女たちは全員、スカートの女性警官姿だった。




