龍の習性
(馬車の中 リゼリア視点)
楽しい旅だと思っていた今朝の私を叱ってやりたい。
お祖父さまに、きちんとお話をしておくべきだった。
お祖父さまは、遅れた騎士を軟弱呼ばわりしていたというのに。
「全員、急げ。遅れたものは置いていく」
と、馬車の外でそんな声がした。
お祖父様がローゼンベルク伯爵家に来た時も、これと同じなのかな?
呑気にそんな事を考えていたら、軍馬の蹄の音がどどっと響いてくる。
そして。
爆走しています。凄い速さで走っています。
必死で椅子に掴まっていても、全身が飛び出しそうになります。
揺れるなんて生易しいものではありません。
上下左右に揺さぶられて、気持ちが悪くて。
吐けるものはとっくに吐き出しています。
胃液すら出ないのに、気持ちが悪くて、ベッドに倒れ込んでいます。
ベッドは必要でした。切実に!
何でこんなに急ぐ必要があるのでしょう。三百人も騎士がいるのですよ。
襲われる心配なんてない筈です。
グラグラ揺れるベッドで文句を呟いたら、ニルが姿を現した。
どこに行っていたんだか。馬車が爆走するなり消えてしまったニル。
もしかして自分だけ、乗り物酔いを避けた?
「何を考えているか判るけれどね。ほら精霊界の桃だ。約束しただろう?」
「そんなの、食べられる筈ないでしょう!」
怒鳴りたいのに声も出ない。
ニルは器用に爪を使って桃を剥くと小さな欠片を私の口に持ってきた。
無理だと言おうとしたけど、その隙に桃の欠片が滑り込み
そのまま飲み込んでしまった。
美味しい。それに気持ち悪さが収まってくる。
私は思わず口を開けて桃をせがんだ。
ニルはクスリと笑うと次々に桃の欠片を口に入れてくれた。
食べるというより飲むと言う方が近い。
桃が喉を通るたびに、
清涼な気配が私を包み、気分がみるみる良くなっていった。
「ほら、ちゃんと食べないと汁がこぼれているよ」
そう言うなりニルはペロリと口の端にこぼれた汁を舐め取った。
思わず文句を言いそうになったけど、口を開けると桃が転がりこんでくる。
上手に飲み込めないでこぼすと、ニルが舐め取る。
その繰り返しでいつの間にか、すっかり気分が良くなっている。
しかも、これだけ爆走している馬車の中だというのに、眠くなってきた。
「眠りなさいリゼ。次に起きた時は侯爵邸だよ」
私はいやいやをするように頭をもたげて、セーラたちを見た。
二人ともぐったりしている。
ニル頷いて二人の手に桃を置いてあげる
二人は、すぐに桃を食べ始めた。
私の顔色が戻ってきたのを、見ていたのだろう。
ニルはそっと笑うと、もう一つづづ桃を手渡して、私の所に戻って来た。
それを見て私はようやく安心して眠りについた。
眠るとき、私は誰かの温かい腕に抱かれているように感じていた。
(馬車の中。神龍ニルヴァ視点)
ニルヴァは心が安らかだった。何しろリゼリアを抱きかかえている。
元々龍は番への愛着が深い。
ただリゼリアがあまりに幼体であるために、自制しているにすぎない。
アルヴィス侯爵の脅しにも唯々諾々と従うのも、理が侯爵にある故だ。
せめて15歳になれば花嫁に迎えられるのに。
まぁ、待つのも悪くはない。元々寿命も長いのだ。
それに桃に吸い付くリゼリアは愛らしかった。
番に給餌するのは龍の習性。
今回はリゼの乗り物酔いの治癒という名目がたった。
だから龍の習性を満たすことも出来たのだ。
花嫁に向かえたら、リゼの食事は自分が手ずから与えてやるのにとニルヴァは思う。
それまでは、自分はニルでいるしかないのだ。
(アルヴィス侯爵邸 リゼリア視点)
目が覚めた時、私はしばらくどこにいるのか分からなかった。
柔らかいレースの天蓋付きのベッド。
窓からそよ風が吹き抜けて窓辺のカーテンを揺らしている。
どこまでも柔らかい曲線を描く家具。
「ここは……」
「姫様、お眼ざめですか?」
セーラがにこやかに声をかけてくれる。
「こちらは姫様のお部屋ですよ。奥方様が急いでご用意されたもので、
気に入ると良いのですが」
ノーラもにこやかに説明してくれた。
「よろしければ奥方様がおまちかねです」
そう言われて私はあわてて飛び起きた。
「おばあ様がお待ちなの?すぐに行くわ」
なんという事だろう。
私ときたら眠ってしまって、まだご挨拶もしていないのだ。
無作法だとお怒りだろうか?
ドキドキしながら、おばさまの部屋へ。
ご挨拶をしようとしたら、おばあさまが飛びつくようにやって来て
私を抱きしめてくださった。
「リゼ。お帰りなさい。待っていたわ」
顔をあげると、おばあさまが笑っている。お母さまにそっくりな笑顔で。
「おばあさま」
「ええ、あなたの祖母よ、会いたかったわリゼ
ちゃんと顔をみせて。よく頑張ったわね。
もう大丈夫よ。いい子ね。」
そういって何度も私を抱きしめてくださる。
どうしよう。きちんと挨拶しなきゃ。
私は貴族の娘なのだから。そう思うのに、涙が止まらない。
「我慢しなくていいの。泣きたければ泣いていいのよリゼ
わたしの可愛い子。」
私の可愛い子。お母さまがよくそう言ってくださった。
思い出したら止まらなかった。
「うわーん わーん えーん」
私は大声を上げて幼い子どものように泣いてしまった。
どれだけ泣いてもおばあさまは、ただ優しく背中を撫でてくれた。
小さな子供をあやすように。
ニルが部屋をでるとアルヴィス侯爵がいた。
「どこに行くつもりだ」
ニルヴァはとっくに人化していたが、そのまま龍の姿に戻りそうな気配であった。
「止めるなよ。あいつら皆殺しにしてやる」
「誓約があるだろう」
「そんなもの!」
「忘れるな!仇は人の法で裁く」
「それに好き勝手に虐殺すれば、リゼリアは許さんだろうなぁ。番に嫌われてもよいのか?」
ニルヴァが壁を殴りつけて、粉塵が飛び散ったが、アルヴィス侯爵は涼しい顔だ。
「ちょっと王都まで、私を運んでくれんか?」
「はぁー?龍神を乗り物扱いする気か!」
「急いでリゼリアを養女にせねばならん。きゃつらを始末したければな」
「ふん!」
そのまま二人の姿はアルヴィス侯爵邸から消えた。
夕食の前に、リゼリアはアルヴィス侯爵夫妻に呼ばれた。
「お祖父様。おばあさま。どうされましたか?」
アルヴィス侯爵は黙って一枚の書類をリゼリアに差し出した。
そこにはリゼリア・フォン・アルヴィス侯爵令嬢と書かれている。
「私は侯爵家の養女になったのですか?でもどうやって?」
確かに生家が合意しなければ養子に入れる訳がないのだ。
「そなたの父は、私の娘が亡くなってすぐ、そなたを守る必要があれば使うようにと
そなたを我が家の養女に差し出すと署名した書類を預けていたのだ」
「お父様が……?」
「自分で守りきれるか分からぬから。と言っておった。
養女にする時期は全てわしに任せるとも」
「それでは……」
「帰宅を急いだのは、その書類を整えるためだ。
緊急性が高かったからな」
「なぜ?」
どうしてそれほど急ぐ必要があるのだろう?
ローゼンベルク伯爵家が急いで私を必要とするとは思えないのに。
「私はリゼが娘になってくれて嬉しいのに、リゼは違うのかしら?」
おばあ様が少し拗ねたように尋ねた。
「ち、ちがう。違います。私はアルヴィスの家の子供になれて嬉しいです」
慌てて私が答えると
「よかったわぁー。それじゃ、今夜はリゼが娘になったお祝いをしなければね。
楽しみにしていてね。きっと御馳走がたくさんあるわよ」
おばあ様は茶目っ気たっぷりにウインクされる。
おばあ様はすこしお茶目なのかも。
あっけにとられていると、おばあ様が、さぁいきますよと私の腕をつかんで歩き出した。




