第6話 水を飲んだんよ
何千人もの職人が何ヶ月もかけて磨き上げた一級品の石畳が敷き詰められた御政殿前の広場・月台。
突き抜けるような青空の下、柳の木が心地よい木陰を作るこの場所の端に、古風な井戸がある。
蘭花はパタパタと小気味よい刺繍靴の音を響かせ、慣れた手つきで麻縄の結ばれた木桶を井戸の奥へと落とした。
水が満ちた桶を引き上げると、広場の光を反射して、水面がキラキラと眩しく揺れる。
蘭花「ふぅ、姫様、今日も冷たくて気持ちよさそうでございます。どうぞ」
天華「……ちぃと急いで飲んだら、喉が冷えるな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 水の勢いと冷たさの真髄まで一瞬で感じ取られるとは、さすがでございますね!」
薄花「……そうでございます……姫様……この急ぎ飲み……まるで激しい朝風が姫様の尊き御心を優しく揺らしているのでございます……美しゅうございます……」
天華は誇らしげにふんすと胸を張って笑った。
その様子をすぐ近くで見守っていた理策、剛明、牧玄、そして琴雪が語り出した。
理策「恐れながら申し上げます。急いで飲むと、単位時間あたりに食道へ流入する水量が急増するため、局所的に体温が低下する物理現象です」
剛明「天華、朝からそんな急いで飲むと普通にむせるぞ」
牧玄「姫様、どれほど急いで流し込もうとも、水はうどんのように食えんぞ」
琴雪「急ぎ飲み……それは激しく脈打つ……姫様の心の奔流……」
ーーなぜかしら、この素朴な呟きが宮廷の御医たちのあいだに瞬く間に伝わり、大混乱を引き起こす。
御医①「大変じゃ! 姫様が『急いで水を飲まれた』とのこと! もしや心脈が急激に乱れておられるのかもしれん!」
御医②「至急、特製のお薬と診察の準備をせねばならん!」
御医③「外朝の者たちへ告ぐ! 姫様の御体調に異変あり、厳重に注意するんじゃ!」
太后は官吏から報告を受けた。
太后「……おぃ! 御医たちよ、天華はただ急いで飲んだだけじゃぞ!」
朝の笑天宮は、まだ光が薄い。
東側の周回回廊を進むと、空気がひとつ静かになる。
そこが――静の殿。
黒檀の柱は朝の光を吸い込み、
表面にわずかな艶だけを残して静かに立っていた。
柱頭の鳳凰の彫刻は翼を広げ、影がゆっくり形を変える。
蘭花は水差しから杯に水を注ぎ、静かに天華に渡した。
天華は受け取り、静かに口に含んだ。
天華「……ゆっくり飲むと、ちぃと落ち着くな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 水の静けさとその中に潜む深い安らぎまで感じ取られるとは、お見事てございますね!」
薄花「……そうでございます……この静かな飲み……まるで清らかな月光が姫様の御心にそっと寄り添っているのでございます……」
天華はふんすと胸を張った。
理策「恐れながら申し上げます。ゆっくり飲むことで自律神経が整い、副交感神経が優位になるため体が安定いたします」
剛明「天華、静の殿でそんなゆっくり飲んどると、あくびが出てすぐ眠うなるぞ」
牧玄「姫様、どれほどゆっくり味わおうとも、水はスープのように食えんぞ」
琴雪「静かな飲み……それは静寂に満ちる……姫様の心の安寧……」
ーーこの報告が、先ほど大騒ぎしていた御医たちの耳に再び届く。
御医①「朗報じゃ! 姫様が『ゆっくり水を飲まれておる』とのこと!乱れていた脈が整ってきた確固たる証拠じゃ!」
御医②「おお……! 我らの祈りが通じた! これは急速な回復の兆しじゃぞ!」
御医③「流石、琴雪殿! 姫様の絶対安静を保ち、静寂を守るんじゃ!」
太后「……だから言っとろうが! 天華はただ、ゆっくり飲んだだけじゃ!」
政務殿の控え間に置かれた重厚な水瓶の前に三人はいた。
天華は小さな匙を使い、ちびちびと水を口に運んでいる。
天華「……この水、ちぃとずつ飲むと飲みやすいな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 一滴一滴の繊細な味わいまで感じ取られるとは、さすがでございますね!」
薄花「……そうでございます……この少しずつの飲み……まるでしとしとと降る細雨が姫様の御心を優しく撫でているのでございます……」
天華は誇らしげに胸を張って笑った。いつものメンバーが入って来て話し出した。
理策「恐れながら申し上げます。少量ずつ摂取することで嚥下反射への負担が減り、非常に飲みやすくなります」
剛明「天華、そんなちぃとずつ飲んどったら、喉の渇きが永遠に癒えんぞ。大きな柄杓を持ってきてやろうか?」
牧玄「姫様、どれほど少しずつ口に含もうとも、水は固形物のように食えんぞ。飲み物だぞ」
琴雪「少量の飲み……それは微かに揺れる……姫様の心の雫……」
ーーなぜかしら、この「少しずつ飲む」という情報が市中の商人たちの耳に届く。
商人①「聞いたか! 姫様が控え間で『少しずつ飲まれる水』は、特別な効能を持つ神聖な水らしいぞ!」
商人②「宮廷御用達の超高級水として、一滴単位で市中に売り出すんじゃ!」
商人③「“姫様の一滴水”としてブランド化すれば、富裕層にバカ売れ間違いなしじゃ!」
太后「……ええい、勝手な商売をするな! 天華はただ少しずつ飲んだだけじゃ!」
何を思い立ったのか、天華は寝所へと続く中外回廊に置かれた大きな水甕の前で立ち止まる。
それを見た蘭花は水甕から持参した湯呑みに水を並々注いで、天華に渡した。
天華は受け取り、水を一気にゴクゴクと飲み干した。
天華「……ふぅ、一気に飲むとすっきりするな!」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 一気飲みの持つ圧倒的な爽快さまで感じ取られるとは、お見事でございますね!」
薄花「……そうでございます……この一気の飲み……まるで眩しい陽光が姫様の御心をどこまでも照らしているのでございます……」
理策「恐れながら申し上げます。一気に水分を補給することで脱水が解消され、脳内に達成感が生まれます」
剛明「天華、そんな水を一気に飲むと、後でお腹が冷えて痛くなるぞ」
牧玄「姫様、どれほど一気に流し込もうとも、やっぱり水は食えんぞ。それは飲むって言うんだぞ」
琴雪「一気飲み……それは力強く迸る……姫様の心の奔流……」
囲障の向こう側に集まっていた市中の子供たちが、そのダイナミックな姿を伝え聞き大歓声をあげる!
子供①「みんな見ろ! 姫様が水をごくごく一気に飲んどる! すげぇーーーっ!」
子供②「かっこいい! ワシも真似して一気飲みやるぞ!」
子供③「みんなー! 姫様が一気飲み勝負しとるぞーーーっ! 誰が一番早いか競争じゃーーーっ!」
子供たちが一斉に庭園の水桶に群がり、ゴクゴクと水を飲み始める騒ぎに発展してしまった。
太后「……あやつらはもう……天華はただ、一気に飲んだだけじゃぞ……!」
太后は頭を抱えて深いため息を吐くのだった。




