第2話 味は自然なんよ
ここは御政殿。政務殿や執務殿、木の殿とも呼ばれるが、御政殿が正式名称。
以前から手狭だったことから天華が外遊している間に増築して天鏡殿と同じ大きさになっている。
黒檀の巨大な長机が一直線に伸び、左右には官吏たちがずらりと整列し、静寂の中で筆と硯の音だけが規則正しく響いている。
玉座には「御政は無理なく、無茶なく、無駄なく」の言葉とともに木目を生かした柔らかい線で皇帝の笑顔が描かれている。
天華はここに自ら、たどたどしくも力強い「笑」の字を彫り込んでいるーーでも、天華は文字が読めない。
昼時となり蘭花が「伝膳ーーーっ!!(料理を持て!)」と朗々と声をかけると、御膳房 (宮廷厨房)から十数人もの料理人たちが、湯気を立てる料理の載った漆塗りの机を担いでダッシュで滑り込んできた!
そして、天華の目の前、その場であっという間に即席の豪華な食卓が組み立てられる。
◆ 甘味
天華「この団子、ちぃと甘いな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 団子に潜む微細な甘味の真髄を一瞬で見抜かれるとは、まさに流石でございますね!」
薄花「……そうでございます……姫様……この甘さ……まるで朝露が姫様の尊き御心に静かに寄り添っているのでございます……美しゅうございます……」
天華は誇らしげにふんすと胸を張って笑った。
その様子をすぐ近くで見守っていた理策、剛明、牧玄、そして琴雪が語り出す。
理策「恐れながら申し上げます。味覚における甘さは、調味段階で投入された砂糖の絶対量によるものです」
剛明「天華、甘いもんばかり食いすぎると普通に太るぞ」
牧玄「姫様、どれほど甘うても、食えんもんは食えんぞ。でも、ようかんで食うんだぞ」
琴雪「甘い味……それは優しく解けゆく……姫様の心の柔らぎ……」
そのやり取りを物陰で聞いていた料理人たちは、青ざめながら小声で熱く囁き合う。
料理人①「大変じゃ! 姫様が『甘い』と言われた! 御膳房の甘味の基準を今すぐ全面改訂せねば!」
料理人②「そうだ、国中の砂糖の配合量をすべて『姫様基準』に統一するんじゃ!」
料理人③「今日から我が国に“姫様甘味法”を制定するぞ!」
料理人④「とにかく姫様に美味しいと言っていただくよう命がけで頑張るしかないな!」
料理長は深々と頭を下げた。「姫様の仰せのままに……っ!」
──当然のように、この騒ぎは太后の耳にも入る。
太后「……どうしてそうなる。天華はただ甘いと言っただけじゃ」
◆ 鹹味(塩気)
天華「この漬物、ちぃと、しょっぱいな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 塩気の鋭い響きまで見事に見抜かれるとは、流石でございますね!」
薄花「……そうでございます……この塩の響き……まるで雄大な潮風が姫様の御心を優しく撫でているのでございます……」
料理長「(シャキッと前に出て)解説いたします! しょっぱさは塩分濃度によるものです!」
剛明「天華、しょっぱいもん食いすぎると喉が猛烈に乾くぞ。」
牧玄「姫様、塩そのものは食えんぞ。塩が入ってないとうまうないぞ」
琴雪「しょっぱい味……それは寄せては返す……姫様の心の波……」
──しばらくして、この「しょっぱい」という一言が市中に伝播する。
商人①「聞いたか! 姫様がしょっぱいと言われた! 今年は塩が大流行するぞ!」
商人②「一儲けのチャンスじゃ! 国中の塩を大量に買い占めて仕入れるんじゃ!」
商人③「よし、姫様の至高の塩ブランドを立ち上げて高値で売るんじゃ!」
──当然のように、この不穏な噂は太后の耳にも入る。
太后「……どうしてそうなる。天華はただ、しょっぱいと言っただけじゃ。そもそも塩は国家の重要戦略物資。民が勝手な投機をするでない」
官吏「ははっ! お任せください。至急、塩の闇市場の取締りを強化いたします!」
◆ 辣味(辛味)
天華「この汁、ちぃと辛いな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 辛さの奥に潜む炎の気配まで見抜かれるとは、流石でございますね!」
薄花「……そうでございます……この辛さ……まるで聖なる炎が姫様の御心を赤く照らしているのでございます……」
料理長「姫様、こちらは西域より輸入いたしました、非常に値がはる高級香辛料をふんだんに使用しております!」
剛明「天華、辛いもん食いすぎると汗が噴き出て止まらなくなるぞ」
牧玄「姫様、どれほど辛うても食えんもんは食えんぞ」
琴雪「辛い味……それは激しく燃え盛る……姫様の心の焔……」
──しばらくして、この「辛い汁」が市中に伝播し、「痛い汁」として噂になる。
住民①「おい、姫様が召し上がった汁、すんごく辛いらしいぞ! 痛いんか?」
住民②「めちゃくちゃお高いらしいぞ! 痛いのに高いならワシは絶対に食べんぞ!」
住民③「みんなー! 姫様が政務殿で痛い汁を飲まされとるぞーっ!」
住民④「痛い汁は嫌じゃのう!」
それらの噂は、当然のように太后の耳にも入る。
太后「……どうしてそうなる。天華はただ辛いと言っただけじゃ」
◆ 淡味(薄茶)
天華「この茶、ちぃと薄いな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 薄さの中に宿る奥ゆかしさの美まで感じ取られるとは、流石でございますね!」
薄花「……そうでございます……この薄さ……まるで静かな朝霞が姫様の御心に寄り添っているのでございます……」
料理長「お目が高い! こちらは白毫銀針という最高級の茶葉にございます。初代皇帝も愛されたという幻の白茶として伝承がございます!」
剛明「天華、幻の白茶が薄いお茶だからってガブガブ飲みすぎると、お腹がたぷんたぷんになるぞ」
牧玄「姫様、どれほど薄うても、茶葉そのものは食えんぞ。ほんと、これ水のごとしじゃ」
琴雪「薄い味……それは舞い散り消える……姫様の心の淡雪……」
──なぜかしら、この話が宮廷学者たちのあいだに伝わる。
学者①「聞いたか! 姫様が薄いと言われた! これは既存の概念を覆す新しい味覚分類の発見じゃ!」
学者②「素晴らしい! 薄さの客観的基準を姫様式スケールに全面改訂すべきじゃ!」
学者③「至急、姫様の味覚哲学論文をまとめて天華国学会に提出するんじゃ!」
学者④「至急、姫様に講義を賜らなければ。おーい、誰かおらんか」
太后「宮廷学者殿……天華はただ薄いと言っただけじゃ。それとな白毫銀針はもとから水のように透明なお茶だからな」
◆ 濃味
天華「この汁、ちぃと濃いな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 濃旨の深みまで一瞬で見抜かれるとは、流石でございますね!」
薄花「……そうでございます……この濃さ……まるで深く静かな森が姫様の御心を包んでいるのでございます……」
理策「恐れながら申し上げます。味の濃さは、旨味成分と調味料の結合比率によるものです」
剛明「天華、濃いもん食いすぎると胃がもたれて重うなるぞ」
牧玄「姫様、どれほど濃うても食えんもんは食えんぞ。なんか混ぜたら薄うなるぞ」
琴雪「濃い味……それはどこまでも深い……姫様の心の深淵……」
──しばらくして、この「濃い味」が市中に伝播する。
住民①「姫様が濃いと言われたらしいぞ!」
住民②「濃い味こそが姫様の豊かな御心の象徴らしいぞ!」
住民③「国中に広めるんじゃ! 今日から姫様の濃味の儀を催すぞ!」
それらの噂は、当然のように太后の耳にも入る。
太后「……どうなっとるんじゃ。天華はただ濃いと言っただけじゃ」
◆ 冷味
天華「この水、……ちぃと冷たいな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 清冽な冷たさまで感じ取られるとは、流石でございますね!」
薄花「……そうでございます……この冷たさ……まるで雪解けの清流が姫様の御心にそっと触れているのでございます……」
理策「恐れながら申し上げます。冷たさは水分子の運動エネルギーによる温度差です」
剛明「天華、冷たい水ばかり飲みすぎるとお腹痛めるぞ」
牧玄「姫様、どれほど冷とうても食えんもんは食えんぞ」
琴雪「冷たい味……それは静寂に透き通る……姫様の心の静氷……」
──しばらくして、この「冷たい水」が占師たちの間で大ブームになる。
占師①「姫様が冷たいと言われたからには大吉兆じゃ!」
占師②「冷たさは冷徹なる運命の開運印じゃ!」
占師③「今日からを天華国の公式基準にするんじゃ!」
それらの噂は、当然のように太后の耳にも入る。
太后「……だから、天華はただ冷たいと言っただけじゃ」
◆ 熱味
天華「この汁、ちぃと熱いな」
蘭花「ふふふ、流石は姫様! 熱さの内に秘められた生命力まで見抜かれるとは、流石でございますね!」
薄花「……そうなんよ……この熱さ……まるで揺らめく陽炎が姫様の御心を照らしているのでございます……」
理策「解説いたします。熱さは熱エネルギーの移動温度によるものです」
剛明「天華、熱いもんを一気に飲むと舌をやけどするぞ」
牧玄「姫様、どれほど熱うても食えんもんは食えんぞ」
琴雪「熱い味……それは溢れ出る情熱……姫様の心の陽炎……」
──しばらくして、この「熱い味」が詩人たちの間で大ブームになる。
詩人①「姫様が『熱い』と言われた……! これは滾る情熱の象徴じゃ!」
詩人②「熱さとは魂の震え! 詩情の爆発じゃ!」
詩人③「姫様の熱味を詩に詠み込んで、国中に百冊の詩集を広めるんじゃ!」
詩人④「至急、詠み込むのじゃ!」
それらの大騒ぎの噂は、当然のように太后の耳にも入り頭を抱える。
太后「……天華はただ熱いと言っただけじゃ……」




