後日談1《自然は静かに落ちるんよ》
庭には、牧玄が牛を連れて去ったのち、夕刻の重々しくもどこか優しい静けさだけが残っていた。
太陽が徐々に傾き、楓の影は黒々と長く床を滑っていく。
白砂の模様は風の細かな呼吸に合わせて、かすかに細かく波打っていた。
天華は珍しく口を開かず、じっとその落ちていく影を見つめていた。
兵卒は柱の黒い影に身を隠すようにして、膝を抱えて小さく震えている。
兵卒
「……静かすぎて……静かすぎて怖いんよ……。牧玄さんの温かい余韻が消えて、世界から音がなくなっていくんよ……」
庭の静けさが一筋の気配によっても揺れぬよう、
回廊の濃い影から、静策が滑るように様子を見に来た。
静策は足音を一切立てない。
ただ庭の空気を確かめるように、一度だけ黒い瞳で静かに見渡した。
長い楓の影、白砂のきめ細やかな模様、夕刻の風の流れ。
静が完璧に整っているかどうかを、淡々と、無感情に確認する。
そのとき、天華が夕闇の影の中で、えっへんと胸を張った。
天華「ほい、自然に影が伸びとるんよ!」
兵卒
「出んのんよ!! 影は意思を持って勝手に伸びたりせんのんよ!! というか声が大きいんよ!! せっかくの美しい静けさが一瞬でパリンと割れたんよ!!」
静策の視線が、揺らぎなくゆっくりと天華へ向いた。
静を乱す空気の微小な振動に反応しただけで、天華個人に親しく話しかけるためではない。
静策「……姫様……。自然は……静かに……落ちるものです……」
天華「ほい、自然に全部落ちるんよ!」
兵卒
「落ちんのんよ!! 全部が勝手にボトボト落ちたら世の中崩壊するんよ!! 落ちるのは重力に従っとるからなんよ!!」
静策は、地上に長く伸びた楓の黒い影を見つめたまま、淡々と音もなく言葉を重ねた。
静策
「……姫様……。……落ちるのではなく……落ちるように……積み重なるのです……。影も……葉も……人の心も……」
兵卒
「牧玄様の哲学の続きが来たんよ!! 今度は『静』のほうから重たい哲学が降ってきたんよ!! わしの心が影と一緒に地に落ちそうなんよ!!」
天華はふんすと胸を張った。
天華「ほい、自然に積み重ならんで落ちるんよ!」
兵卒
「どっちなんよ!! 積むんか落ちるんかはっきり決めてくれなんよ!! 『積み重ならんで落ちる』とか同時に言われたら、わしの頭が自然に大混乱するんよ!!」
静策は天華の姿を、深海のような瞳で静かに見つめた。
静策
「……姫様……。自然は……静かに形になるものです……。音を立てず……急がず……落ちるように……整うのです……」
天華「ほい、自然に静かなんよ!」
兵卒
「静かじゃないんよ!! 天華様がいちいち大声で挟まるけぇ静けさがぶち壊れとるんよ!! 静策さんの命より重い『静』がグラグラ揺れとるんよ!!」
静策は静かに息を吸い、吸い込まれるように回廊の濃い影へと戻りながら、最後に一言だけ残した。
静策
「……姫様……自然は……静かに……落ちて……形になるのです……」
天華は去りゆく静策の影と、庭に落ちた夕影を見つめて、ぽつりと呟いた。
天華「ほいじゃけぇ、自然に形になるんよ……」
兵卒
「惜しいんよ!! ほんまにもうちょいなんよ!! でも『自然に』で全部まとめる癖をやめんと、永遠に『なんとなく』の領域を出んのんよ!!」
庭の風が、楓の長くなった影をゆっくりと揺らした。
世界は、静かに、落ちるように整っていた。




