後日談0《自然は静かに育つんよ》
白砂は風に揺れ、楓の影が柔らかく落ちている。
回廊の柱は黒檀で、庭を囲むように静かに並び、
その影が砂の上に規則正しく刻まれていた。
庭の片隅には、天華が会議の日に置きっぱなしにした
“自然の旗”が風に揺れていた。
牧玄は牛の綱を静かに引き、庭の静けさと同じ速度で進んでいた。牛の足音が「のっ……のっ……」と白砂を撫でる。
狂乱の宮廷政治に疲弊しきった兵卒は、そのあまりの静けさに飲まれ、柱の影の中で小さく震えていた。
兵卒
「……静かすぎて……逆に怖いんよ……でも……心が洗われるような気もするんよ……」
牧玄は牛の頭をゆっくりと撫で、その歩みに合わせてのどかに口を開いた。
牧玄
「……牛は、自然に草を食むのう……風が吹けば耳をそばだて、日が高くなれば影を探す……ただ、それだけじゃ……」
兵卒
「牧玄さんの自然は本物なんよ……! 思想家の怪しいポエムじゃなくて、大地に足がついとるんよ……わしの心が静かに落ち着くんよ……」
そこへ、袖をふぁさふぁさと翻しながら天華が走ってきた。
天華「ほい! 牧玄、自然に元気なんよ!」
兵卒
「出んのんよ!! 元気は勝手に自然にならんじゃないんよ!! 元気出しとるんは天華様のほうなんよ!! 牧玄さんのせっかくの癒ややし空間を一瞬で破壊せんで!!」
牧玄は天華を見て、穏やかに目を細めて静かに微笑んだ。
牧玄「姫様……“自然の哲学会議”のことじゃが……」
兵卒
「牧玄様も出席されてたよねぇ! あの地獄のポエム合戦を思い出すんかい!!」
牧玄
「姫様……“自然”という言葉……ちぃとばかし、使い方が違うように見えたんじゃ……。あの部屋におった賢い大人たちはな、言葉を難しゅうして、空の上に『自然』を括り付けようとしておった……」
天華は珍しく首を小さくかしげ、少しだけ考えた。
天華「……ほい、自然に違わんのんよ?」
兵卒
「惜しいんよ!! もうちょいで天華様が自分の暴論に気づくところだったんよ!!」
牧玄は牛の温かい背をゆっくりと撫でながら続けた。
牧玄
「自然はな……“なんとなく”ではなく……“育つもの”なんじゃ……。土を耕し、水をやり、日を当てて……草も、牛も、人の心も……ゆっくり、静かに……手をかけて育てるから、自然とそこに実るんじゃ……」
兵卒
「まともなんよ……!! 天華国で一番まともな人間がおったんよ……!! わしの荒みきった心が救われるんよ……!!」
天華「ほい、自然に育つんよ!」
牧玄
「育たんのんよ……。育てるんよ……。ほっといたら、雑草だらけになって終わるんじゃ……」
兵卒
「牧玄さんの言うことが100%正しいんよ!! 自然は勝手に育たんのんよ!! 人の手がかかっとるんよ!!」
牧玄は牛の鼻を撫で、静かな眼差しで続けた。
牧玄
「自然は、急ぐと壊れるんじゃ……。早く実らせようと苗を引っ張ったら、根が抜けて枯れてしまう……。急がず、焦らず、一日ずつ土を積むんじゃ……」
天華「牧玄、自然に急ぐんよ!」
兵卒
「急がんのんよ!! 急いだら苗が抜けて自然が全滅するんよ!! 牧玄さんのイイ話を聞いてから即座に真逆を行こうとするんじゃないんよ!!」
牧玄は、牛がふぅと吐いた息を見つめながら、少し考えた。
牧玄「姫様……自然は“なんとなく”ではなく……“なんどもなんども”なんじゃ……。毎朝起きて畑に出て、同じ作業を繰り返し、積み重ねて……そうやって、やっと『当たり前=自然』になるんじゃ……」
兵卒
「深いんよ……!! 職人の境地なんよ!! わしの魂に染み渡るんよ……!!」
天華「ほいじやけぇ、自然に繰り返すんよ!」
兵卒
「繰り返そうと思って意思を持って繰り返さんと繰り返しにならんのんよ!! 自然に繰り返すんはただの惰性なんよ!!」
牧玄は庭に落ちる楓の影と、牛の足跡を見つめながら言った。
牧玄
「姫様……自然は“勝手に動く力”じゃないんじゃ……。“勝手に動いて見えるほど、人が汗をかいて積み重ねた結果”なんじゃ……。牛の歩みも、青々とした草も、気持ちいい風も……みんな裏で誰かが育てておるんじゃ……」
兵卒
「牧玄さん、ほんまに真理を突いとるんよ……!! わしの失われかけた常識が静かに戻ってきたんよ……!!」
天華はパァッと目を輝かせ、えっへんと胸を張った。
天華「ほい、自然に積み重なるんよ!」
牧玄
「積み重ならんのんよ……。人間が背中を丸めて、ひとつずつ積むんよ……」
兵卒
「牧玄様の完全勝利なんよ!! 自然は勝手に積まらんのんよ!! 人が泥だらけになって積むんよ!!」
牧玄
「姫様……自然はな……“静かに泥を流しながら積み重ねるもの”じゃ……。それを忘れんかったら……国も、人も、自然に良うなるんじゃ……」
天華は誇らしげに胸を叩いた。
天華「ほい、自然に良うなるんよ!」
兵卒「良うしようと必死こいて汗流さんと良うならんのんよ!! 自然に良うなるなら誰も苦労せんのんよ!!」
牧玄は牛の縄を軽く引き、ゆっくりと去り始めた。
牧玄
「……自然は、静かに育つんじゃ……。急がんでもええ……姫様も、ゆっくりでええんじゃ……」
天華「牧玄、自然にゆっくりなんよ!」
兵卒
「ゆっくりしようと意識して足を緩めんとゆっくりにならんじゃないんよ!! 自然にゆっくりはただの停止なんよ!!」
去っていく牧玄の背中と牛の影が、白砂の上にゆっくりと伸びていく。
庭の風が、穏やかに楓の影を揺らしていた。
自然は、誰かの手によって、今日もしずかに育てられていた。




