後日談2《自然は礼を返すんよ》
笑天宮の庭には、静策が回廊の影へ吸い込まれるように戻ったのち、張り詰めた静けさが再びなみなみと満ちていた。
長くなった楓の影は美しく整い、白砂のきめ細やかな模様も、夕刻の澄んだ風に合わせて静かに揺れている。
兵卒は柱の影で、己の存在感を消すようにしていまだにブルブルと震えていた。
兵卒
「……静が……静が強すぎるんよ……! 静策さんが去っても静けさの圧が残っとるんよ……わしの心が完全に静に呑まれとるんよ……」
その“静”が、美しいひとつの形になった瞬間――
回廊の奥で、絹の擦れ合う音と共に“礼の流れ”がふっと滑らかに揺れた。
礼珠はその空気の揺れに目ざとく気づき、指先の角度まで完璧に礼を正した歩幅で、静かに姿を現した。
天華を探しに来たわけではない。
ただ、静策の残した静けさの中で、わずかに礼の流れが乱れた気配を感じ取り、それを美しく整えに来ただけだった。
礼珠は庭の洗練された空気を一度だけ見渡し、天華が夕闇の中でえっへんと胸を張っているのを見て、音もなくそっと近づいた。
礼珠「姫様……自然とは、礼を返す流れでございます……」
天華「ほい、礼は自然に返るんよ!」
兵卒
「出んのんよ!! 礼は勝手にクルッと回って返ってきたりせんのんよ!! 返すんは意思を持った人間のほうなんよ!! 礼珠様も天華様に『自然』のキーワードを与えんで!!」
礼珠は、風に揺れる白砂の模様を細い指先でそっと示した。
その佇まいは、見えない礼の流れを空間に美しく描き出すかのように静やかだった。
礼珠
「姫様……礼は……ただ返るのではなく……正しく返すために……お互いが交わるものにございます……。風も……影も……人の心も……」
天華「ほい、自然に交わるんよ!」
兵卒
「交わらんでええんよ!! 天華様の適当な『自然』と礼珠様の厳格な『礼』が不法に交わったら、周りの人間が混乱して全滅するんよ!!」
礼珠は天華の前にしずしずと立ち、崩れた礼の流れを美しい手さばきで整えるように言葉を重ねた。
礼珠
「姫様……自然の礼とは……循環でございます……。受けた賜ものを……静かに返し……返したものが……また新たな清らかな流れになるのです……」
天華「ほいじゃけぇ、自然に循環なんよ!」
兵卒
「循環じゃないんよ!! 放置された水車が勝手に回り続けんように、循環は勝手に回らんのんよ!! 回そうとして汗かいて回すんは人のほうなんよ!!」
礼珠は天華の乱れた袖口にそっと手を伸ばし、一ミリの狂いもなく美しく整えた。
その極上の動作は、そのまま「礼の美」を形にしたかのように静かだった。
礼珠
「姫様……礼とは……形を正しく整えることで……滞っていた流れが静かに返ってまいります……」
天華はきれいに整った自分の袖を満足そうに見つめ、ぽつりと呟いた。
天華「ほいじゃけぇ、自然に形になるんよ……」
兵卒
「惜しいんよ!! ほんまに惜しいんよ!! 服の形が勝手に自然に整ったんじゃないんよ!! いま目の前で整えてくれた礼珠さんの技術と努力なんよ!! 感謝をしてくれなんよ!!」
庭の風が、整えられた礼の流れに合わせて静かに、滑らかに揺れた。
世界は、静かに礼を返していた。




