第8話
~ 帝都西南・上空にて ~
小麦畑は天空にも存在する。
朝日が顔を覗かせて、光が徐々に昇り始めたのを見、差し込まれる朱と青の混じった輝きが雲を照らし出す瞬間が瞳孔の奥に映し出される。レオンとエリーザは、その光景を見るや息をのんだ。
ほんの一時の間、呼吸すら忘れて見入っていたように思う。
青くなり始めた空と、広漠とした畑や街道が広がる大地に挟まれた雲。それが朝日の光で金色とも銀色とも言い難い美しさを放っている。
「わぁっ ――」
エリーザの口から零れる感嘆。
この先に進んでゆくのだという事実と好奇心に満ちた目。それを横目で見て、レオンは少しだけこの少女が羨ましいと思ってしまった。
二十の境を超えるころには、この瑞々しく輝かしい"子供心"が、いつの間にか錆びついてしまっていた自覚があったから。
自分にだってこんな頃があった。都の門をくぐって、試験室で頭を悩ませ、合格や入学後の試験で一喜一憂していたあの頃。いつの間にか、立場を得る事が確定的になった頃だったかは覚えていないが、俗な発想しか頭から出てこなくなって。
「眩しいなぁ」
「まだ夜目のままになってない?」
「そうかも。けどそろそろ朝食の時間だし」
そういう事じゃないんだが、訂正するには羞恥心が勝った。なので話をごまかす事とする。既に、階下の食堂エリアにク=シグが入っている。もう間もなく呼ぶ声が聞こえるころだ。
「しっかし、アイツが船長だったとは」
「お知り合いじゃなかったの?」
「付き合いは長いよ。アカデミー入りたての頃にはあの酒場に出入りしてた」
単に、聞こうとしなかっただけ。
国の最高学府で魔法を学んだといったって、知らない事はあまりにも多すぎる。そう、自分は『知らない』という事を知らなかった。
この美しい朝の光景を見ていると、それを思い知らされる。
「刀の腕が立つし、少し口うるさい傭兵か何かだと思ってたんだ」
「そういうものだと思うわよ。どんな人にだって、見せる所と見せない所くらいあるわ」
「お前さんこそ、やけに体感したように言うじゃん」
「ん。まぁね」
そう言うと、エリーザは目線をそらした。彼女も何か隠している。
まぁ、会ってまだ1日の男共に言えない事くらい山ほどあるはずだ。女とはそういう生き物なのだと、母もよく言っていた。
「深くは聞かないでおくよ。…… そういや、少し気になったんだけどよ」
「何?」
「お前の"訛り"。北西部の出だろ、都までは歩いてきたのか?」
話を別の話にしてやる事にした。少し嫌そうな雰囲気もあったから。
ちょうど気になっていた、言語の所からとっかかってみる。
「俺と兄貴は南の出だから、少し珍しくてよ」
「女一人よ? 歩きなわけ無いわ、ちゃんと …… 馬で ……」
どうやら、自分はしくじったらしい。
エリーザの顔色が、また悪くなっていく。単語を聞いた。馬、と確かに言った。
自分の体全体からも、体温が抜けていく感覚が内側から襲い来る。
そう、馬だ。4つ足の生き物。産業動物。
「え……お嬢ちゃん、馬で都まで?」
「うん。門で通してもらった後、街中で臣民は乗れないって言われて」
どうやら『返してもらうのを忘れた』と思い込んでいるようだ。
レオンは頭を抱える。確かに普通に考えればそう思うのが普通。しかし今の国家の腐敗は国家の血管にまで及ぶ。何も知らぬ者を言いくるめる口実なのか、そうでないのかをこの娘っ子に区別が出きるはずもない。
「お嬢ちゃん。嫌な事を言うが、都の中で民が乗馬できないなんて決まりはない」
「―― はっ?」
「どうせ城門の部尉に言われたろ。戻ったところでとぼけられるがオチだ。
今頃あいつらが売っぱらって――」
そう言った時、甲板上に巨大なシンバルが落ちたかの如き金属音が響き渡った。うかつなと己を呪う。朝特有の気のゆるみで、身構えてすらいなかった。なんて轟音だ。
エリーザは頭を両腕で抱えながら、甲板の上でのたうち回る。この華奢で細工物のような体の一体どこから、こんな声が出るんだ。不意打ちで鼓膜に襲いかかった高音と振動に脳が揺さぶられ、レオンの脚に力が入らなくなる。
魔法ですら無い絶叫で、人間の力を奪う。これは一種の特殊技能だろうか。
「おいおいおい、どうした!?」
「敵襲カッ!?」
階下から、兄とク=シグ、そしてギルベルトまでも慌てて駆け上がってくる。彼らの目に入ったのは、絶叫でのたうち回っている少女と、耳を押さえて蹲っているレオンの姿。
「お前何かやったのか!」
「違ぇって! このお嬢ちゃんが」
そのため、先ほどの会話を三名に伝えるハメになった。その頃にはエリーザものたうつのをやめてはいたが、顔から生気が失せて眼からは光が消えている。気のせいだと思いたい。が、気持ちはわかる。何せ『馬』が絡む=凄まじい額の金が絡む話だ。
レオンが訳を伝えるや、男衆の顔からも血の気が失せる。
「嘘だロ、馬かヨ、よりによっテ」
「いくらぐらいするっけ」
「普通のヤツで金貨数枚~12枚くらい。職人とかの年収半年分だ。
お嬢ちゃんがどこの生まれかはしらないが、お貴族様御用達の軍馬だとその4~5倍かな」
そう、クレイグが言ったのを聞くや、再び甲板上に金属が引き裂かれんばかりの大音量。
男4人、全員膝を突いて顔をしかめ、耳を塞ぐ事になる。
「落ち着いてくれぇ!」
「……何て声量だヨ、おイ」
結果として、ギルベルトが『沈静』呪文を使う事態にまで追い込まれた。
※※※
「おちついた?」
「はい……すみません」
食堂の大テーブルに座ったエリーザは、涙目のままホットミルクをすする。
ク=シグが食堂の奥で、人数分のパンと卵、ベーコンを焼いてくれてる中、男三人も席についていた。出発1日目にしてとんだ目にあったものだ。しかし、責める気なぞ起きようものか。知らなかった非こそあれ、まんまと謀られた訳なのだから。
「どうしよう、姉様に殺される」
「お姉さんの馬かぁ」
聞けば、家族所有の馬だと言う。絶叫するわけだ。
許可の上かどうかは踏み込まなかったが、都くんだりまでやってきて馬を奪われました、と帰宅して言う訳にもいくまい。
エリーザは、ミルクで落ち着いたのかクワッと目を見開くと、一気飲みした後に自ら両手で頬を張った。
「……手ぶらで帰れないなら、手土産作って帰ればいいのよ!」
「いや切り替え早ぇな!!」
呆れるレベルの転換の速さ。危機感が薄いのか、それとも重く受け止めすぎて考えたくなくなったのか、それがわからない。
運ばれてきたベーコンを噛み、肉汁を堪能しながら、ようやく耳のヒリヒリがひいていくのをレオンは感じた。
食事中無言なのも味気ないので、これからの目標確認を兼ねて、都で起こった事を彼らは振り返る。
●国家の至宝、『セレジアナの涙』が盗まれた。それは、皇家に伝わる青い宝石である。
初代皇帝・『テオドール』が即位した際の、万民の喝采に大精霊が流した感涙とされている。
●処刑された盗人に指示をしていたのは、カルト集団『黒い月』である。
彼らは、その大精霊を崇める国教に反する教義を掲げる危険思想とされる。
●その盗人と精神魔法で繋がった瞬間を、恐らくどこかで見ていたと思われる。
酒場を襲撃してきた連中は、たまたまあの酒場を標的としたとは思いがたい。
片方は、魔術師にも理解が出来ない魔法を使ってくる危険な魔術師だった。
並べるとこんな感じになる。
「何で、黒い月が国家の至宝を盗んダ?」
「売る訳にもいかない唯一無二の品だ。他の目的があるんだろ」
それを今から確かめに行く、という事だ。改めて考えるととんでもない事である。
"知ってしまった秘密"。カルトが目を付け、国が盗まれた事実をひた隠しにしなければならぬもの。
その意図する所は一体何なのだろう。
好奇心は猫をも殺すと言うが、満足がそれを生き返らせるとも言う。
「国が隠すほどの秘密、だな」
「それを確かめて取り返しに行くのよね」
身が震える。これが恐怖によるものなのか、それとも武者震いなのか。
行く先が何であれ、『分岐点』に自分達は立ってしまったのだ。
子供の頃から読み聞きして憧れてきた、歴代の英雄が歩んだような『分かれ道』の前にいるのだ。
燃えない者がいるだろうか? いや、いない。すくなくともこの船の中には。
全員が、口の中にある卵やベーコンを呑み込む。ここでふと、エリーザが口を開く。
「そういえば、この船の操舵はどうやってるの?」
「―― ? あァ、教えて無かったナ。船長室まで来いヨ」
その前にお片付けだけどナ、と言ったク=シグに皆は従った。
※※※
~ その後・船長室にて ~
「……すっごい」
エリーザから出てきた台詞。あんぐりと口を開けているレオンとギルベルトも、全く同じ感想を抱いていた。
クルーは、本当にこのリザードマン一人だったのだ。
いや、この伝え方には語弊がある。正確に言えば、『有機的』なクルーは彼一人で良かったのである。
< おや、キャプテン。お食事はもうお済みですか >
「「「 ―― ッ!!? 」」」
船長室に鎮座する、丸い大テーブル。その真ん中に、淡いオレンジ色を放つ球体が浮かんでいた。
その球体から、声が聞こえる。特に驚いたのが、レオンとギルベルトだ。
「【魔導具】、しかも会話機能付きのタイプかよ」
「教科書でしか聞いた事なかったよ。初めて見た、すっごぃい」
< むむ、失礼な方々ですね。"会話可能"なだけの旧式と一緒にしないでいただきたいものです。
"無制限魔法駆動急襲モジュール艦"なのですよ。ふふん♪ >
「……急襲?」
< おや? ご存じ無い? よろしい、説明してあげましょう。私の基本機能として―― >
「おイ、『シグレ』……そこまでにしておケ」
< ……はぁ~い。ちぇっ >
連日で脳の処理が追いつかぬ出来事が続いている気がする。
特にギルベルトは脳がショートしそうになっているようすで。口元に手を当ててブツブツとつぶやく人形に成り果てていた。
「再現不可能な遺物だって事は知っていたけど、まさかこんな機能まで実現して実装?
しかも安定させているなんてどうやってるんだ。どうみてもこちらの発した音声を拾って、解析した上で情報を整理して判断してるじゃないか。
魔石に記憶させてるのか? いや ――」
エリーザが目の前で手を振ってみても、肩をつついてみても、ギルベルトの様子は戻らない。
爛々と輝く目で、人の言語を解した上で発する球体を見つめている。
「だめだ。コイツ、こうなると中々現実に戻ってこないんだ。魔導具がコイツの恋人のようなものでさ」
「えぇ~。顔とか見るに結構モテたんじゃないの、この人」
「まぁ、そうだったんだが……長続きしない理由、わかったろ?」
「うん、コレは、ねぇ」
ブツブツ言うだけの存在になってしまったギルベルトを他所に、ク=シグは続けた。
「まぁ、飛翔艦は未知の部分が多い魔導具でもあるからナ。
見ての通リ、俺様の船『エノソーリャ』号には他の船とは一風変わった制御装置が積んである。それがこのシグレだ」
「地図と目的地を教えたらその先まで飛んで行くって事? すっご」
< えへへ~。もっとお褒めやがりください >
「……言葉使いは直らないんだ。しかも音声が幼女だし」
「試みはしたんだけどナ。多分制作者の趣味か何かだロ。でダ、シグレ。
昨夜入力した通りの航路にいると思うガ、現在周囲に異常はあるカ?」
< 追跡の痕跡はないよぉ。でもぉ、今ねぇ~、船の廻りが凄い事なってるよ? >
「……は?」
シグレの返答に、エリーザ等は船長室の扉を開けて、甲板の様子を見る。
目に入ってきた光景を見、思わずエリーザが外へ飛び出していた。
この飛翔艦の周囲を、数多くの『白い鳩』が飛び立っていたのである。
西から飛んでくる鳩と、西南から飛んでくる鳩の巨大な群れ。
レオンは見逃さなかった。その鳩はどの個体も、脚に小さな筒を装着している『伝書鳩』である事を。
青魔法による精神伝達は、非常に負荷が高い上に距離が短い。狼煙のような使い方しか出来ない上、燃費が悪いため伝書鳩が未だ官公庁や軍隊でも現役なのである。
しかし、この異様な数は何だ!?
「兄ちゃん、全部伝書鳩だ!」
「――ッ!!?」
クレイグと、ク=シグは硬直した。未だ、レオンやエリーザにはピンと来ていないようだ。
「……シグレ、進路はそのまマ! ただし一つ手前の街に一旦停留すル!」




