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第7話


 

   ~ 帝都・赤の広場付近/大騒ぎの直後 ~


 

「一体どういう事だ、これは」


 顔面蒼白となったラルフの眼前に広がっている、口にしたくない光景。濃霧が広がっていたため、視界が晴れるまで悪臭と戦うハメになり立ち往生。それが解消される頃には、この騒ぎによって引きおこされた事態が、目を覆う惨状である事を理解せざるをえなかった。

 視界に映る街道が、腐敗した遺体で埋め尽くされていたからだ。召喚獣を出した形跡も残っている。マナの供給が絶たれた場合消失するため、どんな色を操る魔術師かは鑑識が必要だ。ただ、それも"片付け"があらかた終わってからとなるだろう。側に控えていた兵の一人が、溜まらず側溝へかけて行き中身を戻し …… その側溝の中にすら千切れた首や手足がある事実で気絶してしまう程。そんな状況となっている街道を。


「……うえっ、これ共同墓地のか? おえっ」

「2年前逝った路商のジジイだ、多分そうだな」

「いや、待て。こっちのは高家の首飾りかけてる。嘘だろ」


 転がっている遺骸が多すぎる。片付けにかかる時間、身許が辛うじて判別出来るかどうかも確認は必要だ。どれ程の時間が取られる事となるのだろう。何せ都にまだご遺族や一門が住んでいる遺体が殆どなのだから。むやみやたらに共同墓地に突っ込もうものなら、『一門の墓に戻せ』という苦情は避けられない。

 そして側溝や、街中にある川面にすら死体や身体の一部が浮かんでいる。生活用水、下水もどれ程汚染されている事か。

 この近辺地域の住民には、水の利用制限を布告。他地域住民には共同利用者増加の布告。


「執金吾の兵も一定数やられているようだ。我々は警戒しつつ、地域住民の安全確認と確保を最優先とする。

 アカデミーにも、鑑識にあたれる識者……教員を派遣するよう……」


 ラルフは理解しがたい状況を頭の中で整理しながら、兵に下知した。

 いたる所に魔術の痕跡が残っている。そのため解析者が必要、と考える事は至極当然だ。しかし、それを遮る声がした。


「兵隊さん! 暴れてた連中にはアカデミーの奴等もいたよ!」


 大勢の兵隊が到着した事を確認し、おそるおそる外に出ていた地域住民からだった。声は上ずり、恐怖心で震えもみられる。家の前でドンパチやっていたという高負荷(ストレス)を思えばさもありなんと思う。

 ただ、口ぶりからしてアカデミーの職員達に対しての不信感も混じっているようだった。

 ラルフとしては、どこに努めているものも必ずこの『不信』と戦わねばならないのだなという現実を突きつけられているとしか感じられない。


「お言葉、痛み入ります、ご婦人。一日でも早く、日常へ戻せるよう努めます故、しばしの我慢をお願いいたします」


 とっさに、下馬してその市民に一例する。

 気休めにしかならないだろうが、効果はあるはずだ。今、世間における官兵 = 狐媚猫順な者とみなされている。そうだとして、そんな中にも清流は未だ残れりと思ってもらいたいものだ。一緒にされるのはたまったものではない。


「変わった官兵さんだねぇ」


 そう言葉をもらえるだけでも大きな一歩だろう。どんな改善だって、一人の印象から始まるのだ。

 ただ、それを解するだけのものが、官軍や宮廷の者達にも少なくなってきているから、イタチごっこなのだが。


「……わざわざ外廷から起こしとは、痛み入りますなぁ。光禄勲の旗下が如何な御用向きで」


 こういう手合いが、潰しても潰しても湧いてくる。


「これは、執金吾殿」


 執金吾。都の治安維持を司る警察機構である。北方から買い付けた馬と、金糸で彩られた鞍と手綱。後ろには赤備えの騎馬と兵達が控えている。よく見れば(副官)が、手綱を横からそっと握っているのも見える。良馬に乗っているのではなく、馬に乗せられているではないか。

 その丞と後ろの兵も、ラルフを見るとすこしばつの悪そうな表情で眼を背けている。本来であれば、彼の方が先にこの現場に駆けつけなければならぬ筈なのに、宮廷警護の虎賁に先を越されている。死者達の中にも赤備えの者がいるとは言え、犯人らしき影はすでに無い。

 取り逃がすハメになったあげく、場を治める役目も先を越されて面目が立たないという訳だ。


 現場に着いてやる事が状況把握でも指示でも無く、他部署の人間への嫌みか。


(嫌みったらしい物言いをするくらいなら、先に来ればよかろうものを……)


 痩せてはいかがか、という言葉はすんでの所で飲み込んだ。


「これ程の惨状となる騒ぎです。皇子直々の命にて参じた次第」

「成る程。それ故この街道まで」


 そう良いながら、執金吾を勤める男は顔をしかめながら広がる遺体達を見る。

 

「これでは死体の川だ。片付けるのも骨が折れる」

「まずは魔力痕の解析にあたるべきでしょう。既に手の者をアカデミーに向かわせました」

「それは有り難いですな。ご遺族の目もあるやもしれぬ。早々と片付けたい」


 嫌みなヤツだし、金にもがめつい。が、仕事は一応やるようだ。遅参も、本人の"身体"の問題と見て良いかもしれない。職分に踏み込まれた不快感を隠さないが、さりとて邪魔もしない。まだマシな方か。


 アカデミーから、鑑識役の青魔道師が到着したのは、それからまもなくの事だ。


 魔道師は鼻をつまみながら、死体の間を縫う。この量の死体が広がるとなれば、相当な魔力の痕跡が残っているのは間違い無い。軍属として今まで勤務する中で、死体を操るという魔法は聞いた事が無く、おそらく大量に"移動させる"魔法である筈だ。

 もしそうである場合、『青』が該当するし、この規模の惨状を起こせる以上、国家とアカデミーが把握している魔術師情報からある程度の照会が出来る。

 犯人の目星を付ける事は容易になる。そう、この場の二人は思考が合致していた。

 

 個人が貯蔵(プール)行使(ペイ)できるマナの総量には限りというものがある。いわば"タンクの大きさ"と、"ホースの太さ/形状"のようなもの。

 記録と照らし合わせ、算出される数値以上の魔術師を絞り、その中で居場所とアリバイを調べれば片付く。


「……意味がわかりませぬ。この死体達には魔力痕が確かに残っているのですが」

「ですが、とは含みのある物言いだな。どうされた」

「どの魔法形態にも当てはまりません。四色のどれにも」

「そんな馬鹿な事があるか!」


 流石に耳を疑う。そんな事はある筈が無い。怒鳴ったのは執金吾であるが、ラルフも同じ事をしそうになった。


「この、ちりぢりに残っている打痕や、空中には『緑』と『青』の跡が。酒場の燃え跡には明確に『赤』の痕跡はありまする。

 その……広がっている()()()()()()()()は、どの術式にも当てはまらないとしか言いようが」


 理解が出来ない。アカデミー通いで無くても、魔法は四系統であると知られている。

『白』・『青』・『緑』・『赤』の四柱で成り立っているのではなかったか。


「わからぬならもう良い。ご苦労であった。解った範囲のみ後ほど纏めて提出せよ」


 そう言うと、執金吾と虎賁の旗下は街道の片付けに取りかかった。

 叶うことならば、元の通りに戻してやりたい所だが、それは叶わないかもしれない。損傷が激しい遺体になれば、身許が判別できない上、兵達が何かしらの感染症にかかる可能性すら出てくる。長い時間はかけられない。


「身柄が明らかで無い遺体は、全て共同墓地に埋め立てよ。やむを得まい」


 後から来るであろう、相当な数の苦情。それを想像しながら、ラルフは気分が重くなって行くのを感じていた。

 

 

 ※※※※※※



  ~ 帝都・外部城壁 『船着き場』 ~



「なぁ、兄ちゃん。こっちで本当に良いのか?」

「こっちで合ってるよ。ク=シグが先にあがってったろうが」

「あがってって言うけどさ、ここ船着き場よ?」


 船着き場と言っても、水路を行く船の事では無い。

 ここに停まっている艦船は、【飛翔艦】と言う。形は様々であるが、その名の通り天空を行く船の事だ。とてもでは無いが、乗船できる金子なぞ持ち合わせていない。金持ち商人の持ち船やお貴族様方の遊覧船、果ては軍艦。

 運賃を取る船はそれこそ遊覧船があるが、一般臣民が乗れるような代物では無い。アカデミー7年生の月給三ヶ月分、ヘタすれば1年分纏めて吹き飛ぶような額である。


 何故か?


 帝国成立以前の時代に製造された『失われた技術(ロストテクノロジー)』という付加価値で運用しているからだ。

 尤も、補修不可能なのは根幹たる機関部に限った話で、そこは未だ原理が解明されていないが()()()()()のである。甲板などの外付けパーツは補修可能。故に今でも稼働する事ができた。

 

「間違ってないって。ほら、そろそろ見えてくるぞ」


 そう言って、クレイグが船着き場の奥、大型商船の隣に停泊している"飛翔艦"を指さした。


「……この型、初めて見たわ」


 エリーザは、それこそ好奇心を隠せずに目を輝かせている。

 恥ずかしい話だが、レオンとギルベルトも同じような色を瞳に宿らせていた。心がうずくのだ。


「これは、矢尻? いや、頭蓋骨を逆さにしたような」


 飛翔艦は、水上を走る帆船がそのまま浮かび上がったスタイルがスタンダードである。しかしクレイグが指さしたのは違っていた。

 それこそ、絵巻物や絵画の中に描かれる伝説上の生き物 ―― 【ドラゴン】の頭骨を逆さにして、船に改造したかのような形状をしていた。

 マストが存在せず、船の左右に巨大な襟巻が如き帆が取り付けられている。"竜骨"を左右を固める船底部は鱗状の金属片で覆われていて、船の先端である"ヘッド"の部分は硬質化した動物由来であろう甲板を装着。そのまま突っ込む事ができるデザインだ。

 

 それこそドラゴンの頭そのもの。


「何ダ、お前等……『羽ばたき型』を見るのは始めてカ?」


 その甲板で、ク=シグが昇降板(タラップ)をかけて待っていた。


「そうだよ。こんな代物どうやって」

「そりゃァ、()()()()だからナ」

「「 はっ!? 初耳なんだが!??」」

「聞かなかったじゃねぇカ、俺の仕事なんテ」


 今日は何と言うか、度肝を抜かされっぱなしだ。このまま内蔵を全て持って行かれそうな勢いである。

 このリザードマンには確かに、普段の仕事は何だとかは今まで聞いた事が無かった。数年間もだ。そういう意味で落ち度はある。

 でも自慢げに言って良い話の筈なのに、コレまで自分から口にしなかった。この口の周るトカゲ野郎が、だ。


「誰にだって事情はある、か」


 深くは聞くまい。此奴の事だからきっと後ろめたい方法でかすめ取ったに違いなかろう。


「ほレ、さっさと乗った乗っタ! 船着き場(こ こ)の警備に何時怪しまれるかもわからねぇゾ」


 促されるまま、一行は船へと乗り込む。その時、ギルベルトは船首の側面に掘られている船名が眼に入った。


   『 אנוש סוליה 』


「……この言語、どこかで。何だったか」


 帝国国内の"共通言語"では無い。エルフ語でも無ければ、オーク語でも無い。他言語として国内で認知されている言語は、現在そう多くは無いのだ。

 他種族系言語も、アカデミーでは履修する。地方官吏として、その種族生息圏に赴任でもしない限り、覚えたとて使う機会はそうやっては来ないのだが、ある程度は覚えたつもりだった。興味本位でゴブリンの言語も習得した程だ。


 が、そんな彼らでも見た覚えはあるが、名称が思い出せない言語だった。

 

 頭を捻るギルベルトとレオン、両名の様子を見ていたク=シグの顔が、少し哀しげに歪んだ。

 

「『エノソーリャ』……ダ。"たった一人"という意味の、古い言葉サ」


 何で知ってる、といいたげな二人の眼差しに、このリザードマンは答える事無くさっさと甲板の上を進む。

 聞く機会があるといいのだが、と悪い意味で好奇心をのぞかせる二名であったが、船頭の機嫌を損ねるのはマズい。そう判断して着いて行く事にする。

 

「船尾楼近くの階段から降りて、すぐ左右が客室ダ。各部屋は個室になっているかラ、各自で部屋は決めてくレ。

 その一階下が食堂とシャワー …… 風呂じゃねぇのは我慢しロ。さらに下は行く意味無し。ただの倉庫だからナ」


 船尾楼は、甲板から入れる扉の先だ。普通の船であれば船長室にあたる部屋である。


「船尾楼はク=シグ、お前の部屋か」

「そんな所ダ。まぁ、この船の『心臓』と話す部屋でもあるけド」


 少し含みのある言い方で、何とも興味深い話だ。

 ワクワクと、肩をうわずらせて話を聞いているレオンやエリーザであったが、ふと……レオンが何かを思いだしたかのように血相を変える。


「あ、マズい。お嬢ちゃん、早く個室に行った方が良い」

「……? 一体どういう」


 青くなったレオンは彼女の手を引いて、階下に降りていく。大胆な真似だと思う。

 知り合って一日と経っていない男が、女の手を引くなぞ彼自身不本意だ。しかしこのままでは、マズい。

 

「……"時間切れ"。さっきの()()


 それを聞いて、エリーザも血の気が引いていた。

 あぁ、先ほど聞かされていたでは無いか。()()()()()、と。

 降りてすぐ左の扉を開き、半ば押し込むような形になってしまったが、個室に彼女を入れる事が出来た。

 直ちに戸を閉めて部屋には彼女一人にする。野郎と二人なぞ断固やってはならない。


 クレイグら三名も降りてくる。弟の奇行に等しい行為には絶句するものの、渡して飲んでいたのが『レオン製の特性薬』だった事はあの時見ていた。

 

「今すぐベッドの脇に、出来れば横たわって!」

「いやでも、一気に来るって言った ―― ッテェ!?」


 すると、部屋の中で『 ボフッ 』という音が響いた。ひとまず、間に合ったのだ。


 エリーザの全身から、一気に力が抜けたのである。立つ事もおぼつかなくなって、寝台に倒れ込んだ。辛うじて手は仕える程度の体力しか残っていない。

 これが、レオン特性薬のデメリット。"元気の前借り"という言葉の通り、虚脱感と疲労感が一塊となってやって来る。


「え? 何コレ? 動けない……ドッと来るってこういう」

「間に合って良かったよ。間に合わなかったら床と濃厚なキスをする所だった」

「血の気が引く事を今更言わないでくれますぅ!?」


 部屋から飛び出して文句の一つでも言ってやりたかったエリーザであったが、もはや寝台の上で身をよじるので精一杯だった。

 それに、この強烈な疲労感と、寝台のフカフカ具合のせいで、眠気が牛の群れの如き勢いでやって来る。


「……起きたら覚えてなさいよ」


「いや、大丈夫。()()()()()()()()()


 そして、部屋の外では凄まじい衝突音が響き渡り、エリーザの意識は暗闇の中に落ちていく。


「―― あぁ~あ、キレイに顔面から逝ったわ」

「お前も限界だったんじゃねぇかよ、馬鹿野郎」


 薄れ行く意識の中で聞いたのは、ギルベルトとクレイグが呆れ交じりに零した声。


 レオンは文字通り、床とあつい接吻をかました。



 ※※※



 差し込んでくる光で、目が覚める。

 エリーザは、寝ぼけ眼をこすりながら身を起こした。意識を手放す直前まで、身体を襲っていた倦怠感と疲労は今や無く、むしろ身体が軽い。

 寝台の上にしかれていたコンフォーター(掛け布団)がフワフワだった事と、マットレスも上等であったおかげだろう。旅装束のまま横たわったというのに、それによる痛みすら無かったのだ。内心舌を巻く。


「あの薬、すっごく効くのね」


 ただメリットとデメリットに差がありすぎないか、とは思う。あれがもし一般流通なぞしようものなら、絶対どこかで使い方を間違えた老人や子供による死亡事故が起こる。それは確信出来る程の効果だ。

 それはともかく、今の状況を確認しよう。そう思った彼女が部屋の戸を開けると、すぐ足下に小さな籠が置かれている事に気付く。中には、女物の衣装と、それ程値は張らない香水がいくつか入っている。


< 一般用の交易品しか積んでなかっタ、すまン。これしか無いが我慢してくレ >


 というメモ書きも一緒に。有り難い話だ。

 都でのごたごたからずっと動き回っていて、汗による不快感は未だ残っている。むしろ寝汗も加わっているため、寝る前よりもヒドイ。着替えがあるだけ有り難いと言わねばならない。身体の匂いも気になるが、シャワーはあると言っていたもののそれでは水を使ってしまう。なるべく香水で誤魔化す他無いから、これも贅沢は言ってられない。


「……ディアンドルかぁ」


 入っていた衣装は彼女のよく知る装束である。むしろ、見慣れすぎて少々面食らった。内心、行った事無い地方のだったら良いなとか思っていた。

 我が儘というものなので、口には出さないし、文句も言わない。それは解っている。


 ただ、よりによってコレか、という思いも僅かながらあった。

 

 これは確かに女性用の服である。ただ、農家の女性が着る庶民用の衣服であり ―― 彼女は()()()()()()()()()()()()()だ。

 

「ま、いいわ」


 ただこの一点において、エリーザは"異常者"だった。

 ひとたび着替えようと決めるや、旅装束を脱いでその衣装に袖を通し、籠の中身と入れ替える。香水は、ラベンダーにした。そんな気分だったから。

 ディアンドルは驚くことにサイズも合っていて、肌触りも良かった。なんとも不思議な男達と出会ったものだと思いつつ、妙に気を許してしまっていることに驚きもする。

 知り合ってまだ丸一日と経っていないのだ。我ながらおかしいと感じてもいた。ただそれはむこうとて同じではなかろうか。何せあの時渡された薬を飲んでしまった。


(普通だったら意地でも飲まないし投げ返すよね)


 と己を責めもする。無警戒にもほどがあるだろう、世間知らずめ。

 あれが戦闘中であった上、逃げなければ死ぬ局面であるから流していたが、これがもし日中のようなタイミングで起こっていれば、抵抗できない若き乙女の出来上がりだ。

 想像するだに怖気のする目にあっていた可能性がある行為。それを何の抵抗もなくやってしまった事実に震える。


「多分、驚いたのはあっちも同じよ、うん」


 この割り切りがどこから来るのか、考えるのはもっと時間がある時にしよう。

 そう考えながら、階段を上る。もしかしたら、みな寝静まっているのかもしれないとも思ったが、船である以上そんな事はあり得まい。

 甲板に上ると、風が頬を撫でた。そしてまだ空はほとんど暗い。


「まだ寝ていてもよかった……のに」


 ふと、涼しげでさわやかな音色の声が聞こえる。

 この感覚が、あの広場で出会った時から妙にこそばゆい。

 荒っぽい印象を持つ第1印象だった。一緒にいた黒髪の青魔術師の方が、顔立ちや佇まいが凛としていて、おそらく実家の社交場といった空間ではこちらの方が()()るだろう。ただ、エリーザが吸い込まれたのは、薬草臭くてやや獣っぽい荒々しさを備えているこの男の方だった。


 わけがわからない。


 少しむかついた。甲板にあがってきたこちらを見るや、口を半開きにして固まっている。その間抜けな顔は何なのか。失礼ではないのか。

 ツカツカとソイツ ―― レオンと名乗った緑魔術師の所へ歩み寄り、肩を小突く。


「貴方の薬でえらい目にあったわ」

「は? 助かったんだから良いじゃねぇか。背負えばよかったのか?」


 出会って間もない乙女を背負う気だったのか、この男は。それはそれでムカムカする。理由はわからない。なぜだかは考えたくない、そんな気分。雲がかかったような感触だ。

 イライラしているという訳でもないのが、この理解が進まない感情の説明がうまくいかない理由だとはわかる。


「助かった事には、お礼を言うわ。ありがとう」

「最初に言ってくんね、それ」


 その一言は余計だ。じろりと睨んでみる。抗議の意思は伝わったか、ふいと視線をそらされた。

 すこし、言い返したくもなる。

 

「貴方こそ、眠ってなくて良いの? さっき、部屋の外で倒れたでしょ」

「体は丈夫なんだよ。お嬢ちゃんとは違って」

「何それ。心配してあげたのに」

「アカデミーの元教師を舐めんなよ? くそガキ共相手に四苦八苦してりゃ心身共に頑丈になるもんさ」

「そんなものなのね。……そういえば、処刑場の時にも思ったのだけど、『元』ってどういう事」

「―― ッ!?」

 

 レオンは、周囲を見回す。今、甲板には彼とエリーザしかいない。

 船尾楼の戸窓がほんのりと明るい。きっと、他三名は中にいるのだ。その様子を見て改めて革新した。気を緩めた時、"元"という単語を使った。お兄さんを前にしたときは頑なに使わず、官吏登用資格を話題にした程。

 あれは初めて見た手前自分も好奇心が勝ってしまったが、やはり含みがある。

 今なら、聞けると思った。


「お兄さんに詰められた時、酷く慌ててたけれど」

「…… 痛ぇ事聞くなぁ」


 鼻根を抑えながら、彼はうなった。迷っている。

 言うべきか言うべきでないかを。家族を前に躊躇する事を、少し口を滑らせたとは言えほぼ他人の少女に打ち明けるわけは無いとはわかっている。だが、何故か気になる。

 根っこが真面目なのだと思った。家族に心配をかけたくないという気持ちが隠せていない。青の呪文で読み取るまでもなく、はっきりと態度に出ていたから。尤も、彼女は青の使い手ではないのだが。


「昨日の午前、資格停止になった。クビ寸前さ」

「…… はい?」


 素っ頓狂な声が喉から出てしまった。

 レオンという、数歳年上の男性がどんどん紅潮していく。なんとも滑稽に見え、かつかわいらしさを感じる。頼もしい腕をしているなと思っていたのもつかの間、小動物的な何かにも見えてくる。クマのような雰囲気を持ちながら、子犬のようなしぐさをする男。


「兄ちゃ……兄貴には黙っていてくれ」

「いや、相談しなきゃダメじゃない?」

「言うんじゃなかったぁ」

「冗談よ。言いたくないって事情があるんでしょ」


 彼は頭を抱えてうずくまった。日中に、アカデミーの服を着て処刑場(あんなとこ)にいたのはそういう事か。聞くべきでなかったのかもしれない。今、彼のプライドは少女に恥ずかしい事実を言ったことで引き裂かれている事だろう。


「ま、寸前ってことは活路も残されてるようだし」

「大手柄を立てでもすれば考慮する、ってさ」

「じゃあ今回のこのゴタゴタは絶好の機会って事ね」


 そうは言うが、自分もまだ信じられないと評した方が今の心情には合っている。


 実家を飛び出してきた。それも姉を罵倒する形でだ。

 それと比べれば、家族に心配をかけたくないと現状を秘匿しようとするこの男の方がマシなのでは、とすら思う。


 都に到着するまでの間に、身銭が相当消えた。屋敷のメイドや守衛達が今まで、関税がどうのこうのと言っていた事への実感が、飛び出すまではわからなかった。しかし、痛感したものである。関所を通るたびに暗に要求される"袖の下"。道中で向けられる下卑た目にも。


 身綺麗なまま都についたのは奇跡だったのかもしれない。

 

 明らかに()()()()の輩もいたにはいた。ただ不思議なことに、そういう手合いに出くわすとき、何かしら彼らに悪いことが起こって、助かる。

 体質というか、天運というか。口で説明するのが相当難しいのであるが、幼少期から自分は『何か』に護られているらしい。

 こんな無茶な旅に踏み切れたのも、それに頼り切っていたからだろう。


 だが、昨夜はそんなこれまでの幸運すらも踏みにじりそうな奴と出会った。


 この男と、連れの魔術師がやった事を隣で聞いてしまった。


 そして、興味をもってしまった。


 とんでもない事態に首を突っ込もうとしている事実だけが残ったのだ。


 身が震えてしまう。レオンが心配そうな表情をして、腰を上げる。


「やっぱりもう少し寝てた方が良いぞ」

「違う、疲れてるとかじゃないわ。ちょっと思い出しちゃった、あの女の事。

 今更怖くて震えてきたの。笑えるでしょ」

「笑うもんか。俺なんてずっと膝が小鹿のようだったからな」

「何それ」

「俺もずっと、俺なんかが手を出していいもんじゃない事態なのでは……って思ってる」


 互いに、自分の掌を見て、相手のも見てみる。

 いった通り、小刻みに震えていた。これでは二人とも、生まれたての小鹿だ。


「「 …ぷっ…くくっ 」」


 二人して、声を押し殺して肩を震わせる。

 だんだんと、体の奥底を渦巻いていた恐怖が温みを帯びて溶けていく。


 怖がっていることが、ちょっぴり馬鹿らしくなってきたからだ。


 もう、船には乗ってしまった。これから朝日が昇ってこようという時だ。


 日が昇ることを止められる者がいないように、すでに事態の真っただ中だ。


 今更降りようだなんて、虫のいい話ではないか。


「ほんと、今になって言うが、"合う"な」

「それ……まだ言うの早くない?」


 不思議なことに、この時の感情を変だとは思わなかった。

 第三者が見れば眉を顰めるのかもしれない。はしたないと怒られるかもしれない。


 だが己の直感が告げていた。『コイツは大丈夫だ』と。


 理由はわからない。ただ今は、まだわからなくても良いと思っている。


 朝日がまだうすぼんやりとして、既に天へと船が昇っているというのに、何故か体が暖かかったからだ。



 ※※※



 船尾楼の、船長室でク=シグに次に立ち寄る街の算段を付けていたクレイグは、ふと都で襲撃してきた女たちのことを思い出して手を止めた。


「―― 大丈夫カ、弟達にはまだ喋って無いだロ」

「悪いな、あの時は抑えてもらって」


 このリザードマンは、クレイグがやや激昂気味だった理由を知っている。

 殴ってでも止める、とコイツが判断しかねない状態に、自分は陥るだろうと思っていた。しかしそうはならなかった。


「9年ぶりだったカ。アイツ、変わってなかったナ」

「不気味なくらい、あの頃のままだった。怖気がしたよ」


 二人がそう言っていたのは、カラス色の女の事ではなかった。酒場に突撃し炎の柱を噴き上げて、焼き尽くしてクレイグと切り結んでいた女の事。

 懐かしい顔だった。あの頃と顔立ちから、肌の艶にいたるまでそのまま。

 顔を合わせた時、憎しみと怒りがわいてくるものばかりと思っていた。


「『ロベリア』だ。間違いない、アイツだった」


 己の掌を見る。記憶に焼き付いている女だ。

 忘れようがない女。それでいて、忘れたい女。そして、忘れたくない女。


 感触を覚えている。初めて出会った、あの時の握手を。


 肌触りを覚えている。初めて口づけをした、月夜に触れた頬の心地を。


 温度を覚えている。()()()()()()()時の、一糸まとわぬ身体のぬくもりを。


 痛みを覚えている。焼け焦げた地平に転がった、己や仲間の焼ける臭い。


「あの時と同じだ。―― 泣きながら戦っていたんだ、アイツ」


 記憶の最後に、焼け焦げるようにこびりついている記憶。その中に映っているあの赤い女も、血の涙を流しながら、炎の如き美しい髪を振り乱しながら、目に映る者達を躊躇なしに火だるまにしていった。


 手が震え始める。

 

「もう良イ。いらんモノ思い出させタ」

「……悪いな」


 いやな気分だった。思わぬ形で悪夢が呼び起こされる事になった。

 酒場での会話、そして襲撃の流れを思えば、弟とその友達、そしてその連れ。彼らは何かを引いてしまったとみるべきなのだろう。

 それこそ、酒場のカード遊びで手札を引き合うゲームの中で『ババを引いた』ように。


 ただ、(タチ)の悪いババのようだ。


 引いてはいけないカードを、見られてはいけない相手の前で、きっと引いたのだ。


(きっと、それが『俺の弟』の"生まれついたモノ”なのかもな)


 思い出にふける癖は、どうにも治らない。

 いやな記憶もいっぱいある。ただそれと同じくらい、美しい思い出がある。そこだけに浸れればどれほど楽になるだろう。

 気づけば、ク=シグが船長室内の窓に張り付いている。甲板の上をのぞき込んでいるようだった。


「おい、蜥蜴の癖に出歯亀か?」

「うるせェ、次蜥蜴と言ったら叩き落とスからナ。―― お前も見てみロ」


 手招きするリザードマンに小言を言いながら、促されるまま小窓から甲板を見てみる。

 すると、弟・レオンが件の少女と言葉を交わしているではないか、笑顔で。


「昨日、知り合ったばかりの筈なんだがなぁ」

「お前の弟も隅に置けねぇナ」

「…… そうかもな」


 あの顔を見るだけで、都に戻ってきた甲斐はあったと思える。

 うまくやっているかとか、何かしでかしていないかとかという心配も本当だが、実際のところ、元気でいてくれればそれでいいのだ。

 楽しくやれているか、悲しくはないか。つらい目にあってはいないか。

 聞きたいのはそこなのだ。成功したかどうかというのは、二の次で良い。


 事態は動き始めてしまっているし、途中下車ができない旅が始まろうとしている。


 後ろにいるリザードマンも、巻き込んでしまった事は後で詫びようと思っているが、目下の心配は弟の事だった。


 これからの旅が、弟にとって辛いものにならないようにしなければ。


 何せ自分は、アイツの兄なのだから。


「上手くやれっかな」

「何しみったれた事言ってんダ、やれるかなじゃねェ」


 ク=シグに、背中を叩かれた。


「やるんだヨ、お兄ちゃん」


 この野郎と思いながら、再度大人二人は船長室で地図とにらめっこする事にした。



 人間の男3人と、人間の女1人。そして蜥蜴人1人の5人組。


 珍奇な旅が、とんだ形で始まる事になってしまった。


 目指すは盗まれた国家の至宝の行方である。


 ただ、盗人の真意を彼らはまだ知らない。


 今はただ、さわやかな風が甲板をなでるだけであった。


 

これにて『序章 - 脱出 -』は終了です


次話より『第1章 - 乱 -』を開始する予定です


章訳など、サイト機能も学びつつ、ゆっくり書いていきます


みなさま何卒宜しくお願い致します

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