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第4話



 ~ 帝国首都・宮殿内部にて ~


 この世のすべての栄華が、この空間には存在していた。


 門をくぐり、巨大な柱に挟まれた玉座の間を見た者は、こぞってそう口にする。敷き詰められた大理石の絨毯。柱に掲げられるは金の燭台。

 鱗の一片に至るまで精密に仕上げられた【ドラゴン】の装飾。柱を取り巻く【シーサーペント】の彫像。獅子を象った肘掛けと、獅子の頭部を意匠として制作された玉座が、この絢爛たる空間の主が誰であるかを示していた。

 玉座は今空席である。時の皇帝はすでに後宮へ下がっており、玉座の間には本来人の影は無い時間の筈だった。

 しかしこの日は違う。玉座を下座より見上げる、小さい影が一つ見える。天より降り注ぐ月明かりが、優しく玉座を照らし出す光景を見、影はその光景に跪いていた。


「天におわします、偉大なる精霊よ」


 宮殿の玉座の間に注ぐ光は、柱と梁の間を通り、玉座の上で十字を象っていた。


「小さな我が身が、お祈り申し上げます。貴方がお許しくださった我が皇家の統治が、危機に瀕しています。我が父は大地と民の声を忘れ、聞く耳を失いました」


 小さな影が、悲しい言葉を漏らす。一言一言に、うちひしがれた子供の嘆きが込められている。身に纏う絹の衣装と、純白の肌に艶やかな金色の髪。下々の者と一線を画すその風格には、子供らしさを吹き飛ばす程のモノが籠もっていた。

 その影は、少女のものである。

 年の頃は17か18程だろう。まだ子供と大人の中間らしさを保つ声は、聞く者を立ち止まらせる鈴の音色のようだった。


「母上や兄上方の耳にも聞こえません。偉大なる精霊よ、どうか我が皇家を見放しなさいませぬようお願い申し上げます。どうか、どうか」


 空の玉座が方角に跪き、一人頭を垂れる。伏せた顔から、涙が数滴したたり落ち、絨毯を僅かにぬらした。その嘆きは、この涙のようなものだった。広大な広間に敷かれた絨毯が少しばかり濡れようが、翌日誰も気づかれる事も無い。

 それと同じように、この子の悲しみも、言葉も、あの玉座の主に届くことは無かった。


「先輩……レオン先輩。なぜ学園を去ってしまわれたのです。私はどうすれば……」


 少女は、父と対面する機会も滅多に与えられないのだから。一人こうして、宮殿の離れから抜け出ても、何も言われない。その程度の存在だったのである。

 その小さな影に、大きな影が音も無く近づいた。


「殿下、かような夜分に出歩いてはなりません。お体に触ります」

「……【虎賁】か」


 近寄るその影に、殿下と呼ばれた子供は立ち上がって応える。振り向くとそこには、一人の男性が立っていた。宮中警備の最中であったようである。背丈は常ならぬ長身。炎の如き意思が光となったが如くきその風貌は、まさに容貌魁偉というべきか。

 髪の色と同じ清流の彩りをもった鎧を着たその姿はまさしく光の化身のよう。しかし、少女は怯える様子も見せず、凜然と立ったまま、

 

「ラルフよ、今宵は其方が担当か」

 

 と、懇ろに言葉をかけた。

 

「はっ、そのとおりにございます、殿下」

「其方が守ってくれるならば、陛下も安らかに夜を過ごせる。その忠勤、大義である」

「第六皇子様自らお言葉を賜り、もったいのうございます」

「よい、皇子などと言っても、陛下は私の事なぞ気にかけておいででは無い」


 そう言って、第六皇子は憂いの籠もった瞳で虎賁の地位にある男・ラルフを見つめる。まだ若年の者がして良い眼では無い。


「さような事をおっしゃられますな。陛下は、陛下なりに殿下の事を思っておいでです」

「其方は優しいのだな、しかし、子であるからこそわかるものもあるのだ」

「子であるからこそ、でございますか?」

「うむ。遠からず父は、私を除こうとする筈だ」

「……まさかっ!!」


 ラルフは、目を見開いてそう言った。親が嫡子でも無い我が子を除くと言えば、一つしか無い。そのような事があれば、皇家の威光が傾くこと必須である。少し動揺する様子を見せるこの巨漢は、心当たりは何かを考え始める。

 まず、この子は第六皇子である。異母兄姉がおり、それぞれに派閥として将軍や官僚達が侍っている事は都の臣民に知れ渡っている。しかし、第六皇子の廻りにそのような者がいるという話は聞かない。皇帝の子はすでに9人を数える。第3と4の皇子は夭折し、2の皇子は若年より病弱であり、近年は病状の回復見込みが無い。

 故に事実上の皇位継承権は第三位という事になる。継承順位にズレはあるが、第六皇子が最も聡明であるという話は、宮中ではよく聞く話である。


 では何故、この幼き皇族に侍る将や大臣がいないのか。答えは至ってシンプルなものであった。


「どうも、父は弟が可愛いようだ。私や兄上が跡を継げば、()()()()と思っておいでらしい」


 幼くして聡明であるが故、父親に疎まれているためだ。

 兄弟間で仲が悪いという話は聞いていない。本人の人格を見ても、兄弟の皇位を追い落とすような人物にも見えない。

 しかし、歳を重ねた現皇帝は猜疑心を日に日に増している。何時何時、皇子達に火の粉がかかるか解ったものでは無く、巻き込まれ連座の上処刑という事もありうる世の中になってきた。継承権が後になっていて、かつ疎まれている皇子への接近をする物好きもいないという訳である。


「少し、二人で話さぬか?」

「承知いたしました」


 彼女は皇子の意に従い、供回りを職務に戻させて、自らは皇子に付き従い宮中を歩いた。廊を出で、月明かりの美しい庭の中へと踏み入る。そこはまだギリギリ政庁府の建物内にあり、ラルフでも立ち入りはできる場所だった。この時間、他の肉親が来ることも無いだろうと、皇子は思ったようである。

 庭の池を屈んでのぞき込み、ラルフにも身をかがめるよう促した。そして、互いの顔が近よった時の事である。皇子が、口を開いた。


「今日、白の広場で邪教徒が処刑されたと聞くが」

「はっ、羽林のドヴレチェンスキーがひっ捕らえた不埒者の事であれば」

「ふむ。処刑されたその不埒者が真に邪教の徒であったというならば、遠からずの内、これまでとは比にならぬ乱が起きような」

「……殿下!」


 ラルフは、思わず皇子を諫めた。

 虎賁、すなわち皇帝の親衛隊を司る一翼として、そのような悲観的な観測を軽々しく口にすべきではないと、このうら若き皇子に諫言するには抵抗がない。


「乱が起きる、などと日中には口になされますな」

「日中に、とはな……そなたも()()()()()()があるようではないか」

「お戯れを」

「万が一乱が起きようものなら、皇子として軍を率い討伐にという事もあり得よう」

「まずは大将軍含め、将軍府で取り決める事となりましょう。ご心配なされますな」

「其方、少し甘いぞ。父上の耄碌は相当進んでおる。将軍にのみ軍権を渡す事にも恐れを抱いている故な。十中八九、皇族の誰かに握らせる」


 だんだんとラルフにも読めてきた。確かに、第六皇子を取り囲む環境は決して良いものでは無い。それは彼とて感じ取っている事である。

 加えて情勢が情勢だ。外より入ってくる報告は芳しくないものばかりであり、西方の大乱は未だなお鎮圧の目処が立たない。そんな外界に、都の中しか知らぬ皇子が出て行くのは危険極まりないではないか。皇子の纏う気配に、重みが増す。


「その時は、其方をつけてくれるよう言上するつもりだ。頼りにしている」

「恐れ入ります」

「……願わくば、"先輩"にもご助力を願いたかったが」

「??」


 ほんの僅かな間だが思考が逡巡する。だがすぐに、アカデミーの上級生か卒業生の事であろうと察した。

 皇子はまだアカデミー在学の立場でもある。皇族特有の通い方であるから、ある程度縛りの上であるが。その時のご学友との付き合いなどは、歴代皇族にも存在していたし、それ故のトラブルなども記録には残っている。


「その方は、どこぞに仕官を」

「していない。そのまま8年生となられたが、今昼に学園を去られたそうでな」

「それは、残念ですな」


 味方の少ないこの第六皇子にとって、数少ない信用出来る相手だったのだろう。


()()()がそこまで仰るとは、随分と腕の立つ魔術師なのでしょう」

「身分に関係無く分け隔ての無い方であった。今頃は街か、はたまた何かに巻き込まれているかもしれぬ。

 破天荒な御方であった故な」


 そう言って、第六皇子は簪に触れた後、庭からも見える都の町並みへ目をやる。


 そして視界の先、赤の広場付近で、大きな炎の柱が立ったのが見えてしまった。


「……何だ、あの火の手は」



 ※※※※※※


 

 ~ 帝都・【青銅の蹄】 ~



 目の前を眩いほどの何かが支配した時、レオンは首筋を誰かに引っ張られた。その事は覚えている。未だ鳴り止まぬ耳鳴りと、一向に戻る気配の無い視界の中で両手をまさぐり、何か掴むものは無いかと必死になった。

 今のは、何だ?

 思考が一週遅れで追いついて来る。何なのかとは考えるまでもなく、あの閃光と衝撃は爆発によるものだ。それも、純度の高い赤の魔法によって引き起こされたものである事も理解した。


(何というマナの密度だ)


 内心レオンは舌を巻いた。一定量のマナを一点に凝縮し放出するというのは、言えば簡単だがとても高度な技量が必要な魔術の行使である。ただ火炎放射を行ったりするのとは訳が違うのだ。

 少ないマナの消費量で最大の効果を発揮するのに最も効果的。

 それを相手は初手で行ってきた。何という相手だとレオンは感じたのである。自らに覆い被さっていた瓦礫を押しのけて、立ち上がった。

 ようやく見えてきた視界の中に、最初に飛び込んできたのは、吹き飛んだ床板と真ん中にできあがっているクレーターであった。店内の構造物が先ほどの衝撃で吹き飛ばされており、内部で台風が起こったと言われても一瞬納得してしまいそうな程である。酒瓶や酒樽が四散しており、砕けた机椅子の破片達が壁や床、天井にまで突き刺さっていた。割れたグラスや溶けたジョッキが散らばるそれらの光景は、ある種の虚しさすら感じ取れる。

 レオンは、そのクレーターの中心に跪いて周囲に耳をこらす一人の女を睨み付けた。

 炎そのものが、人の姿となって現れた存在。彼は最初、そんな事を脳裏に浮かべた。深紅のガウンとカフスに、それこそ燃え上がる炎が如き揺らめきと怪しい光を持った赤い髪。暖炉の中から炎の精霊が現れるという昔話を思い出す。

 今、彼の目の前にいる女は、まさしくそんな精霊のような女であった。


「クレイグ、何処? クレイグ……」


 うわごとのようにそう繰り返す女の目は、焦点が合っておらず、方々の瓦礫にめをくれては落胆したような顔を見せている。コイツは一体何者なのだろう。落胆していると思えば、今度は突如悪鬼が如き表情へと変貌し、


「クレイグゥ!!」


 そう一言叫んだ。ただそれだけ。

 それが爆風と爆炎を伴わなければ、待ち合わせに現れない男への苛立ちのようなヒステリーと、笑っていなせたモノを。レオンは、横の瓦礫に未だ埋もれているギルベルトに目をやって、自らの体温が下がっていくような、そんな感覚に陥る。

 このままここにとどまってはマズい。そう判断した彼はギルベルトを瓦礫から引きずり出して、奥の廊下へと引き下がった。幸いな事に、あの炎の女は盲目的にただ一人を標的にしているかのようであり、レオンとギルベルトには気づいている様子が無かったのである。しかし、一つ気になる事があった。


「兄貴の事、だよな」


 クレイグ、と女は叫んでいた。その怒りの対象は、レオンの兄へ向けられたものであろうと推察は出来る。しかし、天下は広い。同姓はともかく、同名というのはよくある事だ。人違いで襲ってきたのなら尚更たちが悪いが。

 一足先に、奥の廊下にいた兄・クレイグを振り返ったレオンは、息を呑む。

 兄の表情が、今まで見たことの無い代物へと変貌していたからである。眉がつり上がり、目は見開かれ、怒りのあまりに髪が逆立っている。顔面に血管が浮かび上がるほどに、硬直していた。全身の血液が煮立っているかのようである。


「あ、兄貴?」

「レオン、ここは俺と替われ。お前は一足先に嬢ちゃん達と合流しろ」

「いや、あんな赤魔術師、アカデミーでも見たこと無い。って、兄貴は」

「魔法の耐性って奴か? 心配するな」


 怒りに震える手を弟の肩に乗せ、クレイグはそう言った。

 眼の奥には、怒りとも悲しみとも言えない複雑な色がある。怒りが勝ってしまっているようだが、根底には別の感情が込められている事に、レオンは気がついた。あの赤い女が言うクレイグとは、やはり兄の事だったと。何かがあった間柄なのだ。それ以上踏み込むのは無粋だと弟は感じて、素直に兄の言葉に従うこととする。

 『青銅の蹄』の廊下は、裏口に繋がっている。

 裏口とは言いつつも、通用口のように普段使用するモノでは無い。"万が一"という時のために逃げられるよう設置してあるもので、この存在を知ったのはついさっきの事である。マスターが、客達を逃がすのに使ったのもここだ。

 裏口を抜けて、街の裏通りへと脱出する。そこにはエリーザと、ク=シグが待っていた。


「おい、二人だけカ? クレイグはどうしタ」


 ク=シグがレオンにそう聞いた。ようやく意識を取り戻したらしいギルベルトはと言うと、状況を理解するのに時間を取られているようで、周囲を見回している。


「兄貴は中に残った。さっき店内に押し入ってきた奴、兄貴の顔見知りらしい」

「どういう事だ?」

「女だった。どういう奴かは知らない。ただ、とんでもない類いの魔術師なのはわかる」

「相手の魔術はさっきの爆発からして、赤?」

「あぁ、赤だ。燃えるような赤い髪だった」


 そう言った時の事である。ク=シグが大きく顔をしかめたのだ。

 彼も何か理由を知っている訳だが、詳しく聞こうにも時間が足りない。だがふと思うことがある。彼らの仕事柄、都のアカデミーで過ごした自分以上に死線をくぐっている筈だ。このリザードマンは正確には傭兵と言うよりは一種の『運び屋』と称するが正確な所だが。ここにいるという事は、おそらく兄が説き伏せてくれたのであろう。


「さっさと行くゾ。クレイグは『心配するな』とでも言ったんだロ?」

 奴がそう簡単にくたばるタマカ? 遠からず戻ってくル」

「俺たちはどうするんだよ、都を出るにせよ残るにせよ、何処へ行けば良い」

「そこは俺の出番という奴サ、小僧」


 この胡散臭い蜥蜴野郎は何を企んでいるのやら。知り合って数年経つが、喰えない奴だった事をレオンは思い出す。都を脱出するツテを、コイツは持っているというのだろうか。ともかく、既にある程度の話は済んでいたのはわかった。それを察したエリーザも納得したような表情でレオンとギルベルトの反応を待っている。彼はここで、一つ聞いておかなければならないと思った人物がいた。エリーザの事である。


「なぁ、Miss.ヴェックマン」

「何かしら、緑の魔術師さん」

「ベインズで良い。お前、このままついてくる気か?」

「あら、女の子がいると心許ない?」

「そういう意味じゃ……まぁ良いか。事情知ってる人間が散らばるのもマズいしな」


 都は、遠からず出なければならないとは考えていた。それが前倒しになっただけと思えば良い話である。ただ、何とも前途多難な出だしでは無いかとも思っている。このような手合いが真っ先に襲ってくる事になろうとは。

 黒い月は、あんな連中までも抱き込んでいるという事なのか。

 それとも、たまたま襲ってきたタイミングで勘違いしただけで、兄達の首を狙った私闘によるものなのかは判断ができかねている。兄は、そこまで恨みを買っているというのだろうかと考えると、弟としては複雑な気分だ。


「で、リザードマン。貴方の出番と言うけれど、アテはあるの?」

「あるサ。都の西、船着き場に船を一艘とめてあル。それで脱出ダ」

「船?」


 水路で、と戸惑いかけた。だが都における水運の入り口は西()()()()()

 まさかと思いかけるが、考えるのは後回しだ。

 

「夜間通行は出来ない以上、陸路は確かに無理だ。シグの案で行こう」

「西の船着き場だな、よし。皆走るぞ」


 話が決まったのならば、即行動に移さなければならない。店に近づいてきた敵意ある反応は二つだった所を考えると、もう一つが動いていてしかるべきだからである。二つが同時に店内に躍り込むとは考えにくい。一人が正面、一人が側面や裏手に回るのが自然というものだ。

 そう思えば、ここに長居も出来ない。兄が心配だが、彼らならなんとか切り抜けるだろうという楽観があった事は否定できなかった。


 そう思って、路地を走り抜けようとした時の事だ。


「ん? アレは何?」


 一番初めに異変を察知したのは、エリーザであった。

 彼女がそう言って指さしたのは、街中に作られた墓所である。巨大な都の中には、墓所も点在しているものなのだが、彼女が何故そんな所を指し示したかを理解するのに、時間など必要なかった。

 何者かが、墓所の入り口に立っている。それも一人では無い。夜であるため、顔はよく見えなかった。それらは確かに人間の姿形をしている。しかしどこか挙動がおかしい事にもすぐに気がついた。手の振り方や、首にあまり力が入っていないように見える。酔っ払いの歩き方とも、少し違う。


 ―― アレは、何だ?


 あれらは、真っ直ぐこちらに近づいてくる。その奥をよく見ると、数が尋常では無かった。数十人はいるのではなかろうか。路地からどんどん増えていく。近隣の家々を見上げてみれば、一切の生気が絶えていた。


 ―― アレは、何だ?


 理解が追いつかない。

 先ほどの爆発が赤の魔法によるものとすぐにわかったのも、長きにわたるアカデミー生活による魔術知識のたまものだった。少なくとも、それは誇りとする所であったし、7年生という立場になるだけのモノを備えている自負がある。

 それら知識をもってしても、心当たりがない。


 ―― アレは、何だ?


 魔法によるものである事は容易に推察出来る。あれだけ大勢の人影が、夜になろうというのにも関わらずこちらに向かってくるのだから。方々に明かりは灯っているため、だんだん全容が明らかになっていくにつれて、理解が追いつかなくなっていくだけなのだ。


 今夜は、忘れられない夜になる。


 などと絵物語や講談師がはやし立てるような光景であるが、これは笑えない部類だとレオンは思った。目の前に群がってくる人々は、すでに屍と化していたのだから。血の気の無い肌に、所々腐り落ちた肉体と露出した骨。ボロと化した死に装束と、土のついたままの爪。忘れられないという意味で言えば、確かにその通りだ。

 店の正面に繋がる通りから、一人の女性が姿を現した。

 黒いドレスにヴェールを纏ったその姿は、夜の化身が如き妖艶さを誇り、死という概念そのものが形となったかのようである。


「こんばんは、月が綺麗な夜ね」


 その場の雰囲気と全くそぐわない挨拶。この光景を作り上げたのは、目の前に現れた女で相違あるまい。その場の誰もがそう思ったが、声に出すことが出来なかった。このような魔法が存在するなぞ、聞いたことすら無かったからである。魔法に通ずる立場な魔術師二名が、頭の中で繰り広げられる混乱を収める事が出来ず戸惑う。

 少女であるエリーザも困惑するのは当たり前である上、この中で年長者たるク=シグも面食らった表情を隠せない。


 こんな魔法系統、知らない。


「何者だ、お前」


 ようやく、口を開くことが出来た。レオンにとって、他者にこのような恐怖心を抱くなぞ何年ぶりの事であろう。目の前にいる黒い女の"存在感"は、大の男をしてそう思わしむるに十分だ。女は、笑みで応えた。


「答える義理は無い……と言いたい所だけど」


 そう言って、彼女は手を振るう。

 その仕草に従うように、死者達の歩みは一度止まった。一同は息を呑んだ。この女は、これらの死体を操っているのが自分である事を、自ら明かしたのだ。余程の自信があると見える。


「私の廻りでは死者の眠りは浅いの。貴賤を問わず」

「寝ぼすけが使えるとは思えねぇがな」

「あら、強がりは達者なのね」


 女は屍に囲まれた中で笑う。その笑みはとても自然なものであった。いわゆる"ハイ"な高笑いでも無ければ、声を殺して笑う日陰者のソレでもない。ごくありふれた笑み。それが、一層の空恐ろしさを感じさせる威力をもって彼らに襲いかかっていた。


「貴方、その服を見るにアカデミアの生徒さんかしら?

 ならわかる筈でしょう、貴方を狙う"心当たり"くらい」


 黒い女はもう一度手を振りかぶる。起き上がった者達が、身構えていく。それらを見るレオン達の目を見て、女は小さく笑った。レオンは、最後尾にいるギルベルトに目配せする。こんなところで、まともに干戈を交えるのは愚策だ。特に、本質のわからない魔法を相手にするとなれば尚更である。


 無駄にマナを消費する訳にはいかない。


 魔術師同士の対峙に、慣れてすら居ないであろう女の子がこの場にはいるのだから。

 ギルベルトはレオンの眼に宿っている意図を察し、エリーザの肩を軽く叩いた。この少女は聡明だ。意図は伝わるだろう。幸い、ここは細い通りが幾つにも分かれた通りである。都の造りに通じていなければ、追ってくるのも難しい。


「逃げるぞ!」


 店の中にいる兄等が気にかかるが、背に腹は代えられない。それにこの女の目的は、間違い無くレオン達三人だから。そう確信をもって、レオンは大きく振りかぶり、石造りの路面に視線を落とした。この広大な帝都には、人の営みと自然を取り入れているため、潤沢なマナを得ることが可能である。

 故にこの女もこんな大胆な魔法を行使出来るのだ。

 先ほどの、宿を襲撃された時もそうである。レオンは、最小限でこの場を乗り切るにはどうするべきか、宿を飛び出した時から考えていた。まさか、こんな訳のわからない魔術師と出くわすとは思っていなかったが。


「――『巨森の覆い』」


 彼は口元から呪文を紡ぎ出し、右腕を地べたへと押しつけた。

 すると、接地した部分から、鮮やかな緑色の光がほとばしる。朝の光を、緑の木々の間を通してみるような、明るく鮮烈な光であった。光と共に石畳を突き破って、地上へ現れたのは、無数の木の根と蔦。みるみるうちに、うごめく死者達とレオン等の間に根と蔦が絡み合う巨大な壁が形成されていく。


「時間稼ぎのつもり? くだらない」


 壁の向こうから、女の声が聞こえる。あの死者の数から見て、突破されるのは時間の問題であるが、ある程度の時間は実際稼げたのだからよしとしよう。レオンとギルベルトは互いを見合わせて、


「――『苔のホロウベア』」

「――『大気のプラズマ』」


 マナを練り上げ、唱えるモノの本質を言葉に乗せる。それがどんなモノであるかを理解し、行使する事で姿を形成する事が出来る。

 "召喚魔法"は、その中でも代表と言っても良い。

 レオンの目の前には緑色の光が集まり、ギルベルトの前には淡く蒼い光が集まっていく。木の葉が舞い、流水が宙を流れるように、力場が二人の前へと収縮していく。それと同時に、レオンが作り上げた壁が、みるみるうちに腐り果てていく。地面をも突き破る植物の力で練り上げた壁が、長い年月風雨にさらされたかのように朽ち果てていく様は、彼の魔術師としてのプライドををもへし折ろうとしてくる。


「なぁギル、あんな魔法知ってるか!?」

「知らないよ! 死者を操るだの、生物を腐らせるだの!」


 命の営みの象徴たる"緑"や、知恵の象徴たる"青"。その使い手として長く勉学を重ねてきた身として、知らない事に出くわす事は、普通であれば胸が高鳴り新たな探究心の芽生えに喜ぶ所である。


 しかし、アレはそうではない。


 命の営みと対極をなす、命の終演。成長はなく、腐敗の象徴。そんな魔法が存在するなぞ、生まれてこのかた聞いたことがない。アカデミーの蔵書に収められている、数多の魔術書にも、こんな魔術の記載は無い。


 精錬・協調の白。

 知識・策略の青。

 生命・本能の緑。

 怒り・暴力の赤。


 これらがこの世界を構成する魔術の根源・マナの全て。それが、彼らが教わってきた魔術であり、この世の真理そのものであった。これらは正しいものとして、生きとし生ける全ての知的生命体の共通認識であった筈だ。


 だが、目の前のアレはどうだ?


 腐り、蔦が根から剥がれ落ち、根っこの樹皮がまるでささくれのようにめくれ上がっていく。中の芯が黒く変色していくのがわかる。木が死んで行っているのだ。


 アレは、何だ?


「「 行けっ! 」」


 何度も頭の中を駆け巡るその疑問と恐怖を振り払うように、二人は叫んだ。


 レオンの前には、表皮に苔が生えている巨大な熊が現れていた。涎をたらし、血走った目で咆哮する荒々しい姿である。

 ギルベルトの前には、水とも雷とも言いがたい影が現れていた。人のようでもあり、大トカゲのようでもあり、熊のようでもあり、豹のようでもある。見る者によって見えるモノが異なるその怪物が、全身から魔力を溢れ出させているのが、雷が走っているように見えるのだ。


 二つの巨大な影が、腐りかけた壁に肉薄する。


 してやったりと、レオンの口元に笑みが戻った。狙いは最初からこれだったのだ。大きな壁を最初に"生物"で形成したのは、死体を操っていたのが女であった事から、死に関連した力を行使していると思ったからである。

 自然の力をもって、風化を早める緑の魔術師にああいう真似は出来ないため、岩石などの無機物による壁を避けたのだ。そして、腐っているのは根っこにあたる壁の下部の部分。レオンにとって見れば、今の段階における最高の条件に持って行けたのだ。

 質量のある生物がぶつかった事で、その衝撃に絶えられなかった"腐った壁"は、その腐敗した部分からへし折れ、死者達の方向へ倒れ込んでいく。


「潰れろ」


 ギシリと木のきしむ音が聞こえるや、轟音を立てながら壁が死者達の方角に完全に崩れ落ち、土埃が舞い上がった。やったとは思っていない。生き物を腐らせる手法を容易に取れる女が、こんな陳腐なテで容易に退けられる筈が無く、逃げの時間稼ぎと相手の数を減らす事が出来れば良いのだ。

 その点、成功とも言える。ぐしゅりという音と共に多数の何かが潰れる音がしたからだ。

 遺体損壊で、彼らの親族から訴訟を起こされないかと不安になるが、そんな事も行っていられない。それを言い始めれば、都の石畳を破壊し通路進行妨害、加えて一件の飲み屋爆破の遠因となりかつ数多の墓を掘り起こし遺体を損壊。もはや都に長居出来ないのは確定事項なのだ。自分で引き起こした事だが。


 さて、ある程度時間を稼いだ事だし自分たちも。そう彼らが考えたときの事である。


 倒れ落ちた"根の壁"の下から異音が聞こえ始める。水音のようで、何かが折れてひしゃげるような、そんな異音。造りを無視した乱雑なくみ上げ方をされる木材のような、そんな異音。一瞬、出遅れた。彼らのそんな隙を突くかのように、根の壁が突き破れ、その向こうから"人の手で出来た手"が現れた。巨大な手を、人間のパーツが構成している、と表したほうがより正確であろう。


 人の腕が、指になっている。親指に二本、人差し指からは一本ずつだ。そして脚や胴のような太いパーツを集めて"二の腕"などを形作っている。


 アレは何の冗談だ?


 二人はそう考えていた。受け入れることを頭が拒否していたと言っても良い。死体を用いて新たな身体を作り上げ、動く意思を盛り込んでクリーチャーに仕立て上げる。これ程の、天におわす精霊をも恐れぬ『悪行』に、身を震わせる。あまりに不敬、あまりの慢心。これ程までにおぞましい魔法を、彼らは知らない。


「――『死巨人の残り香』」


 女の声が聞こえた。落ち着き払っており、この状況を楽しんでいるきらいすら見えるその音色に、怖気を感じた。


「お前のその魔法は何だ!?」


 レオンは、思わず叫んだ。聞かずにはいられなかった。言わずにはおれなかった。赤の火力に押し負けたとか、白の神秘に拒まれたとかならばまだ納得もしよう。しかし、訳のわからぬ魔法に、理解の及ばぬままいいようにされるのは恥辱の極みである。


「命を弄ぶ魔法なぞ聞いたこともない!」

「弄ぶ? 失敬な子ね」


 女は心外であると言わんばかりの声をあげ、土埃の奥から姿を表した。

 壁を突き破った死体で出来た巨大な腕は、壁を終には割ってその全体像を表していく。巨大な、人間の上半身が現れた。人の腕や脚、胴で作られた上腕と下腕。人体まるまる一つをねじ曲げて作った胸筋に、脚二本を組み合わせた鎖骨。そこから上には、何も存在しなかった。

 頭だけ無いという事が、この不快で不気味な巨人に自由意志が存在しない事を示している。


「私はこの近辺が、"一族の墓"が含まれる事に気がついただけよ?

 家族同士を引き離すなんて、残酷な真似出来る筈が無いでしょう?」

「だから、つなぎ合わせたのか?」

「そうよ、何か問題があるなら言って頂戴。夫と妻、父と息子、母と娘。

 引きはがす事の出来ない強固な縁はこうしてずっと続く。私のおかげでね」


 理解が出来ない。


「だから教えてあげる。普通の連中はつまらないからすぐ人形にするのだけど、貴方達は面白いもの。それにその可愛らしい熊と雲も、もっと素敵に出来るわよ?」

「「 御免被るねっ!! 」」


 冗談では無い。召喚魔法は血と汗と涙の結晶と言っても良い魔術体系の一つである。その規模の大小はどうであれ、出来たことそのものを魔術師は誇りとするものなのだ。それを容易に、『もっと』などと言ってのけるのは、余程鈍感なのだろう。

 魔術師のプライドを、何も考えずに踏みにじっている事なのだから。

 撥ね付けられた事そのものが理解できていないのか、女は首をかしげている。自分の申し出を断られた経験があまりないのだろう。


「何故?」

「何故もクソもあるか、カラス女」

「自分の方がもっと強いって、言われて怒こらないのは聖人だけさ」


 女はムッとしたように頬を膨らませる。こんな場面で無ければ眼を惹かれるような容貌なのだが、光景が全てを無駄にしてしまっていた。


「カラス女とは、無礼な……と思ったけど、名乗って無かったわね」


 女は服にかかった土埃を払い、二人から眼をそらさぬままに一礼して、


「私は、メラーナ。故あってあなた方を襲うけど、恨みは無いのよ?」


 そう名乗った。こちらの名乗りも聞かぬまま、屍の巨人が動き出した。


 

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