間話一編 ~北夷~
~ 帝都北方・北夷の地『セトゥゲル高原』 ~
帝国の領外は、夷狄の地である。
豊沃な地に建国された『帝国』とは違い、この地は痩せていた。冬で無ければ日の光が差し、緑も生える。
だがこの地には大きな森が無い。
巨大な川も無い。
貯水池は、一応ある。だが全土を賄うにはとても足りない。
そして雪が降る。帝国より深く、長く。
それは実りを補足する。農耕をしようにも、帝国には届こう筈も無い。
時には日照りが続く。そして冬には凍土ともなる寒暖差。弱き者は生き残れない。
週の食を確保するために狩猟を行い、飲料や衣類を安定供給するため遊牧生活を送る。
それがこの北夷の地。蛮族と帝国文化人達がみなす者達が住まう場所。
この地を治める【単于】の居城には、高原に住まう各部族の長が集う。集会は年に三度。
ただ今回は年次の定期的なものでは無かった。
「招聘に応じ、参上仕りました。テングゥリ、クゥト、デルグゥ」
蛮夷の皇帝が前に、初老の男が一人、跪く。人間種では無い。
形は人に近い。手は二つ、脚も二つ。ただし顔と他はそうで無かった。
狼頭人身の獣人種、『ルー・ガルー』だ。
「『左谷蠡王』よ、大義である。面を上げよ」
玉座の間には、単于とその狼人、そして衛兵が少数。
他の部族長等はしばらく後に挨拶へ来るだろう。
この間の主、平原を統べる主にして、諸部族が戴きに座する者。
それが単于だ。
左谷蠡王と呼ばれた初老の狼人は、跪いていた顔を持ち上げた。
視界に映ったのは、人間換算で齢19を数える『竜尾族』の少女である。
頭と身体は人とリザードマンが混じっている。人の顔、鱗に覆われた耳と手足。
大人の脚程の太さはある尻尾は、身長と同じ程度の長さがある。そして頭には二対の角。
身の丈は、一丈はあるだろう。この国では誰よりも"大きい"人物でもあった。
「……昔からそなたは頼もしいな。後々の作戦に際しても期待している」
「ありがたきお言葉。先代、御父君がご恩に報いましょうぞ」
今、単于の居城へ挨拶に集う部族の酋長達。各々が、今日に限っては『軍装』で集まっていた。
これは、集会の日取りを伝える使者が、そうせよと伝えたからだ。
これだけで各酋長には意味が伝わる。「出撃準備を整えて、代表だけ集まれ」という内容が。
居城に到着しつつある酋長達の顔は皆、喜び勇んでいた。
虎族が爪を研いでいる。
牛族と犀族は己の角と手斧を磨いている。
鳥族は己の羽毛状態をチェックしている。馬族は各部族の弓をみてやっていた。
各々が、すぐにでも出撃できる準備を整えて、居城へ集まっているのだ。
「しかし奇妙ですな、『左骨都侯』の姿が見えませぬが」
「おぉ、左骨都侯ならば、きやつの旗下と共に、調達した武器の検品をしてくれておる」
帝国人にしては気が利くヤツだ。取り立てた甲斐があった。
そう口にする少女を、初老の狼人は心配そうな眼で見やる。
「左谷蠡王、帝国人だからと彼奴を目の敵とするのはよせ。ああ見えて、良き奴ぞ?」
「善処いたします、単于よ」
人の良き点をまず見て認め、他の綻びはさして気にしない。加点を重んじるこの人柄は、うら若き単于の良き所だ。
しかし相手はよく見るべきだとも思う。
【骨都侯】は、政治補佐である。その座に帝国の人間を据えた。そこに反感を持つ者は多い。
帝国で言う皇太子にあたる【左/右賢王】も今は空席。
王の称号を持つ者で、単于を護ろうと本気で考えているは自分くらいだ。
「おや、左谷蠡王『ビルゲ・アーシナン』様。ご到着だったらばお出迎えいたしましたものを」
玉座の間に、一人の『人間』が入って来た。やや着古した高原部族式にあんだ毛皮の外套を、帝国式の軍装に纏わせている。
目つきは猛禽の如く。ウェーブのかかった金髪は肩まで伸び、顔の右側には火傷跡がある。戦でつくったであろう生傷も、顔のみならず手足にもみられた。
場数だけで言うなれば、この場、この高原のどの者共よりも多く、長い。
左谷蠡王・ビルゲは、この怪しさの臭いが勝る帝国人相手には、どうしても顔をしかめてしまう。
「おぉ左骨都侯……いや、今は【征北大将軍】とお呼びすべきか?
『ユーフェミア・イリイーニチナ・スハノヴァ』殿」
初老の狼と、歴戦の人間。二人の間に流れる空気は剣呑としていたが、単于はそれに気付いた様子は無かった。
自分にとっての"お気に入り"が場に揃っている事が嬉しい様子であり、その気持ちの方が疑い等より勝るのだ。ただそれだけの事。
「よし、二人とも揃った故、すぐに本題と行こう」
単于は、玉座の脇に用意していた、大きな紙を広げてみせる。
それは帝国の地図であった。ユーフェミアがさしあげたものだと聞いている。
「喜べ、ビルゲ。知らせによれば、帝国の西方で【黒い月】なる者共が一斉蜂起したそうじゃ」
「例の"教会"に喧嘩を売った教団ですな。彼らが、一斉蜂起?
叛乱なぞ、今やあの帝国ではさして珍しくもありますまい」
「規模が桁違いなのだよ、左谷蠡王殿。
信徒は百余万、兵士となれる者のみを見繕っても、2~30万はおりましょう」
ビルゲは目を見開いた。最初は信じていなかった情報だったから。
居城で改めてこう聞かされ、ようやく真の話かと受け入れる事にした。
「左骨都侯の"本業"筋からもあがった話よ。
それに、帝国内部に散らせた"同胞"からも同様の知らせが来ておる」
「なんと。我が元にも一報は来ておりましたが……よもや真とは。
これまでの"乱"は、大抵1~2月と保たず討ち平らげられるものが殆ど。
先も見据えておらぬ八つ当たりばかりでしたので」
そう。それ故にこの『高原の民』も動けなかった。
万全の帝国に挑むほど愚かでは無い故に。しかしその認識自体が、誤りだったようだ。
軍は機能しても、乱を防ぐ事が出来ていない。あそこで起きればこちらで起こる。
民を御す事がいよいよ出来なくなっている。あの大帝国が。
「裏が取れたのならば、帝国の混乱ここに極まれりという訳ですな」
「まだピーク、という訳ではありませんが。
これまでとは規模が段違いですか、中央軍が帝都を空けるのも時間の問題かと」
「其方が前々から言っておった、『虎賁』と『羽林』の事か?」
「はい。宮中警護の彼らは、墜ちたとは言え正規軍きっての精鋭、その選抜組。
皇族による征伐軍が編成される際、彼らも組み込ませようかと」
ユーフェミアの言葉に、ビルゲは待ったをかける。
「いや、順序から言えば『大将軍』を立てて軍を編成するのであろう?
それこそ其方がその一人ではないか」
「北は……私無しに立ちゆきませんので。
それに皇家は、水面下で跡目争いが始まっております、手柄欲しさに門閥の手下共がこぞって担ぎ上げるでしょう」
ユーフェミアはそう言うと、二本、指を立てる。
「虎賁中朗将、『ラルフ・ボニファティウス・メービウス』。
羽林中朗将、『セルゲイ・ドヴレチェンスキー』の両名は"万人敵"なれば。
帝都からはどうしても遠ざけておかねばなりませぬ」
万人敵とは大きく出たものだ、一人で一万の兵に匹敵するという。それが二人?
それも本当であれば確かにいなくなってくれる方が都合も良い。
「故に、私からは既に帝都へ推薦状を出しております。粉をかけた貴族が今、陛下へ奏上なさっている事でしょう」
単于は、そのユーフェミアの案に乗ったのであろう。
間も無く、各酋長もこの間に集まって経緯を聞く事となる。
今からでも予想が出来るというものだ、猛りに猛った連中が咆哮をあげる光景が。
帝国は、幾百年もの間北方の夷狄に対して辛く当たってきた。鬱憤が溜まりに溜まっている。
痩せた土地で我慢しながら育てた作物が持って行かれた。突如襲われ戯れに犯された娘が出た。
生まれた『混血児』は、大抵どちらからも同族と受け入れてはもらえずに殺されるか、奴隷として売り飛ばされた。
時にはもの珍しさから毛皮が狙われ、理由も無く襲われ殺された部族があった。
定期的にやられるものだから、元々の数が少ない部族は壊滅し姿を消すこととなったのだ。
600年前には『鰐族』が絶滅した。
はっきり言おう、もう限界だ。良く耐えた方だとすら言える。
「南下するには絶好の機会よな!
我が民に、取れたての野菜と干していない肉をたらふく食わせてやれる!」
「それと雪の少なく、暖の取れる家ですな。
長く日の当たる畑と、豊かな川も。毛布一枚のために同族を殺す事も無くなります」
そして、各酋長が玉座の間へ集まっていく。
「ご壮健な事、お喜び申し上げまする!
『ローエウェル・レンティ』様! 大いなる"撐犁孤塗単于"よ!!」
響き渡る酋長達の大音声の中、単于として君臨する少女は応える。
もう間も無く、南下は始まる。帝国人の手引きによって。
帝国人が"どちらを謀っている"のかは、今は当人以外誰も解らない。




