第14話
~ 郡都『ドゥプロナール』太守邸・廊下 ~
「……驚いたな。いや、敵ながら賞賛に値するね」
「はぁーっ、ふぅ。こ、これ……し……き♥ ぐっ」
「まぁ、トンで無いだけか。藁一本にかろうじてぶら下がっている。見上げた強情さだよ」
ギルベルトは、力無く蹲りながらもこちらを睨み付けているタンザナを見て、そう言った。
彼が先ほど、地下で言ったようにこの女は罠にかかっている。一方通行な"効果の押しつけ"。それは上手い事作用して、足を動かなくさせていた。
「何故……だ? 私に、は……香は効かない、のに」
「あぁそこ気になるんだ。僕も気にはなっていたんだよ。
屋敷一軒、娼館に変えてしまうような規模のお香を使う奴が、どんな対策を打つか」
女は今、手足を縛られている。レオンの作り出した、鋼鉄並の硬度になっていく蔓をもって。
その女の眼前で、一つ一つギルベルトは指を立てて言葉を繋ぐ。
「お香の効果を和らげる薬を前もって飲んでいた。
マスクなどで吸引を防いでた。
先天/後天的にお香や毒の類いが効かないから仕様に躊躇しなかった」
彼の声音は穏やかだった。だが目は笑っていない。
「たぶんどれかだろうと思ったんだ。予想が当たってよかったよ」
ギルベルトはタンザナの頬を掴み、締め上げる。
「ぐぁっ! くっう」
「己には効かないからお香を使った。
なら、『効いてる奴に働いてる効果』を『呪文で移し替える』なら効く筈だよな?」
締め上げる力を、どんどんと強めていく。爪が食い込んでいく様子が第三者からもよく見えた。
「貴様の名は?」
「……た、タンザナ」
「タンザナ、ね。【タンザナイト】にあやかったか。『知性』の石言葉にしては、頭が弱いな」
そんなギルベルトの様子を見ていた三人は、正直に言うなれば引いていた。
エリーザは露骨に顔が引きつり、大人二名も目をそらしている。
「えっと、これ、どっちが悪人?」
「俺も思ってたけど言わなかった事ヲ」
唯一引いていないのはレオンだけだ。
彼は相変わらずだなぁと言いたげな表情で見つめている。それと、耳と鼻を時折ひくつかせていた。
「で、お前は何をやってるんだ?」
「兄ちゃん? あぁ、やっと万全に魔法を使えるからさ。『北部馬の鼻』と、『屋根裏鼠の耳』ってヤツを使ってた」
「耳と鼻を良くする、か。何か収穫は」
「あるよ。それに兄ちゃんにもそろそろ聞き取れる筈」
馬は人の約2.5倍の嗅覚、鼠は約5倍の聴力がある。レオンはそれをもってして、屋敷の外の様子を窺っていた。
金属のこすれる音が、少し増えている。
「外の衛兵が、おかしいと思い始めてるみたい。
すぐに突っ込んでこないのは、多分太守の"日頃の行い"のせいだろうね」
「……じゃあ、そう時間はかけてられないか」
レオンの言葉に反応したのは、ギルベルトだった。タンザナに再度顔を向ける。
「太守の妻子は無事か? それと何処へ隠した。……お前等の"目的"は?」
「はっ、せ、精神魔法なりで……ん♥ 心をよ、読んだらどうなの」
「その手には乗るか。どうせ『心の水鏡』なりで、カウンターする気だろう。
素直に喋るなら、拘束はするけど呪文は解いてあげる」
「だ、れが……ぁ♥」
何とも強情な女である。この状況下でそれが言える度胸にだけは感心したい。
だが、そろそろ屋敷の様子がおかしい事は気付かれ始めているとなれば、急がねば。
「では仕方が無いな。ここの五人分で済ませていたが ――」
「待って、待って五人分?」
嫌な予感がする。エリーザは思わず口走った。同じ女性としてこの光景は正直見ていて辛いのだ。
自分達に降りかかっている『お香の効果』が今、呪文で"敵対している女"に降りかかっている。それは五人分と言った。
つまり自分達にかかっている『効果』だけという事だ。
「エリーザちゃんだって気付いてるでしょ? 屋敷の座敷とか方々でまだ『大乱闘』してる音が続いてるのはさ」
「―― ッ!? ひっ!!」
タンザナと名乗った女も、ギルベルトの言葉で事の次第に気がついたようだ。
「素直に話した方が身心のためだ。屋敷内の百数十人余り。
皆が今味わっている『性欲』と『性的快感』も、『絶頂』も全て君一人で負担してもらう」
聞いているこちら側までも、身の毛のよだつ台詞である。
「やっぱり、今だけ私達が悪役じゃない?」
「だ、だよな」
タンザナの顔が、ようやく恐怖に歪んだ。そんな事をされれば自分がどうなってしまうか、どんな醜態を衆目の中晒すのか。
「い、嫌」
「だったら話せ。それともここでよがるか?」
「それも嫌ぁ……言ったら『メラーナ』に殺される」
五人とも、その言葉に反応した。先日聞いた単語であるし、忘れようも無い。
この女は、あのカラス色の女と関係があるという事だ。
「黒い月と聞いた時もしやと思ってたが、あの女絡みか。
相当フットワークが広いヤツだ」
「待って、尚更解らないわ。街を操ろうとか、叛乱がどうとか。
だったらなんで私達をわざわざ狙ったんだか」
兄は先ほど、今はのびている"婦人(偽)"から、黒い月絡みの策略でこの街に潜んでいた事。
それは叛乱軍が北を攻めやすいよう支援するためだった、と。つまり此処にも一定数招き入れる腹づもりなのだ。
回りくどいといえばそれまでだが、街のトップを墜とすという目的はわかる。
しかし、わからない。では何故仲間であるあのカラス色の女が、叛乱といった類いとは無関係な自分達を狙うのだ。
「聞かなくちゃいけない事が増えたなぁ」
「ひぃ ――」
再度、タンザナの頬を締め上げる。爪が食い込み痛みに顔を歪める様子は、流石に痛々しい。
ただそうも言っていられない。バックにあのカラス色の女がいる。帝都で襲撃をするような連中が。
「こっちも命がかかった経験があってね。あの女がどう関係してる。
君に僕らの事を教えたのが、アイツだという事は大凡察しは付いた。じゃあ質問を変えよう」
じりじりと、ギルベルトは顔を近づける。眼光は既に、刺し殺す気満々の氷柱が如く。
「君ら黒い月は『叛乱』に乗じて何をしようとしてる?」
「い、言えない ――」
「見上げた忠誠心だ。
いや、違う。あのカラス女がよっぽど怖いのか」
女の頬を掴む手が、淡く青い光を纏い始めた。女の視線が、蔵の方角へ向く。
「あぁ、太守の家族はそこか。生かしてはあるようだ。
が、君は大事な質問にはまだ答えていない」
「わ、解った……話す。話すから」
既に涙がこぼれ始めていた。その様子を見たギルベルトはようやく手を離す。
もぞもぞと身体をくねらせつつ、タンザナは和らいだ痛みに悔しげな顔をしつつ、レオン達を睨む。
逃げようにも手足は不自由。呪文を唱えようにも、唱える前にギルベルトが振り下ろす手を止めているだけの状況。
もはや、答える他無い。
「わ、私達が受けた命は『叛乱の補助』と、『涙の回収』。
私の役目は前者。メラーナは後者。涙は放ったネズミが持ってきた。
そこで帰ってくる筈だったアイツが報告したのよ。"鳳が餌にかかった"と」
そして、レオンとエリーザ、ギルベルトらを見やる。
ネズミとは、涙を盗んだあの盗賊の事だろう。本来、あの盗賊から本物を回収して帰ってくる筈だったカラス色の女。
「あの処刑の場で、僕らは君らに見られていた、と?」
ギルベルトの問いに、タンザナは首を縦に振った。
「本当は、『鳳探し』は乱の途中で行われる筈だったわ。涙だけでは足りないから」
今度こそ、引っ掛かる言葉が出てきた。鳳とはどういう事か。
【鳳】は、今や神話や歴史の中でしか存在を語られない、山にも例えられるほど巨大な神鳥の事である。
近い時代でも、帝国建国直前に、初代皇帝の前に現れたという伝説があるのみ。
「僕らを鳳に例える理由は何だ?」
「し、知らない。本当よこれ以上は知らないの」
首を力一杯横に振るタンザナの様子には、嘘が感じられない。
尤も、言葉に嘘があればギルベルトは既に手を下している。
「私は此処を籠絡せよと言われただけ。貴方達を、その、狙ったのはアイツがしくじったから ――」
「手柄を横からかすめ取ろうとして慌てた、って事でいいんだな?」
今度は首を縦に振る。これも間違いはなさそうだ。
味方を出し抜こうとした事によって、一人墓穴を掘った訳である。それもこうなれば世話が無い。
「これ有益な情報は無しか」
元々別の仕事をしていた所へ、"手柄"がふっと降りてきた所へ飛びついた人間から得られるモノなど知れている。
そうなれば、此処へ長居する理由も無くなった。
「そろそろお暇するゾ、それ以上吐かせる理由も無いんだロ」
「どうする。帝都の彼奴等はただの気まぐれで俺等を襲った訳じゃ無いって事がわかった。
先に進むなら、より厄介な事になると思うが」
船長とクレイグは、レオン達に問う。大人二名は、本来ならこれ以上付き合う理由が薄い。
目をかいくぐる必要こそあれ、最初は『涙』の奪還だけで終わる筈だった内容。
ただそこに、"カルト連中が元々付け狙っていた何か"を自分達も持っている可能性が浮上した。
つまり、先へ進むとなれば敵の"手"が増えてくるという事だ。目は既に向けられている。
「俺は、西へ行きたい。もう知っちゃった訳だし、こうしてバレてる以上、戻った所でさ」
「私も賛成。帝都ももう叛乱でゴタゴタしてるし、かえってややこしい事なりそう」
「レオン達と同意見かな。コイツはともかく、あのカラス女も含めて全貌が見えない。
あえて突っ込んだ方が安全な気がするんだ」
西へ行く。その方針は変わらない。自分達も狙われていたという事がわかっただけでも大きな進歩だ。
このタンザナという女は、帝都で襲ってきた連中と違って、自分達を『無力化』しようとしたのもある。
「こいつは"鳳"と言った。それにこんな回りくどい手を使うし、兵を操ってけしかける事もしてない。
生物を召喚するでも無し。本当は、捕らえたいんだ」
タンザナは目をそらす。きっと、あの帝都の二人こそ"やり過ぎる"奴等なのだろう。
思えば、帝都であのカラス女は、命を奪う呪文をこちらに見せておきながら、こちらには使わなかった。
あの時はマナの節約だろうと思っていたが、段々とつじつまが合っていく。過激すぎてわからなかっただけだ。
「決まりだな。じゃあとっとと失敬するか、太守の妻子だけはお助けして」
裏口の警衛には悪いが、一晩ぐっすりしてもらう事にしよう。
決まれば即座に動かねばならない。
残るは、タンザナの処遇である。連れて行った所で仲間と何らかの手段で通じられてはかなわない。
かといってこのまま口を猿轡で塞いでも、官兵にある事無い事吹き込む可能性はある。
殺すのも気が引けるし、精神魔法を防護する可能性がある以上 ――
「僕らは失礼するよ。でも君を放っておく訳にはいかないな」
「…… 私は喋ったわ!!」
「"素直"には喋らなかっただろ。……『移し替え』」
ぼぅと青い光が走り、ギルベルトは同時にタンザナの口に手を押し当てる。
すると、先ほどまで少し身じろぎする程度だった女の目がかっと見開かれ、全身が痙攣し始める。
まな板の上の鯉とはこの事か。ビチビチと跳ねる身体に、溢れ出す液。屋敷中に漂う"淫気"を一身に押しつけられると、こうなるらしい。
四人は思わず目を背ける。やむを得ぬとは言え、流石に惨い光景だ。
同時にこうも考える。この青魔術師だけは怒らせてはいけない、と。
「脅されたとはいえベラベラ仲間の事を漏らすのはよくないな」
淡々としているのは、この男一人だけだ。
※※※
少し時間が経過した。
邸宅の中は今や阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。
「許して、許してくれ……俺はこんなつもりじゃ」
「誰か殺してよぉ」
どこもかしこもこんな様子。
それもその筈で、皆が皆、我を取り戻した時"入れている"か"入れられている"かしていたのだから。
そんな気も無かった顔見知り同士という事もあれば、知らぬ者同士という場合も。
演奏や舞踊のため、仕事で来ただけなのにいつの間にか男の"笛"を二本"演奏"していた女。
毎日顔を合わせて挨拶をしていた男の"立派な剣"を受け入れていた、召使いの少年。
入れられた方も被害者だが、この場合入れた方も被害者だった。
嫌な太守とはいえ、屋敷を護るという仕事を仰せつかっている我が身が、女や少年を犯していた衛兵。
中には太守の身内にあたる女性を組み敷いていた者もいれば、逆になっていた場合もある。
または同僚を理性の無いままに食い散らかした者も。ここで"始めて入れた"少年もいた。
思いが通じた、などという都合の良い組み合わせなぞ、ここには一件も無い。
蔵から助け出され、拘束を解かれた太守の妻子も、この地獄絵図の中太守を探すという苦難に見舞われている。
「あ、あなた。これは一体何が」
「わ、私は一体? あれ、お前がここにいて……さっきおったのは、あれ?」
ここには今、タンザナを除いて被害者しかいなかった。
どこもかしこも大混乱の最中、唯一の加害者である彼女は、まだビクビクと身をひくつかせている。
白目を剥いて、床に広がる透明な液の上で時折跳ねる。死にかけの魚さながらだった。
それに近づく、影が一つ現れる。既に人がいなくなった筈の、庭木の間から。
「……なっさけなぁい」
黒い装束を身に纏った、白と黒がはえる長髪の女。メラーナだった。
一度帰った筈の女が、600里以上も離れたこの地に現れたのである。その存在に、タンザナは気付いていない。いや、気付けない。
床上でのたうつ"同僚"の姿を見たメラーナは、ただ呆れた声をあげるだけ。
「私の煽りに乗ったあげく、工夫すれば勝てる筈の相手に負けちゃうかぁ」
顔はにやついている。だが目は極めて怜悧だった。むしろ見下げ果てた、と言うべき感情がこもっている。
「あえて情報を一部伏せたのは私だけど、こうもアッサリ負けられるとショックなのよね」
彼女はまだ液で濡れていない部分に腰掛けて、タンザナを見下ろす。
「言われた通りに太守を操って、彼らを拘束させた方が良かったんじゃない?
それをわざわざ、面倒くさい手に頼って、逆に使われちゃって」
ヒールの先で少しばかりタンザナを小突く。それにすら快感を覚えるのか、びくりと跳ねる身体に、メラーナも引いていた。
「私、計算を間違ったのかしら……。
貴女のマナ貯蔵容量は、計算通りならあの"青い魔術師の子"より上の筈なんだけど。
オツムが育ちきってなければこのザマな訳ね」
今度は少し、痴態を晒す同僚の側に近づく。何とも情けない顔をしている。
「ま、自分の実力を見せてあの"頭でっかちの教祖"に自慢したかったのでしょうけど。
今後はその心配もしなくて良いんだけどね。安心なさいな」
メラーナはさらに一歩近づいて、同僚の上で掌を広げる。
その掌から小さな黒い球体が現れ、タンザナの胸へと降りていった。
「そろそろ『収穫』しとかなきゃと思ってたの。涙は手元に来た。
乱の中で確保する予定だった『鍵』が帝都で見つかり、カルトの小僧は動いてくれた」
段々と、声のトーンがおちていく。帝都での残虐で快活な声音はどこにもない。
聞くだけで底冷えのするような、冷徹かつ邪悪なそれ。
「鍵は幾本があった。ただいくつかは警備が厳重。手に入りやすい鍵は今、己で動く。
かつて学院の老人共が提唱した"理論"が正しいのなら、あの子達こそまさにソレ。
放っておくだけで、鍵は穴にはまりに行くだろう」
タンザナの胸に、黒い球体が吸い込まれる。
「鍵が扉を開く。釜の蓋が剥がれれば、双方が繋がる」
タンザナがのたうち出した。
今度は快楽では無く、『苦痛』に。
「ンゥ――ッ!! ンンン――ッ!!!」
「もがくな、見苦しい」
タンザナの四肢が腐っていく。全身の皮膚がボロボロになり、その中の肉が露出する。
ふく風邪に染みる痛み、腐り落ちていく痛み。内臓がどんどん機能しなくなっていく苦しみ。
涙で濡れるばかりの顔は、メラーナを見つめていた。
「ねぇ……ザま。な……んれ……ギイィ!」
メラーナの顔には、もはや笑みも残っていない。
どす黒い女の目線が動く頃、タンザナがいた場所には、"拳程度の大きさがある青い宝石"が残っているだけだった。
「こうなれば、"残り"も追々処理するか。一部は、少し泳がせよう」
その宝石を拾い上げたメラーナは、西の方角を見やる。
つい先刻までこの場にいたであろう、『彼ら』の事を考えながら。
「帝都ではまだ気づけなかった。もしこの"思い出"が確かであるなら、きっと当たっている筈だ」
そう言い、まるで桃を囓るかのように、青い宝石にかぶりつき、咀嚼する。
一口噛んで飲み下し、今度は二口を含む。
のどごしはそんなに良くは無さそうな様子。何故か、それは宝石であるが故。
「カルトの目的も達成させる。彼らの目的は"半ば"達成させる。両方やらなくてはならぬ、か。
やはり、計算を間違えたか」
そう言うや最後の一口を終わらせた。
するとメラーナの髪の中に、一房青い筋が増える。
「回りくどい真似をしているは、私も同じか」と言い残すと、メラーナは青い光を両手に纏う。
阿鼻叫喚を聞きつけた屋敷外の衛兵が庭に到達する頃、既にその姿はかき消えていた。
廊下には、何者か解らぬ体液と、腐り落ちた肉が入り交じった惨状だけが残り、他には何も残っていない。




