第13話
~ 郡都『ドゥプロナール』・太守邸地下 ~
地下入り口付近で、レオン達は立ち止った。周囲を警戒しながら、彼が手を床に近づける。
まだこの邸宅で確認していないのは、地下室と庭にある蔵を残すのみとなっていた。屋敷内の納戸は、今や"大乱闘"の会場になっている。隠れるにしても都合がわるかろう。
蔵の場合は、隠れて奇襲するにしても屋敷の母屋から少し離れている事から除外して良い。ただこの地下入り口とは視界が開けているため、警戒に越したことはない。地下が終わったら次はあそこになる。
「——『古樹のウーズ』」
レオンは呪を唱え、床へ手をついた。そしてゆっくりと、引きはがすように右手を上げていく。
すると、あたかも最初からネバついた床であるかの如き光景が顕現した。やや薄眼の茶色とオレンジ色が混じったような、形容しがたい粘液がレオンの掌にくっ付いて、床の間からにじみ出てきたのである。
ウーズ。粘性生物であり、主に森を住処としている雑食性。動きは緩慢だが、粘性であるため物理耐性があり使い勝手の良い生物だ。
「うへぇ……」
女子にはある意味で刺激が強いルックスである事は玉に瑕であるが。
「なんで嫌そうな顔してんだよ。便利なんだぞぉ、ウーズちゃんは」
エリーザのしかめっ面を見たレオンは、掌の上でもぞもぞ蠢くウーズを、地下入口扉の蝶番付近に押し当てた。そこにギルベルトが前へ少し出てレオンの隣に立つと、ウーズに指で触れて呪文を唱える。
「『風間の目』、と。準備オッケー」
「じゃあ行かせますか」
すると、形状をみるみる内に変化させて隙間の間へ消えていく。粘性故にできる事だ。
万が一扉の先に罠が仕掛けられているにせよ、一度開けて探知魔法を使う方がリスク、という可能性がまだ消えていない。屋敷の中は、それこそ扉の中から衝突音やら水音まみれであったから、音の反射で人数はある程度判別できたからこんな事をしなくてもよかった。
が、ここは違う。
離れの"奥方"は、申し訳ないが後程我を取り戻して暴れられても困るので縛り上げた。離れの一見以降、この一帯は静かなものだ。投下の向こうからは嬌声が聞こえてくるが。
「ほら、コイツなら狭い隙間でも侵入できる」
「確かに、その手があるんだ。他の生物でもできるかなぁ」
「できるよ。レオンの緑ならウーズだし、僕の青だと『大気』みたいな空気の霊がある。
赤や白は門外漢だけど、炎とか光みたいな不定形なら——」
そう言葉を交わしつつ、レオンがウーズを操って地下階段を下りてゆかせ、ギルベルトは装着した『眼』を通し様子を確認している。
「地下、すぐの地点には生物反応なし。香の反応あり。いやむしろここが発生場所っぽいな。かなり濃い」
「うん、見える。何か所かに香炉があるね。ここでたいて、お香の煙を床から浸透させた訳だ」
そうなると、仕掛け人もここにいるのだろうか。より進ませる必要がありそうだ。
一旦振り返って、ク=シグの方を見る。兄と共に蔵や廊下の方を警戒する彼らは小さくうなずく。
異常なし。まだ進める。ウーズはより奥へ進み、部屋を一つ一つ確認させた。
そして少し経つ。結構長く感じつつ、それでいてすぐとも言える感覚。これは少し苦手な時間。
「—— いた」
生物反応、あり。ギルベルトが"目を凝らす"。
「数は一。肩の形状、筋肉からして女性。それと雪のような姿」
緊張が走る。先ほど、ク=シグが言及した女の姿。姿が見えなくなった侍女の特徴。
「体温の上昇もほとんどない。…… つまり、お香の影響も受けてない」
耐性があると来た。薬物系に耐性があるとして、レオンのような慣れによる"後天的"なものなのか、ク=シグのように種族的な"先天的"なのか。どちらかでも対応が変わってしまう。
しかし、見た限り普通の人型である。後天的とするならば、相手は『緑』か、『緑の知識はある別系統の使い手』に絞られる。
どちらだとしても厄介だ。それに……
「こっちを視認した。あっ ——」
ウーズの反応が消えた。
攻撃する手段も持ち合わせている。面倒臭いことになったぞと、頭を抱えたくなる。
地下室の戸を開けた。罠の類は無い。仕掛ける時間はあった筈だ。
ギルベルトを見ると、首を横に振る。ウーズも生き物であるから、罠に引っかかるはずであるが反応しなかった。そして地下から移動してくるような音もしない。
間違いなく、ソイツは待っている。
「行こう」
一言だけ言う。それで味方には伝わる。
地下へ降りた。明かりは定期的にメンテナンスされているらしい。白の光魔法を閉じ込めておく、ランタン型の魔道具が等間隔に下げられている。いたって普通の地下室だ。
蔵に貯蔵しておくものとは別の、生活用日などをしまっておく部屋達。確かに、宴会中なら人が寄り付くような場所でなくなる。香炉を設置するにももってこいの場所だろう。
奥へ進むと、その女はいた。ク=シグの言う通り、雪のような女が。
"絵になるような"という言葉がぴったりだ。少なくともレオンはそう思った。
グッとくるような事は無いが、初対面が好意的であれば容易く男はころぶだろうという確信は持てる。そういうバランス。見た目は確かにいいが、心の奥底から放たれているであろうこの『冷気』を浴びれば、コイツは優しい存在でも何でもないという印象が固まってしまう。現に、氷のようなプライドが、"視線"となってこちら側に突き刺さっているのだ。
「あのまま、上で腰を振っていればよかったのに」
きれいに見えるのは見た目だけ。
「残念ながら、俺にエクササイズの趣味は無くてね」
「あら、そうなの。だから"元気"が無いんじゃなくって?」
周囲から伝わってくる、引き裂こうとしている意思。肌を撫でるようでありつつ、刃を突き立ててんとするどす黒さ。
少なくとも、赤や白ではない。緑もすこし違う。
「清水かと思えば、どうにも臭くてさ。
甘いイチゴが痛んでりゃあ、元気どころかしなびちまうよ」
「それは確かに残念ね。それなら、コレを突っ込んで無理やり元気にしましょうか」
その時、部屋の壁から『氷柱』がレオンの眼前を掠める。彼だけではない、入った5人へ同時に氷柱が飛んでいた。発射口は見当たらない。壁に呪文を仕込んでいたのか。ウーズは引っかからなかったというのに。
ただ味方内でただ一人、ギルベルトは顔が青ざめていた。
敵がたった一人で、何の準備もなくこんな所で待っているはずがない。なのに脳裏から一定以上の警戒心が抜けていた。
「どうやってお香から逃れたかは知らないけれど、そのために何を犠牲にしたかしら」
この雪女が言う通りの状況だったのだ。体に沸いている肉欲を抑えるために、理性や意識を分離させている。そうしなければ今頃宴会場なりで見知らぬ女や会ったばかりの男と"おピンクパーティ"としゃれこんでいただろうから。
ただ心身が一体となっていない今、フルに実力を発揮できないとも同義である。感知も何もかも、3割引で考えるべきだった。それができなかった事そのものが、認知が低下している証拠。
気づくのに一歩遅れを取った。罠は自動発動させなくても良いのである。
紐づけたワイヤーを引いて、狩猟用具を起動させるように。
この地下全体に満ちている"嫌な感覚"も、踏み込んでようやく気付けた。
この奥の部屋へ入る時、さっきウーズで偵察した時にドアはあったか?
さっき、ドアノブを回したのだが……
「—— ッチィ! 『茨雨』!」
レオンも気づき、とっさに雪女めがけて茨のトゲを浴びせかける。
ここへ来て、非術師である3名も事を把握した。
本来であれば肌に突き刺さり、サボテンのようになるはずの雪女がかき消えたのだから。
「幻影か、やられた」
青魔法だ。
こうなると、周囲の光景が真であるかの判断から始めなければならない。
よりによって、『相手の胃の中』から始めなければならぬとは。普段であれば引っかからない。
だが今は心身が一致しないから思うような動きができないのだ。
「最初からコレ狙いか。船長、入り口は無事か?」
「……残念、ぬりかべダ。と言うか迷路に見えル」
廊下は、まっすぐ進んできたはずだが曲がりくねって見えた。元の廊下に幻影を被せているのか、はたまた視界が捻じ曲げられているのか。とっさに、近くにあった棚上の香炉に手を伸ばす。
香炉を掴んだと思っていた手が宙を切った。
歪まされたのは空間の方ではなく視覚だ。人物だけクッキリ見えるよう調整するとは、なかなか手の込んだ事をする。
物には、幻影を被せていない事もこれでわかった。おそらく、そこまでする時間は無かったのであろう。
トリックアートの中にいるものと思えば良い。
ただ全員で突入は間違いだったと後悔している。やはり二人は上階で待機してもらうべきだった。
ギルベルトなら一気に解除もできる。しかし"今"そんな呪文使ってしまえばどんな影響が出るかわからない。それに、既に何か考えはあるらしく、しきりに周囲を警戒するにとどめている。彼らしくもない。
唯一エリーザだけが、きょとんとした顔をして慌てる男四人を見つめている。
時折虚空を見つめるようなしぐさをしながら、そこへ剣を突きつけて。一切、迷いが無い。
そこに一体何がある?
「皆して、なんでそんなに慌ててるのよ」
「エリーザこそ落ち着きすぎだろ、幻覚のせいで視界が歪んでるってのに」
「………… 幻覚?」
そういって、ようやく合点がいったらしい。突き出していた剣を振りかぶって、斜めに一閃させた。
すると虚空を切ったはずの切っ先に、真っ赤な液体がわずかながらこびりついた。
「—— 痛っっツゥ!!? 何で見えてるのよ!!」
虚空だったはずの場所から、ユラリと雪色の女が焦燥に満ちた顔で現れる。
それだけでも見事なものだった。視覚に作用して姿を消す魔法は確かにあるが、大抵の場合輪郭がボンヤリと残るものなのだ。完全に見えぬ状況までもっていけるのは、レオンが知る限り万全状態のギルベルトくらい。ただ彼も今は万全じゃない。
しかし、こういう類の呪文はあらかじめ罠として仕掛けるとしても、かけた『相手』に作用する。
エリーザには、その類が全く効いた様子が無かった。
レオンとク=シグが薬物系統に高い耐性があるように、彼女にも何か耐性があるのだろうか。
「私、何故か干渉される類は効かないのよね」
煙は効いていたじゃないかとは、さすがに今言う事ではあるまい。
雪色の女は怯み、一旦立て直す気なのか地下室から出ようと試みる。
姿を現した今、それを止めようと思えば"行動"はできる。だが、
「行かせるか!」
と切りかかったクレイグに反応したのはエリーザだった。
「—— キャアッ! どっち斬ってんの!?」
「はっ!? いや、すまん! あの女のつもりが……」
近くに何もないように見えるエリーザがのけぞったのである。
切りかかった"つもり"のクレイグも面食らって足を止めてしまう。
これではまともに動けない。ク=シグもギルベルトも思わず手を止めた。
その隙を突いて、雪色の女は地下室を出ていく。その様子が見える。ただ方角はどっちが正解だ?
つまり自分も含めてまだ幻覚は解けていない。エリーザにだけ効いていないだけだ。
「動かないで、全員『解呪』するから」
ここへ来て、気づく。
「エリーザ、お前さんも呪文使えるの? 解呪ってことは、『白』じゃん」
「言ってなかったっけ?」
「「「「 いや初耳…… 」」」」
さすがにそういう事はもっと早く教えてほしかった。
祝福と癒しに長けている『白』ならば、呪文による影響を和らげ防ぐ事だって可能な分野だ。
「お嬢ちゃんさぁ、それができるなら『プロテクション』で耐性付与できたんじゃ……」
「……?
—— !?
あ、そっかぁ!!」
「「「「 そっかぁ、じゃないよ(ヨ)!! 」」」」
ひとまず、ばらばらになっても困るので男四人は動かず、彼女の解呪を待った。
触れて、淡いオレンジの光が走ると、視界がぐにゃりと曲がったかと思えば、元に戻る。
レオンは、壁に向き合っていた。危くも壁に腕をめり込ませる所だったらしい。宙を切ったのは壁ギリギリだったのだ。
兄クレイグはタンスを真っ二つにしていたし、ギルベルトは手遅れだったようで椅子に脛をぶつけていたのかうずくまっていた。ク=シグは自分と同様に柱の目の前に突っ立っている。
絵面だけ見ればなんとも間抜けなものだが、これが青の恐ろしい所だ。
被術者だけがいたって本気に事へあたり、術者は一歩外で眺める事ができる。相手していて厄介な相手。こうして煙に巻くのも得意な色である。混乱を起こせば容易なのだから。
「なんの前触れもなしに『幻影』を見てた正体はコレかぁ」
ほんの少し経ち、床を見たギルベルトが状況を察して言う。それは床に刻まれていた魔法陣だった。中に一文を書き加えて追加の動作が可能になっているタイプ。
「術者の任意で発動するように文が加わってる。さっきウーズに発動しなかった訳だ」
すっくと立ちあがったギルベルトの顔に、もう不安は残っていなかった。
取り逃がした状況だというのにこんな表情ができるという事はどういう事か。
レオンは知っている。
「その面、ギルベルトお前、降りる前に何かしたな?」
こいつはこういう奴だ。そしてすぐ、その予感は的中した。
< ヒャアァッ!? >
地下室にすら聞こえてくる、甲高い女の悲鳴。
「いや、中に居るのも、女だって事も体形でわかってたじゃん?
だからすぐの廊下に『女が踏んだら起動する罠』を仕込んでおきました」
だから幻影に干渉する呪文を使えなかったのか、とは納得した。しかし、万が一下であの幻影にかかったままやられるかもしれないとは考えなかったのだろうか。
こいつの事だから、一切考えたこともないのだ。
半ば呆れていた時、レオンは体の調子が戻ってくる事に気づく。体全体を襲っていた"焦燥感に似た気持ち悪い感覚"が消えた。それはエリーザやギルベルトも同様だ。変わっていないのは兄とク=シグの二人だけ。
「なぁ、聞くのが怖いんだが。仕掛けたのは一体どんな罠だ?」
「即席だったから、そんなに大規模じゃないよ。
ただ、今地下室にいる面子全員にかかっている『効果』を押し付けた」
そう言うや、ギルベルトはレオンとエリーザに触れる。
すると、脳裏に走っている不快感が消えてよりクリアになった。
「ほら、分離を解いても大丈夫になった」
二人の顔は、ギルベルトの言葉の意味を理解して青ざめる。
「押し付けた『効果』って、その、あの……アレよね。
さっき私たちもなりかけてたやつ、よね。うん」
ごにょごにょと、言葉にはし辛いようだ。それは当たり前である。
その反応に対しても、ギルベルトは何のことも無さげに答えた。
「そ、さっきまで僕らを襲ってた『強烈な性欲』をね。
発散できてない10~20代のそれをまとめておっかぶせたんだ、たぶん上で伸びてるよ」
ここではあえて、"伸びてる"という事にしておこう。
エビぞりになって、けいれんしながら液まみれになることをそう呼ぶのなら。
敵であるが、少し同情した。




