第11話
~ 郡都『ドゥプロナール』・太守邸にて ~
「よぅお立ち寄りくだされた、『千人殺し』の勇将・ベインズ殿」
豪奢な飾りつけが異様に目を引く空間であった。一地方の郡、その長の舘にしては。
調度品の質や饗されている食べ物に到るまで、帝都における『結構な』所のものと比較しても遜色ない。レオンは眉をひそめてソレを見ている。
アカデミー時代、何度かそういう店には出向いた。新たに就任する教師の卵。それに近づいておこうという連中の招きで、だ。
思い出すのも嫌な記憶だったが、ここへ来て掘り起こされるとは思っていなかったのである。
(本来帝都に卸す筈だったものをがめてんな、コイツ)
「このナルディ、貴殿の武名には常々感じ入っておりましてな。ささ、一献お受けくだされ」
恭しく、兄の手杯に酒を注ぐ男。脂みを感じる肌つやは、どうも気にくわない。
本来であれば目上の方々に歓迎されているという、そう悪い気はしない筈の空間。しかしながら、どうも気分が乗らない。「銅臭」という言葉の意味がようやくわかった気がする。空間そのものが臭いのだ。
食い物の匂いは抜群に良い。それは間違い無い。
とびっきりの材料を、お抱えのシェフに腕を振るわせて饗される。それはわかる。その裏に『金』の臭いがプンプンすることで台無しだ。
(……でも、地方の郡太守すら知ってるんだなぁ、兄ちゃんの武名)
勇将。
確かにあの豚みたいな太守はそう言った。家族の事なのに、教えてくれなかった。
いや、先ほどの兄の口ぶりからして、言いたく無い何かを抱えてる事は察する。しかし、寂しいという思いは湧いてくる。世間で『大人』をやっている家族の姿は、酒場や実家で『兄貴』をやっている人と、同一人物か疑いたくなる時があるものらしい。
「何、辛気くさい顔してるのよ」
「―― あぁ、嬢ちゃんか」
「名前だけでも良いわ。貴方ってば、警戒してる?
いの一番に、何か混ざってないか、こ~っそり確認してたじゃない」
「そんなに上の空だったか?
確かに、毒の類いは入ってない。気にしてるのは、そうだな ――」
ちらりと、視線を兄の方へ向ける。その仕草で、エリーザも察したようだった。
「ま、公で見る親兄弟って、見てると妙な気分になるものね」
「都の外ですげえ活躍してんだなって痛感……おじょ……エリーザも心当たりあんの?」
「姉がいるの、二人。公私がどうのって五月蠅い家でさ。
多分同じ事考えてるんだろ~な、って思ったの」
トスンッという小さな音をたて、彼女はレオンの隣に座る。
料理の匂いが間をすり抜けて、ラベンダーの香りがレオンの鼻腔をくすぐった。
なんともむずがゆい気分である。上腕同士が、ふとした事でぶつかりそうな距離。
酒を飲んだ訳でも無いのに、何故か頬が熱い。
きっと気のせいだ。
「多分、"同じ"だと思ったからかもね、帝都で貴方達に声をかける時逡巡しなかったもの」
「……お、おぅ。そうかい」
いや、妙だ。初心なガキじゃあるまいし。
まるで13か14の頃が如き心臓の動き方をしている。
何かがおかしい。食事には混ぜ物が無いのは、この舌で判断出来る。最初から出てきたもの。後から出てきたものもそうだ。何か"盛られた"訳では無い。精の付く料理でも無かった。肉だって、せいぜいハクビシンやキョンであり、しっかりと火も通してある。
レオンは、エリーザの一つ向こう側に座っていたギルベルトに目線をくれる。
あいつの事だから、"すでに何かやっている"筈だ。
無言で、頷く。何も無いという事だ。
きっと、『薄暮のフェアリー』等の小型生物を召喚して舘廻りを巡らせているのだろう。その上に探知魔法でサーチをかけている。
ク=シグが、そんな二人の視線で察したか、声をかけてきた。
「飯は美味いガ、どうにも臭イ。何か引っ掛かったカ?」
「そんな所かな。"屋敷には"、呪文をかけられた跡が無い。
レオンの態度からして、"お薬"の類いがお料理に…という事も無い」
「おォ? 屋敷には? って事は他にあったナ」
ギルベルトは、屋敷内を警護している兵等にも警戒しつつ、そっとつぶやいた。
「当のナルディ太守に、青の痕跡がある」
※※※
弟達が下座でそんなやり取りをしている中で、太守の隣に座していたクレイグも、妙な臭みに耐えていた。
(自分が『強め』だって事に、ある意味感謝する日が来るとはなぁ)
結構な量の酒が空いている。太守はすでに出来上がっており、問題が無ければこのまま宴会そのものはお開きになってもおかしくはないだろう。このまま切り抜けられればそれでヨシ。いや良くは無いか。
(いかん、料理も匂いが強めだ。どっちが"臭う"んだかわからん。やっぱボロ出す程甘くもないか)
カンが告げている。この夫婦、どちらかが臭い。武名を上げた自負はある。しかしこうやって太守直々に饗応されるされる身分でない自覚もある。
酒が身体に廻りきる前に、どっちかが尻尾を出してくれれば良いのだが。
「おや、また徳利が。誰ぞ、追加の酒を」
「畏まりました、奥方様」
太守婦人イヴェッタが、給仕の女性に声をかけている。
水色のウルフカットが似合う、雪のような女。"給仕"として屋敷を歩き回らせるにはもったいない ――
(―― !!? いやいや! 待て!)
思考が乱れている。酒はまだそんなに廻っていない筈だ。
(女を絶って結構経つが、おかしい)
雪が降り積もる湖の上に敷かれた薄氷のような、白い肢体。
組み伏せたい程によく整った四肢と肌。
(おかしいおかしい。あぁ、くそっ!!)
頭がピンク色一色になり始めている。
(料理も精が付く奴じゃねぇ、同じ瓶から注がれたもんを呑んでる太守や奥方も変化無し)
じゃあ一体なぜこんなにムラムラするんだろうか。
どこかのタイミングをみて発散させなければある意味危ない。
「あら、ベインズ殿。お加減が悪いのでしょうか? 顔が赤らんでおりますが」
と、太守婦人が問うてくる。
( あ ん た の せ い だ )
とは口が裂けても言えない。
弟とは長い付き合いで見抜かれているが、本音を言えば太守婦人の『肉付き』はどんぴしゃである。生殺し状態。まさにまな板の上がなんとやらだ。酒が入って赤身の刺したご婦人の、出る所が出て、引っ込むべき所も少し出ている感じ。
程よいふかふか具合であろう二つの双丘 …… いや、四つか。
待て、もしかしたらお腹などを含めて五つかもしれない。
マズい。あまりにも刺激が強すぎて思考が纏まらなくなり始めた。
おかしい。
「何か、粗相をいたしましたか?」
そう言いながら、手を額に当てようとしてくる。
必然と、目線の先には肉の双丘が映る。やめてくれ。
「客間は多うございます、お体を横になさっては……」
そう言いながら、手をギュゥと握ってくる。
あぁ、臭いのはコッチか。
「いえ、寝台までお借りするなどと。ご厚意に甘える訳にも参りませぬ」
柔らかい、暖かい。何と良い匂いのする手だろう。
いや、違う。臭い筈だったろう、何を考えているのか。頭が纏まらない。
何かがおかしい。収まってくれ、たちあがるな。
「お気になさらないでくださいな、ベインズ殿。貴方様とお連れ様は賓客。
……それに」
耳元で太守婦人が囁いてくる。
「主人はお酒を飲むと、ちょっとの騒音では起きませんのよ」
脳裏で二人の自分が言い争いを始める。
<ホラ見ろ、話がうますぎらぁ。奥方の方が"敵方"だっただろうが、断れ! 美人局じゃねぇかよ>
<うまそうなのはこの人妻だろうが。据え膳どころか向こうからまな板に乗ってきたんだぜ? 肉の包丁で愉しくお料理タイムだ>
「いやはは……ではお言葉に甘えて」
※※※
「……兄ちゃんが酒で? 妙だな」
太守が潰れかけていた。朱色となった顔の兄が、太守婦人に支えられながら、給仕のお供で客間に運ばれる。
自分達が行くべきだと考えていたが、周囲の様子が異様になっていくために、迂闊に動けなくなっていたのだ。何せ、鼻腔に漂う臭いに料理とはまた別のものが交じり始めているのがわかったから。
ギルベルトの探知魔法では、屋敷外も内部にも『害意』を感じないとれないと告げていた。
警備の兵はいるが、取り囲まれているという事も無い。
つまり、魔術以外の線で仕掛けてきている『敵』がいるという事だ。
毒ではない。自分達と兄、そして太守。
また賓客は自分達だけではない。おそらく郡で誼を通じているのであろうほかの客や、妓女や音楽家といった者達も呼ばれている。
宴会自体が妙な雰囲気で包まれ、音楽も停まった上に皆が『酔って』いる。
「レオン、考え中の所悪いが聞いてくレ」
ク=シグがレオンのそばに寄る。
「やっぱおかしいよな? 料理は美味ぇけど」
「味は同意するガ、何か臭うよナ。きな臭いとかじゃなク、物理的にサ」
話が通じる相手がいるだけでも有り難い話だ。
ギルベルトは青の使い手である故に、コッチの話題には疎いのである。
「何か、花街で嗅いだことある奴なんだヨ。
この街にもあるにはあるガ、太守宅とは対角線上でよォ」
「……待った。強めに嗅いでみる。『山霊のひと嗅ぎ』、我が鼻よ山犬の如くあれ」
嗅覚を増大させた。そして、強めに息を吸ってみる。
するとどうだろう、料理の強い臭いで隠れてしまっていたが、宴会にはそぐわない臭いが混じっているのがわかった。
イチジク、竜涎香に麝香。林檎とイモリのも微量に入っているような。あらかじめ緑の魔法で増強をかけていたのかもしれない。
ぬかった。ギルベルトは"今発動している"魔力を探していたが、探知に引っ掛からなかったのは"既に発動してあった"からだ。
そのギルベルトも、頬が赤らんで頭をふらつかせている。マズい。
「催淫のお香だ。多分材料に魔術をかけて効果を増強させてあるタイプ。
口や鼻から吸えば、強精剤とか媚薬の効能がある……んだ。
花街でその気が無い娘を無理矢理その気にさせるために使う奴」
「何だよそのエ○空間製造スメルはさァ。ここの飯食うのも怖くなってきたんだけド」
「いや、料理には何の細工もしてない。俺の舌を賭けてもいい」
「さっすが緑の魔術師、薬系には身体が慣れっこカ」
「アカデミーでもちょっとしか履修しないよ、こんな分野。
それにちょっとは効いてるんだ。けっこうムラムラ来る。
それより、リザードマンが毒やガスの類いが効かないって、ホントだったんだな」
「まぁナ。俺様の身体はその中でも特別製サ ―― それより」
「言うな。考えるのが怖くなってきてたんだよ」
今、この太守邸の中でこの香のようなタイプが効かないと判明しているのは、二人しかいない。
他の面々には効いている。ギルベルトは必死にこらえているようだが。
ではエリーザ嬢は?
隣を向くのが超怖い。何せ、くっつきそうだった上腕が既にくっついている。
誤魔化そうとおもっていたが流石に無理だ。
すげぇ柔らかい。それが何かを考えるのも怖いし、見るのも怖い。
「フーッ♥ フーッ♥」
「「 遅 か っ た か ぁ 」」
一人の男子として、今隣の美少女がどんな顔をしているのが見たい。すっごく見たい。叶うなら脳裏に消えぬ記憶として焼き付けたい。
しかし人として越えちゃイケない一線というものがある。
「レオン、見るなヨ?
お嬢ちゃ~ン、聞こえてル? 返事して欲しイ、色々お見せできない顔になってるかラ」
「超気になるからそういう言い回しやめてくんね?」
そう言いかけた時の事。女子にひっつかれている側の、レオンの上腕に、何か暖かかつ痛みが混じった感触が走った。
少し水分もある。そしてこの痛みには、一定間隔に並んだ硬いモノと、その奥にある柔らかで厚みがあり、熱を帯びた肉のようなものを感じる。
噛まれている。美少女に。
「ン"ン"ン"ン"ン" ―― !!!」
「ストップ! 年頃の女子が男子にそんな事しちゃダメだっテ!!」
レオンは思いっきり空いている方の手で己の太ももをつねる。耐えろ。
そんな状況下、ようやくギルベルトが冷静さを取り戻したように立ち上がった。
「あぁもう、目も当てられない顔してるじゃん二人とも」
「!!? おいギルベルト、お前は平気なのカ?」
「平気な訳無いじゃん。自分自身に『精神切断』をかけたんだ。
精神と身体の作用を一部切り離してる。だから身体には影響が出ててさ。
あまり下は見ないで欲しい」
「男のプライドは尊重するガ、その呪文をあの二人にもかけてやってくレ。
レオンはともかく、エリーザ嬢ちゃんの尊厳が死ヌ」
惚けた顔でレオンの二の腕をしゃぶるエリーザを見、そして必死の形相で堪えるレオンを見る。
「―― 面白そうだからもう少し様子見ない?」
「言い訳無ぇだロ、この腐れ外道」




