第10話
~ 郡都『ドゥプロナール』・船着き場にて ~
より南西へ向かうこと一日。徒歩であれば何週間かかったろうかという距離に、その街はあった。
帝国南三州内における物流の中間点の一つとして、長らく経済都市としての側面も持つこの地もまた、剣呑な雰囲気となっている。
武装した兵が西側の城壁を代わる代わる歩き回り、街中にも兵の数が増えているように見えた。これは正規軍のみならず、現地で徴用された男達もこの中に混じっていると見て問題無いだろう。
「二十万って数字、誇張じゃ無いんだな」
「思ってた以上に、深刻なのね。これが"戦時下"って奴なんだ……」
故郷と帝都以外の光景をしらないレオンにとって、この光景は新鮮なものであった。
それはエリーザも同様であったらしい。"幸運"な事に、道中のアクシデントがほぼ無いまま帝都へ着いたそうな。つまり、初遭遇のアクシデントが『あの処刑』と『カラス色の女』という事となる。それはそれで劇的というべきなのかもしれない。
二人が味わっているのは、街全体の『色彩』そのものが、濁っているような感覚であった。人や、エルフ種といった人々に宿る心には、マナを元とした力が必ず流れている。活力に満ちていれば鮮やかになり、不安に呑まれれば濁るのだ。
(この街もまた、不安に呑まれているんだ)
行き交う人々の顔、警備する兵の顔、それら全てに"影"が見える。どうやら、先日聞いた大叛乱の話も徐々に広まっているらしい。
船着き場に降りてきた五人であったが、まずはクレイグが口を開く。周囲を見回しながら。まるで、衛兵にも聞かれるとマズいと思っているかのように。
「元々、この街にゃ"悪い噂"があってな」
「怪異の類いが出るとか?」
「そっちじゃねぇよ。……銅臭ぇって話」
「うへぇ……」
この街も賄賂の影響があるという事か。道理で皆して暗い顔をしている訳だ。状況は、思っていた以上に悪いという事である。
「黒い月の叛乱軍が迫ったら、この街は保つ?」
「どうだろうなぁ。この近辺、通れるとしても一度に数千が限界だ。
城攻めのために数万を揃えるだけで数日かかる。が、帝都から救援で来るのも同様さ」
西の方角を指さしながらクレイグは続ける。
「ここは西から来るとすれば山岳に挟まれた隘路であり、帝都からすれば隘路を抜けた先の盆地だ。
今後北方で中心になるであろう戦線の動き次第、といった所か」
地図を脳裏に思い浮かべながら、二人も考える。
軍部のお偉い方は、これを聞きながら脳裏で駒を動かし戦局を操るのだろう。
「二人なら、この街をどう見る? 中身の実態がどうとかは抜きで」
「……匕首を刺すなら絶対に狙う」
「先日寄った街が喉元なら、ここは胸骨だもの」
「二人ともお見事」
あまり嬉しくは無い。そう思った時ふと気になった。
レオンにとって、気にはなっていたが長らく聞けていなかった事。
「そういえばさ、兄ちゃん……酒場で『千人殺し』って呼ばれてたじゃん」
「……あぁ、そうだな」
兄は困った、と言わんばかりに頭を掻く。帝都の酒場だけではない、先日立ち寄った街でも、兵士の一部がそう言って羨望の目を向けていた。
軍という空間において、兄は相当な名を挙げたようだ。それも、具体的な数が仇名に入る程の大立ち回り。
千人という膨大な数を、多少盛っているにせよ親しい人数を殺したという事だ。
「少し、話すまで時間くれないか? 『あの赤い女』も、絡んでる」
目をそらした兄の瞳が、揺れている。動揺している。
少々の抵抗もあるようだった。
(やっぱり、帝都での様子もおかしかった。何があったんだ?)
そう思った時、エリーザが二人に声をかけた。
「ねぇ、兄弟の時間中に悪いけど、船着き場の入り口に、女の人が立ってるのよ。
特にお兄さんの方を、じぃっと見てるんだけど知り合い? 結構美人なんだけど」
「「 "すっごい美人"? 」」
レオン等兄弟だけでなく、ク=シグとギルベルトも思わず、エリーザの指し示す方向へ視線をくれていた。
「あれ、これ私キレていいやつ?」
素直な男性陣へのイライラを抑えるのに、エリーザは相当な労力を費す。
船着き場の入り口に立っていたのは、妙齢で結構な身なりの女性であった。都で見るような"美人"の部類というより、子を育てる母としての美しさも含んだマダム。そして、"張るべき所は張り、引っ込む所は引っ込む"という、肉付きの良い立ち姿。
一つ言えるとすれば、顔はエリーザの方が上だ。これはある種、『女の本能』という奴だった。
前置きに(私の方が勝ってるけど)が抜けている事がある。
して、その妙齢のご婦人は、しずしずと彼らの所へ近づいてくる。
脇には、衛兵達も付き従っていた。結構なご身分でもあるようだ。
「―― もしや、身の丈の大きな戦士殿。貴方様は『千人殺し』殿でしょうや」
まっすぐ、クレイグの事を見据えていた。
マダムの問いに対して、兄は恭しく礼を返した。弟にとってみれば、初めて見る姿だ。
「いかにも、クレイグ・ベインズでございます、ご婦人。
麗しいレディに覚えめでたきとは、恐縮の至り。何故、私めの面貌をご存じで?」
「あぁ、申し遅れました。名乗りもせず、問うた無礼はお許しあれ。
私、ここドゥプロナールが太守・『ナルディ』が妻、『イヴェッタ』と申します」
「奥方様でございましたか。
こちらに折りますは我が弟と、知人達にござる」
凄く堅苦しい。息が詰まりそうである。
顔が引きつりそうになるのを我慢するレオンとギルベルトであったが、すぐに驚く事となった。
エリーザとク=シグも、それこそ流水の如き所作で礼をしていたからである。
「弟と友のぎこちなきはお許しください。
先日、ウォリカサルの街でこちらの女子へ悪戯する輩がおりましてな。まだ気が立っておるのです」
「まぁっ! ウフフ、可愛らしいのですね」
何てこと言いやがるんだこの ―― !!
と起こりそうになるが必死で押さえ込む。
現に今、お偉い方の前でやるべき作法が解らないトンマをかましているのは自分達だ。
「して、このドゥプロナールには如何な御用向きでしょう」
「弟とご友人方の護衛、と申させていただきたい」
「あら、そうでしたの。この場では何ですから、舘でお話でもいかがです?
我が夫、ナルディが今宵だけでも良いから貴方様とはお話したいと、常々言っておりましたから」
逗留する暇は無いと言うべきだ、とレオンは目で訴える。
それを小脇に見ていた兄達年長者は、小さく首を振った。得策では無いという事か。
着いて行く他無いという意味だろう。よく見れば、船着き場の衛兵が増えている。
立場がハッキリとしていない以上、この街の兵士はまだ言ってみれば官軍側だ。迂闊に対処出来ない。
前を行く太守婦人の背を見ながら、レオンは兄に近づいた。
「何で断らなかったのさ。この数なら振り切れるじゃん」
「面貌が割れてる。それに帝都では捲けたから良かったものの、今脱出なんてしてみろ、お尋ね者になるぞ」
確かにそうだ。いや、それ以上に気になる点はいくつもある。
「そういや、なんで兄ちゃんの顔が即バレしてんのさ」
「まぁ、『二つ名』を呼ばれたし、知ってる衛兵にチクられたんだろうよ」
「……西でそんだけ大立ち回りしたんだ」
「そんな所だ。まだ、細かくは言いたく無くてな、すまん」
少し、兄の背中がしぼむ。相当気にしている事であるらしい。こればっかりは、説明を強要という気分にもならない。
ギルベルトなら記憶を読む事は造作も無かろうが、それをすればこの関係も壊れる。
ちょいとばかり、空気をほぐすことにする。重い雰囲気のままでは、これからありつけるかも知れない飯もマズくなる。もう一つ気になっている事をあえて此処で聞いてみることにした。このご婦人の『息を呑むようなムチムチボディ』は、兄の"癖"であるからだ。
「まさか目が眩んだとかじゃ無いよね」
「断じて違う」
「世の中には"他の"との"お相手"で奮起する人いるらしいよ?」
「やめろ馬鹿野郎」
前のご婦人、後ろのエリーザ。双方に聞こえない声音で話すのは至難の業だ。
が、やはり兄の視線は揺れている。
いや、腰のあたりで揺れている二つの塊に、ちょいちょい目線が吸い込まれている。
「ごめん、からかった」
「ったく、何を言うかと思えば」
「少し気分を軽くしたくてさ。兄弟なのに、知らない事も多いなって」
「……そうか」
ふと、脳裏に疑問が浮かんだが、これは今口にるすべきか迷って、機を逃した。
兄がそこそこ高名というのは解った。であれば、誰かが兄の面貌を伝えて嵌めようとしている事はなかろうか?
それこそ、あのカラス色の女や、赤い女のような。
※※※
~ カイロニア・某所 ~
―― パァン
邸宅の一室で、けたたましい音が鳴る。それと床に何かが倒れ込む音が。室内には、三人の女がいる。
憤怒の表情を隠さない、白銀のドレスを纏う女。カルトの祖に侍っていた、パライバ。
口元を流れる血を撫でて、何故自分が殴られたかも理解せぬ女。壊れている赤き乙女、ロベリア。
それを他人事のように見やり、あくびを見せてパライバの神経を逆なでする、カラス色の女。メラーナの三名だった。
「おめおめと、誰一人として始末せずに逃げおおせたと言うか!?」
パライバの怒りは、帝都で失態を演じた二人に向けられていた。
二名に与えた命令は、『我々の目的を知った駒を始末した上で、計画を知った者を出来うる限り始末せよ』が一つ目。そしてもう一つは『計画の要である"涙"にちなむ、"運命の子"と思しき者は殺さず捕らえよ』だ。
二つとも中途半端で終わりました、とぬけぬけと言ってのけるその神経までも理解出来ない。
「始末はしたわよ? 涙を持ち出した鼠は処刑台に消えたし、私の術も見た者は消した。あの子達だけよ」
「それが問題だと言っているのがわからぬか? あの後、朝廷に申し出でもされれば面倒な事になる」
「心配ないわよ、パライバちゃんったら張り詰めすぎ。私の蝙蝠があの後もつけてた。
あの子達は【飛翔艦】に乗って南西に飛びました~。多分ここに自分達からやって来るわよぉ」
そう言って、テーブル上のフルーツ皿から葡萄を一房持ち上げて、一粒口に含む。
余裕な態度そのものが他人の背筋を逆なでするのだが、わかっていてやっている分タチが悪い。
「それに南西を通るなら、必ず『ドゥプロナール』は通るわ。距離にしても、飛翔艦の一日の航続距離にしてもね。
あそこには『タンザナ』ちゃんが潜り込んでた筈じゃん?」
「えぇ。ついさっき貴方が発破かけた、プライドの塊のような娘がだ。
心配しか無いわ。タッグを組んでる『ベリル』はそのさらに西担当だ」
パライバは頭を抱えながら部屋の中を彷徨いている。
何が心配だというのだろう。身内を信用していないのか、それとも ――
「あの教祖様にガッカリされるのがそんなに怖い?」
「―――― ッ!!?」
あぁ、図星だった。
パライバはまた、演目における『悪鬼』が如き表情へ変貌すると、メラーナの胸ぐらへつかみかかる。
「その軽い口が二度とたたけぬよう、心を壊してもいいのだぞ。
【管理者】の私には、何時でも出来るのだ。この愚かなロベリアのようになりたいか?」
「おー、怖。はいはい大人しくいたしますよ~」
「ふたりとも怖いよ。仲良くしようよぉ」
ロベリアが半泣きになっており、大きく舌打ちしてメラーナを突き放す。
お互いに流れる、微量な嫌悪感。それは個体毎に差異はあるが、全員の表情にそれが表れていた。
「良いか、メラーナ。我々【人形達】を拾い上げお助けくださったはあの御方と御父上なのだ。
粉骨砕身して励まねばならぬ理由はただそれのみ。恩をお返しするのだ。次は無い故、覚悟しておけ」
そう吐き捨てて、パライバはロベリアの手を引いて部屋を後にした。
きっと、この後じっくり憂さ晴らしも兼ねたお仕置きをするのだろう。
「あ~あ、真面目すぎるったら無いわ」
そう言うと、メラーナは口中の葡萄が甘みを堪能する。良いタイミングの熟し方だ。
食べ物にはどんなものにだって、"食べ頃"がある。熟さず喰えば硬くマズいし、熟し過ぎれば腐って喰えたものでは無い。
「さて、上手くやれるかしら、タンザナちゃん。
『良い青魔術師の子がいる』って言っただけで頭に血が上ってたし」
ロベリアの昔話、そして都で出会った面白い子供達。何故20の坂を越えた連中もそう思ってしまうのかは、自分でもピンとこない。
歯抜けになっている脳内に答えはあるのだろうが、それはきっと後のお楽しみという奴だ。
それこそ熟する前の果実のように。
皿の上にあるバナナを手にして、皮をめくった。
そのバナナは黒く変色している。
「―― たぶんダメそうね」




