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婚約者も功績も妹に奪われた私は、死ぬと噂の北辺公爵に嫁ぐことになりました 〜愛のない結婚のはずが、冷酷な夫は私を手放してくれない〜  作者: 師走
第11章 この先を、あなたと

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第46話

王都屋敷へ戻った時には、もう夜もだいぶ更けていた。


玄関の灯りは落とされているのに、使用人たちの足音だけがまだ残っている。王城から戻った公爵夫妻を迎えるために、火も湯も切らさず待っていたのだろう。


「お疲れでしょう」

アグネスが一礼する。

「湯をすぐに」

「ありがとう」


それだけ返して、自室へ戻る。


扉が閉まった瞬間、ようやく体の力が抜けた。勝った、とはまだうまく思えない。残っているのは晴れやかさより、長く息を止めていたあとの重さだった。


リネットが黙ってネックレスへ手を伸ばす。


「外します」

「ええ」


首筋の後ろで、留め具が静かに外れる。


あの場で外しかけたものを、今度は自分の意思で外される。その違いが妙に生々しくて、エレノアは鏡の前で目を伏せた。


「お嬢様」

「なに」

「今夜は、ちゃんとお守りになれましたね」


リネットの声は小さい。


エレノアはネックレスを受け取り、掌に載せた。冷えた石は、もう誰にも渡っていない。


「……そうね」

「怖かったでしょう」

「ええ」

「でも、お戻りになりました」

「公爵様がいらしたもの」


口にしてから、自分でも少し驚く。


あの場で戻れた理由を、こんなに迷いなく言えるとは思わなかった。


リネットは何も言わず、ただ髪をほどく手をやわらげた。


その夜は深く眠れなかった。


父の顔も、継母の声も、ローザリアの手も思い出した。けれど最後に残るのは、広間の中で差し出されたヴィクトルの手だった。


来い。


たったそれだけで、自分の立つ場所が決まった。


翌朝、王都屋敷の食堂には、また新しい封書が増えていた。


監査入りの話はもう一夜で広がったらしい。招待状より、様子を探る手紙のほうが多い。アシュベリー家と懇意だった家はなおさらだろう。


エレノアはその束を見て、ゆっくり息を吐いた。


「増えたな」

ヴィクトルがパンへ手を伸ばしながら言う。

「ええ」

「放っておけ」

「……はい」


返事をしながら、エレノアは手元の茶へ目を落とす。


昨夜のことで、王都の風向きは変わった。あの家の論理へ戻されることなく、公の場で通った。だから本来なら、ここで少しは楽になってもよさそうなものなのに、息はむしろ落ち着かなかった。


役目は果たした。


そう思ってしまう自分がいる。


北辺の公爵夫人として、王都で立つ。

公爵の悪評を少しでも和らげる。

あの家に、もう奪われない位置を見せる。


それは昨夜で十分果たしたのではないか。

そこで終わりにしてもよかった。


それでも、エレノアは顔を上げた。


「公爵様」

「何だ」

「今後の王都での場ですが」

ヴィクトルの手が止まる。

「私は、もうあまり出ないほうがよろしいかもしれません」

「……」

「昨夜の件で、アシュベリー家への監査は動きます。これ以上、私が表へ出ると」

言葉を探す。

「感情で動いていると、受け取られるかもしれません」


ヴィクトルは何も言わない。


エレノアは続けた。


「公務に必要な場だけで十分です。それに」

そこで少し視線を落とす。

「私が目立つより、公爵様お一人のほうが、王都では動きやすいこともあるでしょう」


言い終えたあと、自分の声がずいぶん静かなことに気づく。


引こうとしているのだ。

無意識に。

勝ったあとほど、自分で一歩下がって、場を整えようとする癖が出る。


食堂の窓から朝の光が差し、机の銀器が淡く光る。


ヴィクトルは茶器を置いた。


その音だけが、やけに小さく響いた。


「それは」


低い声が落ちる。


エレノアは顔を上げた。


ヴィクトルの目が、まっすぐこちらを見ていた。


「お前がそうしたいのか」

問いは短い。

だが、逃がさない種類の短さだった。


エレノアはすぐには答えられなかった。


そうしたいのか。

それとも、そうするべきだと思っているだけなのか。


その違いが、自分の中でまだうまく分からない。

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