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理の翻訳(ワールド・コンパイル)〜無能職の翻訳士、古代の理を読み取ったら神話レベルの仲間ができたのだが〜  作者: さくらば
2章

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13話 新たな旅路

 満ちていた魔力の唸りは、すでに止まっている。

 ネロを縛っている魔力の鎖も、すでにその力を失っているようだ。


 結界はすでに解かれている。

 後は、ネロがその鎖を引きちぎるだけ。


 それで、ネロは自由になれる。


 自由……。

 災厄の自由は、世界にとっての脅威を意味するというのに。

 

 カインは、客観的な視点では、警告していた。

 俺は、人生最大の、いや、世界にとって最悪の選択をしているのではないかと。

 だが、目の前の竜に、その意思はない。そう、心が囁く。

 ネロは、大丈夫だ。友を信じろ、と。

 確かにそうだ。通わせた友との会話に、恐怖は混在していないと分かっているのだから。

 

 だが、 カインは、この場に及んで、その不安をよぎらせた。

 今更と言われても、「その時」が来たからこその不安というものはあるものだ。

 

 彼に心を許してもよいと思えるだけの繋がりが出来た。かけた時間ではない。通わせた濃さが、そうさせた。

 

 だが、それでも。

 彼は、災厄の竜、漆黒竜である。

 本気をだせば、世界をも崩壊させることができるかもしれない。


 もし、彼の本能が、世界を滅ぼしたいと願ったら。


 カインは、分からなくなった。

 懺悔という言葉を、何に対して使ったらよいのか。

 封印を解いたことに対してなのか。

 友と呼んだ相手を、信じ切れていないこの状況に対してなのか。


 と、その時――。


 鎖が、輝いた。


 目を焼くような、それ自体が意志を持つかのような閃光が、ネロを縛る鎖の全てに走った。


「――ッ」


 鎖がネロの巨体に食い込んだ。緩むはずだった戒めが、逆に締まっていく。封印が解けるのではなく、強化されていくような、そういう異様な輝きだった。


「ネロ!」


 声を上げながら、カインは頭の中で手順を走らせた。翻訳の工程を一から解体して、思考の渦の中に放り込み、拡散させて、ミスの欠片を弾き出そうと試みる。


 核の構造式。魔力の流れ。翻訳した文字列の配列。どこかに誤りがあるはずだ。あってくれなければ困る。自分がミスをしていないなら、なぜ鎖が強まっているのか。


 理性より先に、本能がネロのために動いていた。

 これが、本心だった。

 ネロを信じる。ネロを助けたい。

 理屈はない。接してみて感じた、勘だった。



 だが、何度繰り返しても、極小のミスの欠片すら、ふるいにかからない。


「どうなってる!?」


 声が震えた。翻訳士として積み上げてきた自負が、根こそぎ揺さぶられる感覚。それ以上に、目の前で締め上げられていくネロの巨体から目を逸らせなかった。漆黒の鱗に走るひびのような光の筋。苦悶に細まる金色の瞳。


「ネロ、俺が何か間違えた? どこかで手順を――」

「問題ない」


 短かった。

 余裕すら滲んだ声音に、カインは言葉を失った。痛みに耐えているはずなのに、その声は凪いでいた。


「何が問題ないんだ、鎖が――」

「お主はミスをしていない」


 慰めのようには感じない。確信という単色で染め上げられた、淡々としつつも、力強い言葉。


「封印が解ける際の反動じゃ。魔力が逆流する。我が受け取るしかない」

「受け取るって、それは」

「黙って見ておれ」


 有無を言わせない響きだった。漆黒の鱗がまばゆく輝いて、ネロの巨体が光の中に飲み込まれていく。魔力の奔流が可視化されたように、洞窟全体が震えた。足元の岩盤から振動が伝わり、カインの膝が沈みそうになる。


「待て、待ってくれ――」


 だが、光は止まらなかった。

 青白い輝きが白に変わり、白が何もかもを塗り潰していく。

 音が消えた。カインは目を細めながら、それでも前を向き続けた。ネロがそこにいる間は、目を逸らさないと、そう思いながら。


 閃光が、洞窟を丸ごと飲み込んだ。


 ――。


 ――静寂が残像のように残った。


 青白い残光が消えていき、やがて洞窟に闇が戻ってくる。カインはゆっくりと焦点を合わせた。


 そこには、何もなかった。

 巨大な漆黒の鱗も、翼も。


「……ネロ」


 返事はなかった。


 カインは、ゆっくりと足を踏み出した。


 かつてネロが佇んでいた場所に立って、辺りを見渡す。だが、どれだけ見渡しても、見えるのは岩肌のみだ。その岩肌も、かつての青白い光を徐々に失いつつあり、普通の岩へと戻ろうとしているかのようだ。結界の魔力が無くなったからだろう。

 まるで「彼」がいた痕跡を全て消してしまうかのようだった。


「ネロ」


 声がかすれた。

 魔力の逆流を受け取ると言っていた。それがどういう意味なのか、俺は翻訳士だ、意味くらい分かるはず。何かしらの前向きな答えが見つかるはずだ。


 知識を捏ね繰り回す。



 だが、今この静寂の前では何の言葉も出てこなかった。


「俺は……」


 悲しみに暮れ、脚から崩れそうになった――その時。


「……うるさいのう」


 声が、足元から聞こえた。

 カインは視線を落とした。


 そこには、小さな可愛い小竜がいた。いや、世間から見ればそれは、トカゲと間違えるほど、威厳の欠片もない生物だった。黒光りの羽に、少し見覚えがある。



 全長で言えば、掌に乗る程度。

 漆黒の鱗は健在だったが、こうして小さくなると艶めかしい輝きより丸っこい愛嬌の方が勝っている。元は縦に割れた金色の瞳すら、丸っこく愛くるしい瞳になっている。カインを見上げるその目が、どこか不服そうに細まっている。


「……」


 カインはしばらく固まった。


「お前……」


 言葉が追いつかない。


「……本当にネロか?」


 沈黙。


 小さなネロは尻尾の先をぴんと立て、明後日の方向を向いた。その動作があまりに小動物めいていて、カインは笑うべきか泣くべきかの判断が一瞬つかなかった。


「……魔力を、ほとんど使い切ってしまっただけじゃ」


 不承不承、という響きだった。


「逆流してきた莫大な魔力を相殺するために、ほとんどの魔力を放出した。その……副作用として、この姿になっただけで、死んではおらぬ。特段の問題はない」

「問題しかないだろ」

「うるさい」


 不貞腐れた彼の気分は、トカゲもどきにも関わらず、ヒトと変わらないくらいによく伝わる。いや、同じヒトでも伝わらない気持ちがあるというのに、魔獣からこうも素直に伝わるとは。カインは改めて、ネロに特別なものを感じた。にしても――。

 

「いや、本当に生きてて……よかった」

「なぜお主が泣きそうな顔をしておるのじゃ。情けない」

「うるさい」


 今度はカインが言い返した。

 緊張の糸が、音もなく切れていくのがわかった。膝の力が抜けて、その場にへたり込む。冷たい岩盤が掌に触れる感触が、妙にリアルだった。生きている。自分も、ネロも、ちゃんとここにいる。


 小さなネロが、とてとてとした足取りでカインの膝の上に乗ってきた。


「……重いか?」

「全然」

「そうか」


 それだけ言って、ネロは前足を折り畳んで座った。羽が小さく動いて、また閉じる。

 しばらく、二人は黙っていた。


 ――。


 先に動いたのはカインだった。


 荷物袋を引き寄せて、中を漁る。冒険者の入門書などは、ふやけすぎて使い物にならなくなっていたが、欲しいのはそれではない。取り出したのは、魔力素材を入れるための数本の密封小瓶。液体状の魔物素材や魔液を回収するために常備してある道具で、こういう準備だけは怠ったことがない。


 カインは、泉へと足を運んだ。

 この泉が、瀕死のカインを生かした。傷を癒し、魔力を補い、死の淵から引き戻した高性能の回復水。あれをこのまま置いていくのは、冒険者として、もったいないにもほどがある。


 カインは立ち上がり、泉の前に膝をついた。小瓶の蓋を開けて、青白く輝く水面にゆっくりと沈める。満たされる感覚が指先から伝わってきた。


「何をしておるんじゃ」


 膝の上から移動してきたネロが、カインの肩口に乗っかって小首を傾げた。



「この水を持ち帰る。すごく効く回復薬だし」

「前にも言ったが、それはいわば超高性能ポーションじゃからのう」

「冒険者としては、必須でしょ」

「最底辺じゃがな」


 また始まった、ネロの底辺扱い。だが、カインも言われっぱなしではない。


「底辺の肩に乗っかってるトカゲが、偉そうにしてんじゃねえよ」


 お互いに棘はなかった。この短期間で築いた絆の結晶である。


 カインは小瓶の蓋を閉めて、荷物袋に丁寧にしまった。まだ数本ある。いけるだけいっておこう。


 作業しながら、カインは洞窟の奥の方を見た。封印の核があった場所は、今や魔力の残滓すら感じない。鎖も消えた。ネロを縛り続けた力が、完全に消滅した。岩肌の光も、もう微か。しばらくすれば、この洞窟内は完全な闇に包まれるだろう。


 それと同時に。

 洞窟の入口の方から、微かに風が吹き込んできた。

 閉じられていたはずの通路に、光が差している。外の光だ。結界が消えたことで、入口を塞いでいた魔力の壁も消滅したらしい。昼の光が、洞窟の暗闇に細く差し込んでくる。


「我を縛っていた魔力が尽きたからな。当然じゃ」


 ネロの声は相変わらず不遜だったが、その視線は光の方を向いていた。

 

「お主を安全なところへ運ぶ。そういう約束じゃったな。時に、カイン。その後、お主はどうするつもりなんじゃ?」


 カインの瞳に問いかける、ネロのその言葉には「含み」があった。


「俺は……」


 次の言葉を送り出すまでに、しばらくの沈黙があった。

 それは、ひとつの決心の現れだった。


「世界一の冒険者になりたい。絶対に無理だと言われたその夢を、追い続けたい」

「世界一、か。底辺と認めつつも、その高みを目指すか」

「どうせ、底辺にいるんだ。見上げるしかないだろ? それなら頭上の果実を見るのも、空に浮かぶ雲をみるのも、そう変わりないさ」

「シャドウウルフを倒すことすら無理だと嘆いていた奴が、よくもまあ、大それたことをいうもんじゃな」


 ははっ、と苦笑いで返すカイン。

 

 その通りだ。Dランクの魔物討伐すら無理だと嘆く、伸びしろ皆無の冒険者が、世界一を目指すなど笑わせる。そこに拘るなんて、気がふれているとしか思えない。


 所詮、幼少期に膨らませた夢。

 大きくなった今、意地になって父・ファルクの影を追いかける必要なんてないのだ。

 幼馴染の、冒険者としての活躍に嫉妬するのも醜いし、彼らの挑発に対抗する理由などない。

 冒険者になれたからといって、その道を突き進むことが正義ではない。常識的に考えて、翻訳士には翻訳の仕事が正当な道だ。むしろ、それしかない。

 翻訳士という道で、自身の人生を積み上げていけばいい。母・リーザもそれを望んでいるはずだ。 それが、今できる精一杯の「幸せの近道」なのだ。


 ……と、脳内で御託を並べる正論者を、振り払う。

 そういうことじゃない。世間的にどの道が正しいか、どの道が安全か。そんなことを考えるために、俺の人生があるわけじゃない。

 

 道理や正論ではない。言葉では表せない、本能から湧き出る何かだ。

 どん底まで落ちて、改めて気付いたのだ。

 全てわかったうえで、それでも目指すべきものなのだと。


「ネロ……」


 カインの野望に満ちた視線は、ネロの心へと問いかけるように、乱れなく刺さっていた。

 

「ああ」


 ネロは、自身へと呼びかけたその一言だけで、カインの意図を汲んだ。

 そのうえで、自身の目標を含めて、カインに問いかける。


「我は、我を封印した者をどうしても探し出したい。だが、情報があまりに乏しいのじゃ。分かるな?」

 「ああ、情報収集は任せてくれ。古代文の翻訳と解析は、信頼に足るものだと自負してるからな」


 お互いに理解していた。いや、理解せずとも、こうなる流れは決まっていたのかもしれない。

 カインは、世界一の冒険者になるべく、ネロの力を借りる。

 ネロは、己を封印した者を探し出すため、カインの古代文翻訳・解析の力を借りる。

 

 かつて、強くなければ冒険者ではない、そう思っていた。

 だが、今はそう思わない。弱くてもいいのだ。足りなくてもいいのだ。

 

 ないなら、補う。出来ないことを嘆くより、出来ることで助け合いをする。


 戦闘はネロ。情報収集はカイン。

 役割分担ができた。


「よし、じゃあ行くか」

「行く? どこへじゃ」

「街に戻る。とりあえず、宿と飯が必要だし」


 ネロの口が、もぞっと動いた。ゴクリという喉のうねる音が、確かに聞こえた。


「そうじゃ、飯を食わせろ。まずは飯じゃ。ヒト族の飯は美味と聞く。早く食わせろ!」

「俺の分、食っただろ」

「あんな、ちんけな量で、味など分かるか!」

「はいはい、そうだね。じゃあ、急ごう」


 カインも同じ気持ちだ。

 こうやって、平然と会話しているが、空腹問題は何も解決されていない。

 泉のおかげで死んでいないだけで、限界はとうにきていた。


 腹が減っては戦が出来ぬ、というのは先人の言葉だ。

 ただ単に腹いっぱい食べたいだけの方便だと思っていたが、事実、腹が減っているだけで力がでない。


 これから盛大な「運命への戦」を始めるのだ。

 底辺無用の翻訳士が、災厄の魔獣・漆黒竜アビズガルドとともに、世界一の冒険者になるという前代未聞の戦だ。

 腹いっぱい食べようではないか。


 荷物袋を背負って、立ち上がる。肩の上でネロが小さく体重を移動させて、バランスを取るのが伝わってきた。


 どん底から見上げる空には、いくらでも自由な人生を描ける。

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