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『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


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第96話 終わりを繋ぐ者

 陽が昇り、また沈む。

 それが、いつから同じ色に見えるようになったのか――リアンにはもう思い出せなかった。


 教会の鐘が鳴るたびに、彼は呼ばれる。

 王都の屋敷、兵舎、修道院。

 昨日も、今日も――そして、明日も。

 死者は途切れず、紋は次の担い手へ渡されていく。


 リアンはただ、その光景の中に立ち続けた。

 迷いも、ためらいもなく。

 まるで、それが“呼吸”のように当たり前になっていく。


 


 繋ぎの儀式が終わるたび、家族の涙、祈りの声、風の音――

 それらがひとつに混ざり、やがて遠ざかる。

 彼の胸に残るのは、淡く冷たい光だけだった。


 


 その日もまた、教会支部を出たリアンの前に、サラが歩み寄る。

 陽の光が差しても、彼の影は薄く見えた。


「……疲れてない? 大丈夫?」

 サラの声は、風に溶けるように柔らかい。


「繋ぎの依頼が増えてる。……戦が近いんだ」


「そういうことじゃないの」

 サラは彼の横顔を覗き込み、眉をひそめる。

「なんで、あんたばっかり繋ぎなの?

 “導き手”でしょ? 本来は紋章師の仕事でしょ」


 リアンは答えず、足を止めた。

 昼下がりの小路。人通りはなく、風が石畳をなでていく音だけが響く。


「……俺ばかりじゃないさ」

 彼の声は低く、乾いていた。

「戦場では、毎日のように人が死ぬ。

 そのたびに、誰かが“繋がなきゃ”いけない。……それだけのことだ」


「“それだけ”じゃないでしょ」

 サラの言葉が鋭く割り込む。

「繋ぐって、“命の形”を受け渡すことよ。

 そんなの、感情を押し殺して、毎日はできない」


 リアンはわずかに目を伏せた。

 唇が動くが、言葉にはならない。


(……できてしまう。だから、怖いんだ)


 心が、慣れていく。

 悲しみに触れても、もう涙が出ない。

 送り出す光が、美しいと知ってしまう――


 そんな自分が、いちばん怖かった。


 


「……セラフィナが言ってたことを思い出す」

 リアンがぽつりと呟く。

「“世界を見ろ”って。優しさだけではできていないと。

 たぶん――こういうことなんだろうな。

 人が死んで、また生きて、また死ぬ。

 その全部を、見続けろって意味なんだ」


 サラは黙って彼を見つめていた。

 沈黙が、風の音を鋭くする。


「……そんなの、見続けてたら壊れるわ」


 リアンは小さく笑った。

「大丈夫だよ。……君がいるから」


「……は?」

 サラの頬がわずかに赤くなる。

「なにそれ、今さら口説く気?」


「違うよ」

 リアンは小さく首を振った。

 けれど、ほんの一瞬だけ笑みを見せる。

「君が笑ってると、現実に戻れるんだ」


「……あっそ」

 サラは一瞬だけ目を伏せて、ため息をついた。

「ほんと、そういうとこだけ素直なんだから」


「そうか?」


「そうよ。……バカ」

 そう言って、彼の肩を軽く叩く。

「じゃあ、もっと笑わせてあげる。

 あんたが“導き”を忘れないようにね」


 リアンはその言葉に目を細めた。

 淡い風が二人の間を抜ける。

 まるで、沈みかけた心に一筋の息が吹き込まれたようだった。


 


 その日の夕暮れ。

 王都の外れ、小さな石造りの家の前に、リアンとサラは立っていた。

 扉の上には、傭兵団の古い紋章旗。

 すでに色は褪せ、風に擦れて端がほつれている。


「……ここね」

 サラが小さく呟く。


「繋ぎの依頼の家だ」

 リアンの声は低い。

 その横顔は、もう何度も見た“別れの顔”を映していた。


 迎えに出たのは、粗末な革鎧を着た青年だった。

 まだ若い。だが瞳の奥には、戦場の光があった。


 青年は深く頭を下げ、言葉少なに二人を中へ通した。


 


 部屋の中央には、ひとりの男が静かに横たわっていた。

 壁には、剣と空の酒瓶。

 昨日まで笑い合っていた者たちの名残が、まだそこにあった。


 血の滲んだ包帯がまだ新しい。

 戦いの痕跡が、そのまま彼の最期を語っていた。


 青年が、震える声で言う。

「……家族はいません。

 でも、あいつとは十年、傭兵として一緒に戦ってきたんです。

 兄弟みたいで……だから、俺が“繋ぎ”を」


 リアンは小さく頷いた。

「……わかりました」


 短い沈黙。

 蝋燭の炎がゆらりと揺れる。

 窓の外では、風が草をなでる音だけが聞こえる。


 


 リアンは右手をかざした。

 方舟の紋が淡く光を帯びる。


 一拍の静寂――


「――繋ぐ」


 その言葉とともに、亡骸の右手に刻まれた紋章が浮かび上がる。

 鈍く輝く銀の円が、ゆっくりと空気に溶け、青年の手へ流れ込んでいく。


 光は一瞬、ふたりを包み込んだ。

 けれど、暖かさはすぐに消えた。

 残ったのは、掌に残る微かな温かさと、胸の奥に広がる静寂。


「……終わりました」

 リアンの声は、風に消えるように小さかった。


 青年は胸に手を当て、俯いたまま呟いた。

「……ありがとう。

 これで、もう一度一緒に戦える気がします」


 サラはそっと目を伏せた。

「……あんた、泣かないの?」


「泣いたら、また“弱くなる”気がして」

 青年はかすかに笑った。

「でも、ちゃんと覚えてます。あいつの声も、癖も……全部」


 リアンは何も言わなかった。

 ただ、光が消えた床の上に視線を落とす。

 そこに、まだわずかに残る温もり。

 誰かを想う“痛み”が、確かにあった。


 


 外に出ると、夜風が冷たかった。

 空は茜色から群青へと変わり、遠くで鐘が一度だけ鳴る。


 サラが小さく呟く。

「……家族じゃなくても、繋げるのね」


「うん。……想いがあるなら、形は要らない」

 リアンの声は穏やかだった。

 けれど、その眼差しには深い疲れが宿っていた。


「……あんたさ」

 サラが少し間を置いて言う。

「こういうの、全部覚えてるの?」


「……たぶん、忘れない」


「バカね」

 サラは息を吐き、空を見上げる。

「そんなの、抱えきれないでしょ」


 リアンは、微かに笑った。

「それでも、誰かが覚えてないと」


 風が二人の間を抜ける。

 サラはその横顔を見つめながら、静かに言った。

「ねえ、リアン。……あんた、優しすぎるんだよ」


「優しいっていうより、臆病なんだ」


「臆病?」


「忘れるのが怖いんだ。……全部、無かったことになる気がして」


 サラは一瞬だけ黙り、そして小さく笑った。

「……あんたらしいわね」


 リアンは答えなかった。

 ただ、沈む陽を見つめるように、遠くを見た。


 それはまるで、心のどこかが少しずつ削られていくような感覚だった。

 それでも、彼は歩き続ける。


 ――導き手として。


 


 そして夜。

 宿の灯りが揺れる頃、リアンはまた、静かに紋章書を閉じた。


(……英雄の記憶にあった“こんな世界”って、これかもしれない)


 繋いでも、終わらない。

 救っても、また新しい死が生まれる。

 それでも人は、前に進む。


 それが世界の“酷さ”であり、“美しさ”なのかもしれない。


 


 ふと、背後からサラの声がした。

「ねえ、寝ないの?」


「もう少しだけ」


「……無理しないでよ」

 ベッドに腰かけたまま、サラは背を向けて言う。

「……壊れたら、私が困るんだから」


 リアンは少しだけ笑った。

「……心配してくれるんだ?」


「してない」

 即答。けれど、声が少しだけ柔らかい。

「ただ、あんたがいないと静かすぎるの。……それだけ」


 リアンはその背中を見つめながら、ゆっくりと目を閉じた。

(そうだな。

 もし君がいなければ、俺はもう――導く者になっていたかもしれない)


 窓の外で、風が小さく鳴った。


 


 灯がゆれ、壁に映る影がひとつに重なる。


 


 今日もまた、どこかで誰かが“繋ぎ”を待っている。

 それでも――明日へ歩くために、彼は静かに目を閉じた。


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