第79話 「英雄のいない町」
防具の整備を終えた職人は、最後に仕上がりを確かめるように丹念に手で撫で、静かにサラへと差し出した。
「……これでまたしばらくは持つだろう。大事にしてやってくれ」
「うん。頼もしい相棒だもの」
サラは受け取って肩に掛け、革の縁や鋲の座りを指先で確かめる。ひと息おいて、懐かしさと安堵を混ぜた声で言った。
「ありがとう。やっぱり、ここの仕上がりは安心するわ」
「腕は鈍っちゃいないさ」
職人は鼻を鳴らし、少しだけ誇らしげに顎を上げた。
やりとりを見守っていたリアンは、胸の奥のひっかかりを抑えきれず口を開く。
「……その英雄が落ちた谷。場所を教えていただけませんか?」
問いに、職人の目がわずかに陰る。
「……あの谷か」
短い沈黙。やがて遠いものを見透かすように目を細め、深く頷く。
「町から北へ続く山道を行った先だ。英雄が竜と共に姿を消した場所。岩肌は焼け、地は裂け、今でも戦いの痕が残っている。見に行く者は少なくない。特に――冒険者たちがな」
「冒険者……」
リアンが小さく反芻すると、職人は肩を落として続けた。
「あわよくば英雄の武器を、と挑む。だが谷は険しい。竜が生きているかもわからん。……多くは帰らず、命を落としていった。結局、誰も何ひとつ得られはしなかった」
言い終えると、職人は無意識に槌の柄を握りしめる。節に刻まれた皺が、過去の記憶を物語っていた。
「武器は命を奪いも救いもする。だからこそ、選ぶのは人間の方なんだがな……」
ぽつりと落とされた言葉に、炉の音がかすかに呼応する。
ひと呼吸おき、男は槌の頭を布でひと拭いした。
リアンは姿勢を正し、深く頭を下げた。
「教えてくださって、ありがとうございます。忘れません」
「礼はいらん。……行くなら、戻ることを先に考えろ。行きっぱなしの“英雄”は、ひとりでたくさんだ」
職人の声音は厳しいが、底に温かさがある。
「気をつけるわ」
サラも短く礼を述べ、扉へ向かう。
扉が閉まると、夕暮れの空気が一気に流れ込む。赤く染まった光が街路を覆い、金属の香に一日の終わりの湿りが混じった。
「……重かったな」
リアンの呟きに、サラが横目で見て肩をすくめる。
「重いのは物語。あんたは足どりを軽くしなさい」
「物語、か」
「うん。背負いすぎると転ぶわよ? だから私が横で持つ。半分ね」
いたずらっぽく笑ってみせると、リアンの口元に、ほのかな緩みが宿る。
「助かる」
「助けるの、嫌いじゃないのよ。ほら、顔が少し楽になった」
歩きながら、リアンは眉を寄せる。
「……谷には未練を抱いた魂が縛られているかもしれない。挑んで命を落とす者がいるなら……いずれ瘴気が生まれ、魔物を呼び寄せる可能性もある」
「だから行くんでしょ?」
「ああ」
「なら、決まり。私は横で見てる。危なくなったら前に出る」
「順番、逆じゃないか?」
「いいの。導き手が前、守り手が横。それが私たち」
サラはわざと大げさに胸を張って、からりと笑う。
「それに……あんたの訓練もしなきゃね」
「またそれか」
「またそれよ」
空気がふっと緩んだところで、サラが通りの看板を指差す。
「ね、ついでに武器屋。どうせ行くんでしょ?」
「……見透かされてるな」
「わかりやすいもの、顔が。“新しいのが欲しい”って書いてある」
通りを抜け、武器屋の扉を押す。熱気と鉄の匂いが押し寄せ、鈍い光を帯びた刃が壁一面に並ぶ。炉の赤が揺れ、店全体が生き物のように脈打っていた。
刃の面に赤が走り、天井の梁が鈍くきしむ。
「旅の方か。剣か槍か、それとも弓か?」
カウンター奥で腕を組む屈強な店主が、じろりと値踏みする視線を送る。
「短剣を新調したい。扱いやすくて、耐久のあるものを」
「見せてみな」
リアンは短剣を鞘ごと台に置き、半分ほど引き抜く。店主は光にかざし、鼻を鳴らした。
「……随分使い込んだな。研ぎは悪くない。だが素材がもう限界だ。あんたの腕なら、これじゃ力を殺してる」
「ですよねー」
サラがすかさず合いの手を入れる。
「私、初見で“寿命だな”って思ったもの」
「はいはい」
リアンは苦笑し、肩をすくめた。
店主は棚から短剣を数本並べる。
「軽さならこれ。斬れ味ならこっち。丈夫さなら鍛鋼。……で、あんたはどう戦う?」
「素早く動いて、隙を突く。重さより、確実に振れる方がいい」
「なら、これだ」
差し出されたのは銀灰色の短剣。刃は薄く鋭い。鍔は簡素、だが堅牢。
リアンが握ると、手にすとんと馴染んだ。
「……軽いのに、芯がある」
「芯に秘訣がある。あとは振る手だ」
店主が短く笑うと、サラがニヤリ。
「似合ってる。ちょっと格好いいじゃない」
「“ちょっと”か」
「うん。伸びしろ込みで“だいぶ”」
「これを――買います」
迷いは短く、声は静かに硬かった。
代金を払い、鞘を腰に収める。重心がわずかに整い、背筋が自然と伸びる。
「どう?」
「悪くない。ありがとう、サラ」
「どういたしまして。攻めは武器、守りは防具。旅は両輪、片方欠けたら転ぶだけ」
「肝に銘じる」
「うん。じゃ、銘じる前に腹、満たそ」
通りの向こう、香ばしい匂いが夜風に乗ってくる。
木造の食堂は窓から光が溢れ、笑い声が通りまでこぼれていた。扉を押すと、熱気と香が一気に押し寄せる。長いテーブルでは屈強な冒険者たちが杯をぶつけ、鉄と革がぶつかる乾いた音がリズムを刻む。
「席、空いてますよ!」
店員の掛け声に案内され、二人は壁際に腰を下ろす。
「……お腹すいた」
サラが素直にお腹を押さえる。金の瞳が子どものようにきらきら光る。
「じゃあ、肉と魚、両方いこう」
「名采配!」
ほどなく木皿が並ぶ。香草で焼いた肉、焦げ目のついた魚のグリル、厚切りのパン、湯気を立てるスープ。
「いい匂い!」
サラはパンを割り、熱い肉を挟み込んで豪快にかぶりつく。
「んーっ! 美味しい!」
「そんなにか?」
リアンも一口。香草の香りと肉汁が舌に広がり、喉を通る温かさが身体の芯をほどいていく。
「……確かに、悪くない」
「“悪くない”って言い方、最高に褒めてるときのやつでしょ」
「バレた?」
賑わいの中、リアンの視線がふと遠くへ滑る。――英雄の武器を求め、谷へ挑み命を落とす者たち。ここにいる誰かも、そのひとりかもしれない。
(……ここは“武器の町”であり、同時に“冒険者の町”でもある)
考えが顔に出たのか、サラがスープをすすりながら覗き込む。
「眉、寄ってる。ほぐして」
「努力はする」
「今ほぐす。はい、肉もう一切れ」
「……食べろってことか」
「そういうこと」
そのとき、盆を抱えた若い店員が近づき、声を潜める。
「……お客さんたちも、谷へ挑むの?」
唐突な問いに、リアンは一瞬だけ息を呑み、短く頷く。
「……まぁ、そうなるな」
「やめておきなよ」
店員は眉を寄せ、肩をゆるく落とす。
「英雄の武器が残ってたとしても、ボロボロで使い物にならないさ。それに……竜がいなくなってから、魔物が増えてるって話もある」
「増えてる?」
リアンの声が低くなる。店員は「ごめんね」と会釈し、盆の脚がからりと鳴り、彼女は別の席へ駆けていった。
置き土産の一言が、テーブルに薄い緊張を残す。
「……訓練、ちょうどいいじゃない?」
サラが肉の皿を指でつつき、冗談めかす。
「訓練ってな」
リアンは苦笑しつつも、すぐ表情を引き締める。
「……魔物が増えている、か。やっぱり、瘴気の可能性は――」
「単純に縄張り争いって線もあるわよ」
サラはスプーンを軽く掲げてみせる。
「竜がいなくなった。空いた座に、別のやつが座る。自然って案外、そういうもの」
「……そういう見立ても、あるか」
「答えは現地。見るまで保留」
サラはスープを飲み干し、明るく笑う。
「で、デザートは?」
「節約は?」
「節約はほどほどに、明日死んだら食べられないもの」
「……言ってることが」
他愛ないやりとりを交わしているうちに、喧騒は心地よい背景に溶けていく。香ばしい肉と温かなスープ、笑い声と杯の音。夜がふくらみ、疲れがゆっくりと解けていく。
店を出る頃には、町中に灯がともり、夜空には星が一つ、また一つと顔を覗かせていた。炭火と鉄の匂いを背に、二人は肩を並べて歩き出す。
「新しい短剣、歩き方に出てる」
「そうか?」
「うん。ちょっとだけ“英雄っぽい”」
「それ、やめてくれ」
「冗談よ。半分は」
「半分か」
宿の部屋に入ると、外のざわめきは遠く、虫の声と炉に残る火の温もりが静かな夜を満たしていた。木の壁に淡い灯が揺らぎ、旅の疲れをやさしく包み込む。
「……明日の朝から、あの谷に行くんでしょ?」
サラが椅子に腰を下ろし、靴紐を解きながら問う。声音は軽いが、奥に確信の響き。
「ああ。放っておくわけにはいかない」
「了解。じゃ、私は“横”で構える」
「頼む」
「任された」
窓の外、星が散る。英雄像、職人の声、谷へ向かった無数の足跡――映像が脳裏で重なり続ける。
(……俺は、“英雄”になりたいと思ったことは、一度もない)
静かな声が胸の奥に落ちる。
名のためか。誰かのためか。あるいは、戦い抜いた果てに、人が勝手に、そう“呼ぶ”だけなのか。
答えは出ない。ただ、心に残るのは剣の光ではなく、職人の言葉――「時間と共に結果だけが残る」。
ベッドに横たわると、サラが布団にもぐり込み、天井に向かってぽつり。
「英雄なんてさ、なろうとしてなるもんじゃないわよ」
「……だろうな」
「リアンはリアンでいればいい。それが結局、一番むずかしくて、一番いい」
「覚えておく」
「覚えなくていいよ。やってれば、それが答えになるから」
からかうようでいて、やさしい。軽いのに、芯が温かい。
リアンは目を閉じる。胸の問いはまだ残る。けれどサラの言葉がその重さを薄い毛布のように覆い、呼吸が静かに深くなる。
灯が揺れ、夜が降りる。星の瞬きが遠く、静かにそこにあった。




