↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魂を導く紋章師』  作者: nukoto


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

79/309

第78話 「炉の息」

 薄明の気配が、森をそっと染め始めていた。

 夜の帳はまだ完全には退かず、木々の間には淡い靄が漂っている。

 ひんやりとした空気が肌を撫で、枝葉の奥から小鳥のさえずりが少しずつ広がりはじめた。

 静けさの底から、朝が押し寄せてくるのがわかる。


 リアンは目を開け、微かな吐息とともに身を起こした。

 胸の奥には、まだ夢の残滓があった。

 温かさと切なさが混ざり、名のない感情となって心を締めつける。


 横を見ると、サラが毛布にくるまり、安らかな寝息を立てていた。

 戦いの緊張を隠すこともなく、まるで子供のように無防備な寝顔。

 その姿を見ていると、不思議と安堵が胸に広がっていく。


(……この時間が、いつまで続くんだろう)

 ふと浮かんだ思いを、リアンは首を振って追い払った。

 今はただ、この穏やかな朝を受け入れればいい。


 枝葉の隙間から差し込む光が、焚き火の名残の灰を照らす。

 森は眠りから覚め、確かに新しい一日の始まりを告げていた。

 リアンは深く息を吸い、静かに吐き出す。

 夢の残り香も、胸にあった迷いも、少しずつ薄れていくようだった。


 小鳥の声がひときわ大きくなり、朝の光が葉の間からこぼれる。

 その光を受けるように、サラのまぶたがかすかに揺れた。


「……おはよう」

 金の瞳がゆっくりと開かれ、まだ眠気を帯びた視線が辺りをさまよう。

 やがてリアンへと留まり、サラは口元を緩めた。

「おはよう。……ふぁぁ」


 小さな欠伸を噛み殺しながら、毛布の中で伸びをする。

 銀の髪がさらりと肩からこぼれ落ち、朝の光を受けてきらめいた。

 リアンはその光景に一瞬だけ目を奪われ、慌てて視線を逸らす。


「よく眠れたか?」

「うん、ぐっすり。……やっぱり焚き火のそばって落ち着くのよね」

「そうか。疲れも取れたなら何よりだ」

 リアンの声に、サラは満足げに頷いた。

 毛布を払いのけ、背をぐっと伸ばすと、関節が小さく鳴った。

「よし、そろそろ出発の準備ね」

「慌てるなよ。まだ朝飯も食ってないだろ」

「……そうだった」

 くすっと笑い、彼女は荷に手を伸ばした。


 その何気ない仕草さえも、リアンの胸の奥にはまだ夜の夢の残滓を思い起こさせていた。

――幸せそうに並ぶ、誰かの微笑み。

 その光景がサラの笑顔と重なり、リアンはほんの少しだけ目を伏せた。


 森に差し込む光は葉の隙間から金の粒となって落ち、冷たい空気が肺を澄ませるように広がっていく。


 リアンは焚き火の残り火をかき集め、小さな炎を蘇らせた。

 干物を軽く炙ると、香ばしい香が満ちはじめる。

「……昨日も食べたけど、こうすれば少し違うな」


 村でもらったパンを割り、熱の入った干物を挟み込む。

 油がじゅっと染み出し、湯気が朝の空気に混ざった。


 匂いに釣られ、サラが顔を出す。

「ん……いい匂い。干物サンド?」

「そう。少しは工夫しないと飽きるだろ」

「へぇ、やるじゃない。こういうの、センスあるのね」

「褒め言葉として受け取っておくよ」


 サラは笑ってかぶりつき、頬をほころばせる。

「んっ……悪くない。いや、かなりいいかも」

「だろ?」

「うん、これは合格。次はスープ付きでお願い」


 (小さな間)

 リアンは木の椀を指で一度だけ叩いた。

「……注文が多いな」


 二人は顔を見合わせて笑い、森の気配に声が溶けていった。


 湯を温めた木の椀からは白い湯気が立ちのぼり、冷えた身体を少しずつ解きほぐしていく。

 質素ではあるけれど、旅路を支えるには十分な――確かな温かさのある朝食だった。


⸻


 森を抜け、馬車は土の道を進んだ。車輪がきし、と鳴る。

 やがて開けた場所に石造りの門と高い柵が見えてくる。

 門の上には大きな板が掲げられ、太い文字でこう刻まれていた。


――英雄と武器の町。


 門前には屈強な体格の衛兵が立っていた。

 低い背丈にがっしりした腕、編み込まれた髭――ドワーフ族だ。


「止まれ。どこから来た?」

 低く響く声に、リアンは馬車を止めて胸に手を当てる。

「海沿いの村から。王都へ向かう途中です」

「ふむ……旅人か。連れもか?」

「はい。彼女は仲間です」

 サラが軽く会釈する。

 衛兵はしばし二人を見つめ、やがて頷いた。

「問題なし。通っていい。ただし、町の掟を破らぬようにな」

「心得ています。ありがとうございます」


 門をくぐると、石畳の通りが広がり、両脇には店が軒を連ねていた。

 どの看板にも剣や槍、盾の意匠。槌音が跳ね、熱せられた鉄の香と炭火の煙が空気を満たしている。

 町全体が、まるで巨大な炉のようだった。


「へぇ……すごいな。武器屋ばかりだ」

 リアンが感嘆の声を漏らすと、サラが「あー」と間の抜けた声を出した。

「そういえば、思い出した。この町で防具を作ってもらったことがあるのよ」

「防具? “武器の町”って言うぐらいだし、てっきり剣とか槍ばかりかと」

「ふふ、意外でしょ? でもここの職人は、防具でも一流なの」

 彼女の声には、どこか懐かしさが混じっていた。


 馬車が町の中央へ出ると、大きな広場に出た。

 そこには、片手に剣を掲げた英雄の石像が立っている。

 もう一方の手は、遠くを指し示していた。

 掲げた剣の刃に、遅い陽が細い線を置いた。

 遅い陽が刃渡りを滑り、石の剣が一拍だけ“息をする”。


「これって……」サラが足を止める。

「確か、近くの山に棲みついたドラゴンを討った英雄の像だったはず」

「英雄、か……」リアンが呟く。

「けど……確か、その人……ドラゴンと一緒に谷に落ちたって話じゃなかった?」

「そう。帰ってこなかった。だからこそ、像だけが残ったのよ」

 サラはどこか遠くを見るような目で言う。

「……当時は嫌う人もいたんじゃなかったかな。竜を呼び寄せたって、責められて」

「それでも、倒した者として“英雄”にされたわけか」

「ええ。皮肉ね」

 彼女の声は、静かに風に溶けた。


 石像の剣先に映る薄い光が、朝の夢の余白をかすめた。


⸻


 夕刻。宿に荷を下ろしたサラが、ふと思い出したように言う。

「ねえ、ちょっと行きたい場所があるの」

「行きたい場所?」

「うん。すぐそこ。前にお世話になった店よ」


 二人が向かったのは、石造りの重厚な店だった。

 扉の上には、鉄の盾と羽を組み合わせた意匠――守りと祈りの象徴。

 リアンはそれを見上げて呟く。

「……いい紋章だ。“守る意志”を刻んでいる」

「でしょ? ここの防具は本当に信頼できるの。丈夫で、心まで守ってくれる感じ」

 サラは懐かしそうに扉へ手をかけた。


 扉の蝶番が鳴り、炉の熱気が一歩ぶん押し返す。炉の息が満ちる。

 壁には磨かれた鎧や革防具がずらりと並び、奥からは槌の音が響いていた。

 作業台の前に立つのは、白髪を後ろに束ねた年配の職人。

 その眼差しは厳しさと温かさを同時に宿していた。


「……サラか?」

 職人が目を細め、穏やかに笑う。

「随分と久しぶりだな」

「ええ。防具の整備をお願いしたくて」

 サラは腰の装備を外し、作業台に置いた。

 職人は黙って手に取り、摩耗や鋲の緩みを丹念に確かめる。

「まだ十分使えるが……手を入れればもっと持つ。大事にしてきたんだな」

「当然よ。あなたの作品だもの」

 職人の目尻に小さな笑みが浮かぶ。


 リアンが興味深げに尋ねた。

「ここは防具専門なんですね。町の名の通り、武器ばかりかと思ってました」

 サラも頷く。

「そういえば……昔は武器も作ってなかった? 私、そんな話を聞いた気がする」


 職人の手が止まり、静かに目を伏せた。

「……ああ。昔は武器こそが本業だった。この町の“英雄”が振るった剣も、俺の手で鍛えたものだ」

「英雄の……?」リアンの瞳が揺れる。

 職人は苦く笑った。

「悪ガキだったよ。剣を振り回しては怪我ばかり。誰もあんな奴が英雄になるとは思わなかった」

「……それでも、戦ったんですね」

「ああ。竜と共に谷に落ち、帰らなかった。残ったのは“英雄”という名だけだ」

 槌を握る手が、わずかに震える。

「向かう姿は酷いものだった。欲望に歪み、それでも進んでいった。……だが時が経てば、結果だけが残る」

 槌の柄に指が食い込み、古い節がかすかに鳴る。

 職人は視線を防具へ落とした。

「だから私は、もう武器を鍛えるのをやめた。命を奪う刃を、この手で生み出すのが耐えられなくなったんだ」


 沈黙。

 サラはそっと目を伏せ、小さく呟く。

「……そう。やっぱり、そういうことだったのね」

 リアンは拳を握った。

 広場に立つ英雄像の光景が、胸の奥に重く沈む。

(人は結果だけを見る。それでも――)


 職人は再び防具に向き直り、槌を振るう。

 炉が唸り、鉄と火の香が満ちる。

 その響きはまるで、過去の痛みを刻みながらも今を生き抜くための――祈りの音だった。長く、静かに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。