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第七話 導き手の行路

導き手たちが目指すのは、南部に広がる《旧戦争跡地》。

 数百年前、大戦の炎に包まれた地。今もなお、無数の魂が彷徨い、瘴気が晴れることはない。霊災指定地として、定期的な浄化が義務づけられている。


 リアン・アルステッドは、その任に就く導き手の一人として、教会支社の仲間たちと共に現地へ向かっていた。


 「先遣部隊と合流するらしいな。……ヴェイルガードだったか」


 リアンの横を歩くサラ=レイヴェルが呟いた。


 「うん。現地の魔物掃討任務にあたってるそうだ。浄化儀式の前に危険を減らすためにね」


 サラは肩にかけた大剣を揺らしながら、軽く息をついた。


 「浄化ってやつも、けっこう準備が面倒なんだな」


 「面倒っていうか、命がけだよ。霊災地の瘴気は魂だけじゃなくて、身体にも悪影響を及ぼす。戦闘も必要になる」


 そのため、導き手たちには必ず“守り手”が同行する。そして今回、リアンの守り手を務めるのは――


 「……本当に私でよかったのかねぇ」


 「まだ言う?」リアンは少しだけ笑う。


 「ま、いいけどさ」サラは気軽な口調で言いながらも、眼光だけは鋭かった。「私、結構気に入ってるんだ。あんたの浄化のやり方」


 


 道中、一行は峠の見晴らし台で短い休憩を取ることになった。

 他の導き手や守り手たちも、それぞれ軽く体を伸ばし、周囲の空気を伺うように結界具の点検を行っている。


 その時、近くの冒険者の一人が低く声を洩らした。


 「……最近また出たらしいな。“コレクター”ってやつ」


 リアンとサラが同時に顔を上げた。


 「紋章を奪うやつ、でしょ?」サラが声をひそめた。


 「うん。ヴェルダ・クローネでも、紋章使いが襲われる事件がいくつか起きてる。けど……導き手は狙われにくい」


 リアンは周囲の視線を確かめながら、小さく続けた。


 「教会の保護下にあるし、守り手もいる。襲撃のリスクが高いって判断されてるみたいだ」


 「でも“狙えない”んじゃなくて、“狙いづらい”ってだけ。奴が本気なら、関係ない」


 サラは空を見上げながら、剣の柄に手を添える。


 「実際、導き手だけを標的にしてるわけじゃない。独立した冒険者や、身寄りのない元騎士の方が狙いやすいんだろうけどさ……」


 「浄化の現場って、無防備になる瞬間があるから」


 リアンの言葉に、サラは黙って頷いた。


 


 その後、一行は谷沿いを抜け、合流地点となる旧駐屯地跡に到着した。

 そこには、教会と契約している冒険者チーム《ヴェイルガード》が、魔物の残党討伐を終えたばかりだった。


 「……あの男がカイ・ヴァルドか」


 サラが視線を向けた先に立つ男は、長身で、鋭い眼光と古傷の浮かぶ顔を持っていた。

 その後ろには、それぞれに異なる武具と紋章を携えた仲間たちが並ぶ。


 


 リアンは歩きながら、無意識に右手の手袋をきゅっと締め直した。

 そこに宿る《箱舟の紋章》が、微かに熱を帯びる。


 魂と記憶に触れる力。その代償として、死の記憶に飲み込まれる危険。

 それでも――進むのだ。


 彼の隣には、確かにサラがいた。

 かつて守り手を失い、一人で歩む覚悟を決めたリアンにとって、再び“背中を預ける誰か”と共にあることは、まだ馴れない。けれど、確かな力だった。


 


 「……リアン」


 「ん?」


 「次の浄化対象地、“あの森の外縁”なんだって。眠りの森の近く」


 


 リアンの表情が、わずかに強張る。


 「……そうか」


 かつて、自分が“拾われた”あの場所。

 死と狂気の狭間で、師に救われた、あの森の記憶が脳裏をよぎる。


 


 ――その地で、今、また新たな魂が彼を待っている。



 風が、地を撫でていた。


 ただの風ではない。瘴気と記憶と、微かに人の呻きが混ざったような風。

 それが吹き抜けるのは、かつて戦火が吹き荒れ、無数の命が失われた《旧戦争跡地》──。


 「あれが、浄化区域……」


 リアン・アルステッドは、肩にかかる黒髪を風になびかせながら、遠くに見える廃墟群を見据えていた。

 剥き出しの地面には魔法と刃の焼き痕が残り、黒ずんだ土からは今も瘴気が立ちのぼっている。


 「やな空気だな……。魂、こびりついてる」


 隣で肩をすくめたのは、守り手である剣士──サラ・レイヴェル。

 金色の瞳を細め、まるで血の匂いでも感じ取ったかのように、周囲を見渡している。


 その背後では、導き手たちと護衛の冒険者チームが次々と到着していた。



 旧戦争跡地──そこは、時間が止まったままのような場所だった。


 崩れた陣地の残骸、黒ずんだ土、焼け焦げた木々。

 かつて幾千の命が散ったその地には、いまだ言葉にならない呻きが、風に紛れて彷徨っているようだった。


 そこへ、導き手たちとその護衛たちが到着した。


 「この丘を越えた窪地に、拠点を設けよう」

 ヴェイルガードのリーダー、カイ・ヴァルドが周囲を見渡しながら言う。


 「瘴気の流れは緩やか。結界の安定も見込めるわ」

 高等魔術師リゼがうなずき、早速魔導盤の設置にかかる。


 リアンは少し離れた場所に立ち、無言で空を仰いでいた。

 晴れているのに、空はどこか鈍く曇って見えた。


 ──この空の下で、どれほどの人が命を落としたのだろう。


 「……ここ、初めて?」


 声をかけてきたのは、ルディア・フェルシアだった。

 夕陽のような赤髪が、風に揺れている。


 「……ああ。戦争の跡地に立つのは、初めてじゃないけど、ここは……重い」


 リアンの言葉に、ルディアは微笑んだ。


 「それでも、私たちは来る。魂を還すために」


 彼女の隣にいた青年──槍使いのカロル・ミルディアが、リアンの肩をぽんと叩く。


 「お前がどんな浄化をするのか、俺は知らない。でも、守ると決めた導き手を信じて動くのが守り手の役目だ」


 その言葉に、リアンはかすかに頷いた。


 



 日が沈み、設営を終えた一行は、拠点の中央に小さな焚き火を囲んでいた。

 干し肉とスープ、硬いパン。それだけの質素な夕食だったが、焚き火の揺らめきが、不思議と心をほぐしてくれる。


 「焚き火って、いいよね」

 リゼがふと呟いた。「こうして火を囲むと、不思議と安心できる」


 「それ、きっと“原始の記憶”だと思う」

 ミーナが優しく微笑む。「炎は、安全の象徴だったから」


 「へぇ……詩的だな」

 リアンが言うと、サラが笑う。


 「リアンが詩人っぽいこと言うと、逆にびっくりするわ」


 「失礼な」


 そんな何気ない会話に、場の空気がふわりと和らいだ。


 



 「……ところで、最近コレクターの動きが活発になってるらしいな」

 カイが焚き火の向こうから口を開いた。


 全員の手が、わずかに止まる。


 「ヴェルダ・クローネ近郊でも、紋章を奪われる事件が立て続けに起きてる。奪われたのは、導き手じゃない。民間の紋章使いたちだ」


 「どうして? 導き手のほうが強い紋章を持ってるのに……」

 ルディアが眉をひそめる。


 「だからこそだよ。導き手には守り手がいる。教会の監視もある。狙いにくいんだろう」

 リゼが淡々と答える。


 「それに、民間人のほうが情報も少ないし、狙いやすい」

 カイが続けた。「弱い者から奪う。敵ながら、実に現実的な手口だ」


 焚き火の熱が、どこか遠くなったような気がした。


 リアンは拳を握りしめる。

 この手がもっと強ければ、奪われる前に──死なせる前に、救えたかもしれないのに。


 「でも、私たちは止まらない」

 ルディアが、強く言い切った。


 「魂に触れられるのは、導き手だけ。だったら、前に出るしかない」


 彼女の隣で、カロルが頷いた。


 「だから、俺たちは──絶対にお前たちを死なせない」


 その言葉が、焚き火の音と重なり、リアンの胸に沁みていく。


 



 その夜、リアンが一人で休んでいると、足音が近づいた。

 振り返れば、そこにいたのはイオ・クローヴだった。


 「……明日からの浄化、単独でやるつもりか?」


 「そのつもりだ」


 「非効率だな。時間も手間もかかる。だが──魂に丁寧に向き合う姿勢は、悪くない」


 思わぬ言葉に、リアンは驚いた。


 「……褒めたのか、それ?」


 「皮肉と称賛は紙一重だ。……明日は、ヴェイルガードをお前につける。俺の判断だ」


 「……いいのか?」


 「いいか悪いかじゃない。お前が死ねば、導ける魂も消える。それだけだ」


 イオはそれだけ言って、踵を返した。


 リアンはその背を見つめながら、小さく息を吐く。


 ──一人で歩く覚悟はあった。けれど、誰かが隣を歩いてくれるなら、それは決して弱さじゃない。


 焚き火の残り火が、まだ赤く揺れていた。


 小さな火でも、闇の中ではたしかな灯りになる。

 その夜、リアンはそれを胸に刻んだ。

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