第74話 「祈りの火、奪う火」
燃えさかる村に残されたのは、瓦礫と、村人だった者たちの亡骸だけ。
リアンはただ、その光景を眺めることしかできなかった。胸の奥に重く沈むのは悔恨と無力感――目の前の事実だけが突き刺さっていた。
「……」
焦げた梁がぱきと鳴るたび、心臓がひとつ止まるように痛む。
夜も更け、火の唸りがなお耳に残る中で、サラが静かに口を開く。
「そろそろ行きましょう」
リアンはしばらく黙っていたが、やがて唇を震わせる。
「……せめて、村人を埋葬してあげよう。土に――」
その言葉を遮るように、サラの周囲に炎が立ち昇る。
朱の幻鳥がふわりと現れ、死者たちを覆うように舞い始めた。柔らかな羽ばたきとともに降り注ぐ火は、亡骸を次々と包み込み、音なく焼き尽くしていく。
「サラ! 何をしているんだ!」
リアンは目を見開き、思わず声を荒げた。
だがサラは振り返らず、淡々とした声音で答える。
「埋葬する時間も体力もないわ。それに――死体を残せば、いずれ魔物が食い散らす」
「……でも、埋めれば?」
「埋めても同じ。掘り起こされて、辱められる」
サラは短く息を吸い、言葉を継いだ。
「それに、疫病の危険もある。だから、これが一番」
幻鳥が羽ばたき、炎が死を覆い隠していく。赤くとも、村を呑んだ火とは違う温もりがあった。
「痛みはここで終わり」サラが小さく呟く。
昇った火粉は、やがて星の群れへ戻っていく。
「それは……」リアンは言いかけて、口を閉ざした。
村を呑んだ火は奪うだけ。サラの火は返す――そう見えた。穏やかに揺れ、苦しみを解き放ち、夜気へ送り還す祈りのように。
リアンは拳を握り、黙ってその光を見つめる。
冷たいように見える彼女の背から、不思議と優しさが伝わった。
すべての亡骸が燃え尽きるまで、二人はただ立ち尽くしていた。
やがて火が鎮まると、彼らは馬車に戻り、夜道をゆっくりと走り出す。
次に辿り着いたのは、山賊の骸の転がる場所。
「ここも同じ」
サラは小さく指を鳴らし、幻鳥を舞わせる。炎で灰へと還していく。
村人を包む火と、山賊を呑み込む火――どちらにも違う温度があるのを、リアンは胸の奥で感じ取っていた。
「……君は、彼らにも祈るんだな」
「祈りじゃないわ。後始末」
「でも……優しい」
「優しさなら、あんたがもう持ってるでしょ」
サラは視線を火から離さない。
炎に照らされるサラの横顔は、冷たくもあり、同時にどこか優しくも見えた。
(……この人は、どんな生き方をしてきたんだろう)
リアンはそう思いながら、ただ彼女を見つめ続ける。
再び馬車に乗り、次の目的地へ。
手綱を握るリアンの胸には、あの《導く者》の言葉が重く響いていた。
魂を縛り、力として用いる者たち。
同じ導き手であったはずの者たち。
(……あいつらも、かつては俺と同じように魂を浄化していたはずだ)
魂の記憶の多くはあまりに辛く、痛みに満ちている。死を追体験し続ければ――やがて心の形が変わる。
(それが、あの道に繋がったのかもしれない)
無意識に手綱を強く握るリアンを、サラは黙って横目に見守っていた。
彼女の瞳は揺るぎなく、夜道の先を静かに見据えている。
ある程度進んだところで、二人は野営することにした。
「……ここら辺がいいか」
リアンは馬車を止め、周囲を見渡す。陰翳の濃い森だが、風は穏やかで、焚き火には悪くない。
サラはまだ冷たい表情をしていた。火に照らされた横顔は硬く、何を考えているのか、リアンにはうかがえない。
重い沈黙を払おうと、リアンが言葉を探し、口を開きかけた――その時、不意にサラが先に言った。
「……お腹、減ったわ」
「え……あ、うん」
あまりに素直な一言に、リアンは目を瞬き、それから思わず笑った。
「じゃあ、ご飯にしよう。すぐ作る」
「助かる」
サラはにかっと笑い、軽く肩をすくめる。
「準備、準備っと」
荷を下ろし、手際よく動き始めた。
「薪は任せて」
「じゃあ私は鍋。塩はそこ。……胡椒は?」
「ポーチの内ポケット。ほら」
「有能ね、導き手くん」
「その呼び方やめてくれ……」
そんなやり取りのうちに、リアンの胸に温かなものが宿っていく。
夜気の冷たさの中で、それは小さな灯火のように、確かに彼を支えた。
簡素な夕食の支度を進めながらも、リアンの胸には《導く者》の声がなお重く残る。
魂を縛り、力とする彼ら。かつては自分と同じように魂を導いていたはずの者たち――。
(本当に正しいのか。あの言葉を偽りと言い切れるのか)
無意識に拳を握りしめる。焚き火が揺れ、火粉が迷いを映すように舞った。
その時、サラが静かに言う。
「忘れたの? 考えても仕方ないことよ」
リアンは顔を上げる。金の瞳が焚き火を映し、まっすぐ彼を射抜いた。
「目の前の事実を受け止めて、進むしかない。相手には相手の考えがある。けれど、それは相手であって、あなたじゃない」
「……でも、俺の導きがただの慰めだとしたら」
「それで救われる心が、確かにあった」
サラは断ち切るように言い切る。
「相手の言葉に惑わされて、自分を見失わないで。――リアンは今まで通りでいいの」
焚き火の火粉が舞い上がり、二人の間で小さく弾ける。
「目の前の魂を導きなさい。邪魔は私が倒す。それが――私の役目」
リアンは火を見つめながら、ゆっくり息を吐いた。
迷いの奥に、小さな光が差し込むのを感じる。
「……ありがとう、サラ」
そっと言葉を落とした。
サラは何も返さなかったが、横顔は火に照らされ、わずかに柔らかさを帯びて見えた。
少しの静寂。火のはぜる音だけが続く。
「サラ、君は……僕と出会う前は、何をしてたの?」
ふいの問いが口をついた。
サラは一瞬目を細め、それから軽く肩をすくめた。
「特に何もないわ」
短く答え、少し考えるように視線を落とす。
「そうね……強いて言うなら、探しものをして旅をしてた。とても長い間、ね」
「探しもの?」
「ええ。……でも今は、何を探してたか忘れた。別にいいかな。こうしているのが一番楽しいかも」
にかっと笑う。
その瞬間――サラの胸に、かすかな既視感が走った。
(……前にも、こんなふうに焚き火の前で、誰かと話した気がする)
けれど、顔も声も思い出せない。
炎が揺れ、懐かしさと寂しさが胸の奥でひとつに溶けた。
その笑顔を見た瞬間、リアンの胸は締め付けられるように熱くなる。
(……もっと、この人のことを知りたい)
「それは……良かったよ」
リアンは小さく返した。
沈黙が落ち着いたあと、彼はもうひとつの疑問を口にする。
「ねぇ、サラ。君は……ハーフエルフなの?」
「わたしはヒューマンじゃない?」
サラは小首をかしげた。
「なんで疑問形なんだ?」
リアンが思わず突っ込むと、サラはいたずらっぽく目を細め、笑みを深める。
「なによ? なんで突然わたしのことを聞いてくるの。……ふふん、何? わたしのことが気になるの? まぁ、美人だし、わからなくもないけど」
「ち、違っ……! ほら、その……守り手のことは知っておかないと……」
言い訳が尻すぼみになる。
サラはじっと見て、まんざらでもなさそうに口元をゆるめた。
「ふふ、現実から逃げるな〜」
「ほら、もう寝るぞ!」
リアンは慌てて立ち上がり、焚き火に背を向ける。
「はいはい、導き手くん」
サラの楽しげな笑い声が夜気に溶け、柔らかく広がった。
リアンは少し強引に話を切り上げ、寝床の準備を始める。
サラはくすくす笑いながらも、それ以上は追及せず、毛布を広げて横になった。
夜風はひんやりと頬を撫で、森の奥から虫の声がかすかに響く。
焚き火は小さく揺らぎ、赤い火粉が静かに宙を舞う。ひとつ、またひとつが夜空へ昇り、星へ合流して消えた。
リアンは火の傍らに腰を下ろし、しばし夜空を仰ぐ。
星々は薄い雲の切れ間から顔を覗かせ、どこか遠い場所から二人を見守っているように瞬いていた。
隣ではサラが毛布に包まり、静かに目を閉じている。
先ほどまでの冷徹な表情も、茶化すような笑みも消え、そこにあるのはただ穏やかな寝顔。火に照らされたその横顔は、不思議な安らぎを纏っていた。
焚き火の温もりと夜空の静けさの中で、リアンは深く息を吐く。
胸の奥に渦巻く迷いや痛みは、なお消えない。だが、隣に横たわる彼女の存在が、その重さを少しずつ和らげていくのを感じていた。
(……俺は導き手だ。迷っても、立ち止まっても――また進むしかない)
そう心の中で呟き、リアンも毛布に身を横たえた。
夜は深く、静けさだけが残った。




