表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/190

第62話 『さよならの代わりに』

 サラは眠る小鳥を胸に抱き、指先でそっと羽を梳いた。

「……こんな小さな子にまで、何かが残るなんて」

囁きには優しさと、拭えない不安が同居している。


リアンは静かに頷いた。

「怨みに囚われているわけじゃない。怒りや悲しみに縛られてもいない。――ただ、魂の震えを感じたんだ」


サラが目を細める。

「無垢な魂、ってこと?」


短い沈黙。リアンは言葉を探しながら続けた。

「導き手として、数えきれない魂に触れてきた。でも……こんな震えは初めてだよ。消え残った記憶みたいに淡い。なのに――あたたかい」


サラは胸の小鳥を見つめ、息を整える。

「……もしこの子が、誰かの“残り火”みたいな存在だとしたら?」


リアンの胸に電流のような感覚が走る。

昨夜の夢――低い目線、両親の笑顔、朝の光に飛ぶ一羽の鳥。

(偶然じゃない。あれは、この子の……)


サラの声が、現実へ引き戻した。

「でも、紋章に縛られてるわけでもないんでしょ?」

低く真剣な声音。

「あの騎士みたいに無理やり留められた魂なら、まだ説明はつく。でも……この子には鎖が見えない」


リアンは右手をそっと伸ばし、小さな体に触れた。

瞬間――微かな震えが、再び走る。

「……!」

息を呑む。

「やっぱり……確かに魂がいる。けど、どうしてここに?」


サラは唇を結び、静かに言った。

「怨みに縛られていない魂なんて……導き手にとっては、“救い”そのものよね」


リアンは目を伏せ、かすれる声で答える。

「だからこそ……このままにしちゃいけない気がする。もし本当に残された魂なら、ちゃんと――導いてあげないと」


部屋に重い静けさが落ちた。

窓の外では夜風が木々を撫でる音だけ。サラの胸で眠る小鳥の寝息が、かすかに揺れている。


サラは視線を落とし、小さな体を両腕で包み込んだ。

指先は、別れを予感するように、羽をそっと撫で続ける。

「……どうしてなのかな」

掠れた声。

「君みたいな子が……こんな姿にならなきゃいけないなんて」


それは怒りでも嘆きでもない。

静かな哀しみだった。

戦場の彼女からは想像できない、母のような柔らかさ。


やがて、サラが顔を上げる。

「……お願い、リアン」

瞳の奥に、未練と決意が同時に灯る。

「この子を――導いてあげて」


リアンは頷き、右手を差し出した。

掌の紋章がじんわりと熱を帯び、光の波紋が静かに広がる。

「痛くないよ。……大丈夫」

囁きは、子を宥める父のように穏やかだった。


小鳥の体から淡い光が零れ始める。

濁りのない、透き通る輝き。

羽の震えと重なるように、笑う両親、窓辺の朝、白い鳥の記憶が――淡く重なっていく。


「……大丈夫だよ」

リアンはそっと光を包み込む。

「行こう。君の居るべき場所へ」


――光に沈むと、世界が一度、ひっくり返った。


床が遠のき、天井が広がる。

視界が低い。物は大きく、音は近い。


布団のまぶしさに瞬きをすると、すぐそばに母の顔。

「おはよう、起きたの? よく寝れた?」

心の奥がふっと温かくなる。

笑えば、母も微笑む。二つの笑顔が重なり、音が弾ける。


父が近づき、大きな掌で頭を撫でた。

「おはよう」

「……およ!」

舌足らずな返事に、二人は顔を見合わせて笑う。

もっと笑ってほしくて、子どもは何度も声を上げた。


──


朝食。母が小皿を差し出す。

「パンよ。はい、あーん」

「ぱん!」

母の目が丸くなり、喜びが弾けた。

「そう、パン! すごい、言えたね」

父も笑い、「パン好きだな」と頭をくしゃりと撫でる。

胸の奥がじんわりと満ちていく。

子どもは得意げに繰り返した。

「ぱん! ぱん!」

言うたびに笑顔が返り、その時間が嬉しくてたまらなかった。


──


やがて父が剣を吊り、膝を折る。

「パパは魔物討伐に行ってくる。いい子にして、待っててな」

「まてて?」

真似をすると、母も父も微笑む。

「そう、“待ってて”」

「……無理しないでね」母の声に薄い不安。

「大丈夫。……でも、稼がないとな」

父は背を向け、扉の向こうへ。

母はしばらく扉を見つめ、子どもはその横顔を見上げていた。


──


昼下がり。母の洗濯を真似して「ふく!」

母は目を丸くして笑う。

「そう、服。えらいわ、よく言えたね」

髪を撫でる手のぬくもり。息が詰まるほど誇らしかった。


──


窓の外。朝日に透ける白い鳥が羽ばたく。

「とり!」

母が頬を緩める。

「よく見てるわね」

褒められる。声が弾む。

小さな胸に、その光景が刻まれていく。


リアンは、子どもの目を通して“愛される日常”を追い続けた。

怨みも悲嘆もない。

ただ「愛された記憶」だけが積もっていく。


──


また、別の朝。


床をうごめく小さな影に、短い手が伸びる。

「なにしてるの?」母が振り返る。

「なに、それ。……おしえて?」

子どもの口が真似る。

「……おしえ」

握られていたのは、小さな黒い虫。

「きゃっ……虫!」

母は慌てて窓へ逃がす。

子どもは得意げに「むし!」

母は涙の痕を残した笑顔で、そっと頷いた。

「そう、虫。……ちゃんと覚えてるのね」


その朝も、父は笑って「行ってくるぞ」と頭を撫でた。

母は「無理しないで」と見送る。

帰ってくる。笑顔が揃う。――それが“いつも”だった。


けれど、その夜は違った。

父は戻らなかった。


食卓に手を組んだ母は、扉を見つめ続ける。

子どもが声をかけても、笑顔は返らない。

抱きしめる腕だけが、いつもより強かった。


翌朝。母の目の下に深い隈。

そして、扉が開く。


入ってきたのは父ではない。仲間の冒険者。伏せられた目、沈痛な顔。

告げられる言葉。

――もう戻らない。


母はその場に崩れ落ち、声を押し殺して泣いた。

子どもは見上げる。胸が締めつけられる。

涙の意味はわからない。

けれど、大切なものが消えたことだけは、分かった。


母の嗚咽と、子どもの胸の痛みだけが、朝の静けさを満たした。


子どもは小さな手で裾を掴み、ぽつりと言う。

「……おしえて」

母が泣き腫らした目を上げる。

「……なにを?」

「……ことば。おしえて」

母の喉が詰まる。昨日の声が蘇る。

涙の中で、かすかに笑った。

「そう、言葉ね……あなた、ちゃんと覚えてるのね」

震える手で髪を撫でる。

「じゃあ――これは『ママ』って言うのよ」

「ママ!」

弾む声。母の頬に涙が伝い続けても、そこに微笑みが灯る。

悲しみの只中で、子の声だけが光になった。


──


次の朝。

母はパンを指し示す。

「待っててね。お腹が空いたら、ここにあるパンを食べるのよ」

「……ぱん」

「えらいわ、ちゃんと覚えてる」

外套を羽織り、鍵を掛けて出ていく。背中は細いのに、強かった。


夜。母は帰る。服は汚れ、体は傷だらけ。

それでも笑顔を作り、子どもを抱きしめる。

「ただいま」

夜更け、ひとりで泣く声。布団の中で、子どもはそれを聞いていた。


日々は続いた。

朝は「待っててね」。夜はぼろぼろで「ただいま」。

子どもはパンを齧り、扉を見つめて待った。


けれど――その日だけは、違った。


夜になっても、帰ってこない。

次の朝も、その次の夜も。

帰ってこない。


机のパンはなくなり、空腹は重くなる。

床に寝転んでも、視線は扉に。

(帰ってくる。きっと……)


まぶたの隙間から、窓の外。

淡い光のなか、一羽の鳥が舞っていた。

その姿だけが、焼き付いた。


光景が滲み、記憶が静かに途切れる。

母の笑顔、窓の向こうの一羽――それだけが最後に残った。


――リアンは現実へ引き戻された。

右手に伝わる震えが、静かに収束していく。


「……っ」

気づけば、頬を涙が伝っていた。止められない。

幾多の見送りをしてきた導き手でも、この小さな記憶は胸を鋭く刺した。


サラは黙って見ていた。腕の中の小鳥を抱きしめながら、ただ、受け止めた。


リアンはかすれて囁く。

「……さよなら」


サラは小さく首を振る。

「――さよならは、もう飽きたわ」

かすかな笑み。それでも、言葉には確かな想いが宿る。

「今度は、私が“待ってて”あげる。いつか、また逢える日まで」


リアンは息を詰め、深く頷く。右手に力を込める。

舟を模した光が浮かび、小さな魂を迎え入れた。


光は淡く脈打ち、静かに――優しく、ほどけていく。

怨みも嘆きもなく、ただ温もりだけを残して。


残ったのは、導きの余韻と、夜の静けさ。


サラは胸元を撫で、目を伏せる。

リアンは濡れた頬を拭い、ひとつ息を吐いた。 


「……行けたね」

「ええ。……きっと、迷わずに」


ランプの火が小さく揺れ、窓辺で夜風がカーテンを撫でた。

二人の間に言葉は少ない。

けれど、同じものを見送り、同じ温もりを胸に抱いた――


その確かさだけが、部屋に静かに灯っていた。――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ