第221話 灰の残り火
すべてが灰となったあと――
そこに残っていたのは、僅かな暖かさだけだった。
火葬の炎は、すでに消えている。
燃え尽きた薪は白く崩れ、赤かった火の名残だけが灰の奥で微かに燻っていた。
夜風が吹く。
さらり、と灰が舞った。
月明かりの下へ溶けるように流れていき、静かな夜へ消えていく。
リアンたちは、その場から動かなかった。
誰も言葉を発さない。
静かな夜だった。
遠くで虫の声が聞こえる。
燃え残った炭が、小さく爆ぜた。
ぱち、と乾いた音だけが夜へ滲む。
リアンは、灰を見つめていた。
導くべきものは、もういない。
仮面の男が、魂を縛ったまま持ち去ってしまった。
本来なら、ここには魂があるはずだった。
導き。
送り出し。
安らぎへ還すはずだったもの。
けれど、それは叶わなかった。
それでも――
「……魂はない」
ぽつりと、リアンが呟いた。
視線は灰へ落ちたままだった。
「けど……無事、旅立てたって思うのは」
一度、言葉が止まる。
夜風が、銀色の髪を揺らした。
「……いけない事なのかな」
その問いは、誰へ向けたものだったのだろう。
自分自身か。
消えた魂たちか。
あるいは――導き手という在り方そのものか。
セリアは少しだけ目を細め、夜空を見上げた。
雲の隙間から、月が覗いている。
「……どうだろうね」
静かな返事だった。
「結局、“導く”なんて、生きてる側の願いでもあるし」
炎の消えた場所を見る。
白い灰だけが、静かに積もっていた。
「満足してるのは、自分たちだけかもしれない」
風が吹く。
火の匂いが薄く漂った。
エリナが、小さく首を横へ振る。
「……いいのではないですか?」
優しい声だった。
「結局は、生きている人の自己満足ですから」
その言葉に、誰も否定しなかった。
ラゼルも。
ディルも。
セリアも。
何も言わない。
リアンは少しだけ黙る。
灰を見つめたまま、ゆっくり口を開いた。
「……なぁ」
視線だけを、セリアへ向ける。
「魂を縛って、影として使うと……魂はどうなるんだ?」
空気が少しだけ変わった。
セリアはすぐには答えなかった。
燃え尽きた炎の跡を見る。
まるで、そこに答えを探すように。
「……力として使うわ」
やがて、静かに口を開いた。
「でも、それは削れていく」
夜風が、彼女の髪を揺らす。
「使えば使うほど、少しずつ擦り減って……いずれ、なくなる」
リアンは黙って聞いていた。
瞳だけが、静かに揺れている。
「その後は、分からない」
セリアは肩をすくめた。
「この世界に還るのかもしれないし」
「……そうじゃないのかもしれない」
曖昧な答えだった。
けれど、それが本当なのだろう。
導く者たちですら、魂の行き先を完全には知らない。
どれだけ魂へ触れても。
どれだけ死を見続けても。
最後に辿り着く場所だけは、誰にも分からない。
リアンは何も言わなかった。
ただ、燃えた灰を見つめていた。
火の熱は、もうほとんど残っていない。
灰だけが静かに風へ攫われていく。
――削れて、なくなる。
セリアの言葉が、胸の奥に残っていた。
もし、仮面の男に縛られた魂たちも。
サラの魂も。
あのまま擦り減っていくのだとしたら。
リアンの指先が、わずかに強く握られる。
けれど、その感情を言葉にはしなかった。
ただ灰だけを見つめ続ける。
やがて――
ラゼルが立ち上がった。
「……俺は帰るぜ」
ぶっきらぼうに言い、そのまま背を向ける。
止まらない。
振り返りもしない。
重たい足音だけが、夜へ遠ざかっていく。
エリナはその背を見送り――
そして、静かにリアンの側へ歩み寄った。
「リアンさん」
差し出されたのは、一冊の古びた本だった。
革表紙は擦り切れ、角も傷んでいる。
何度も開かれてきたのだろう。
長い年月を感じさせる本だった。
リアンは受け取り、目を落とす。
「……これは?」
エリナは静かに答えた。
「紋章教会が保管していた、“導き手”に関わる本の写しです」
月明かりが、本の表紙を淡く照らした。
「少し古い物ですが……何かの役には立つでしょう」
リアンの指が、そっと表紙をなぞる。
古い紙の匂いがした。
乾いた時間の匂い。
記録として残され続けたものの重さ。
エリナは小さく微笑み――
「まぁ、詳しくは」
そう言って、視線をセリアへ向ける。
「そちらに聞いてください」
「ちょっと。丸投げ?」
セリアが呆れたように言う。
エリナはくすりと笑った。
それから静かに一礼し、ラゼルの後を追って歩き出す。
夜の闇へ、二人の背中が消えていく。
残されたのは、リアンたちだけだった。
灰の前。
消えた炎の前。
リアンは手の中の本を見下ろす。
風が吹いた。
灰が夜空へ舞い上がる。
まるで、まだ何かを伝えようとしているように。
月明かりの下、白い灰だけが静かに揺れていた。




