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室町ひょうすべ拾遺1  作者: ずずつすず
義満以降─日野家の女婿たち─
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応永の乱

 勘合貿易!! 北山文化!! 日明貿易!!

 この人物、一種太閤秀吉にも通底する絢爛なイメージが強いが、むしろ苦渋も辛酸も舐めている。

 日明貿易など、気の毒になるほど苦労している。右に述べたとおり「日本国王」は懐良親王なのだ。明側はこの認識を改めず、康暦二年(一三八〇)に「日本国征夷将軍源義満」名義で交渉しようとしたところ、断られた。

 「日本国王の家臣とは交渉しない」

 征夷大将軍は南朝の下だと明言された。

 

 義満としては、これまで、朝廷が担っていた外交という分野も、日本国政府・室町幕府になった以上、幕府が負わなくてはならない。そうなってこそ、一国の政府としての体裁を整えられる。そういうかんがえもあっただろう。

 (やむを得ぬ)

 義満は、応永元年(一三九四)十二月、征夷大将軍を四代義持へ譲る。同月太政大臣に昇進する。

 武家にして、この位に上ったのは、平清盛以来、二人目だ。

 そして、義満は、その栄耀の座に、わずか半年しか留まらなかったのだ。

 

 応永二年(一三九五)六月三日。太政大臣辞退。

 

 同月二十日、出家。ーーーーー名を道義と改める。

 

 

 これで、僧となった。いかなる王権力とも上下がない方外の身分であり、この立場になってから、改めて、義満は明との交渉にとりかかる。

 

 ーーー足利は支えた。

 

 祖父から受け継いだ命題のように、どれほどガタガタでひどい状態にあろうとも、彼らは、王として振る舞うのを止めなかった。

 

 それでもなお、明は門戸を開けなかった。

 

 

 ーーこの苦しい期間に、日朝貿易によって富貴を蓄えた大内氏との対立が顕在化する。大内氏が百済の王子を先祖にすると名乗ったのも、これは貿易の都合ではないかと勘ぐりたくなる。ともあれ、この頃の大内氏は、周防、長門、石見、豊前、そこから飛んで和泉と紀伊の守護を務める巨大勢力だった。

 応永四年(一三九七)金閣寺の造営のため、出家した道義義満は、大名たちに与力を求める。

 だが、大内義弘のみはこれを拒否。「武士は弓矢で仕えるものでござる」とのことだが、大内氏の九州での去就を知っているものからすれば(何を言っているんだ)である。

 大いに、義満の不興を買った。翌応永五年(一三九八)義弘が朝鮮の使節から莫大な進物を受け取っていたことが明らかになる。これを義満に「義弘は朝鮮から賄賂を取っている」と讒謗するものがあらわれ、いよいよ、両者の感情はもつれた。

 ーーこれらは軍記物である『応永物語』(『大内義弘退治記』)に書かれている内容だが、両者の関係性をかんがえると、額面通りに受け取れない。

 

 作者は、大内氏先代弘世以来の宗像氏との交誼をかんがえれば、両者の対立は、貿易戦争が昂じた武力衝突ではないかと思われる。義満は、太政大臣の身分を擲ち、日明の窓口になろうとしていた。そしてこの時期、明側でも「どうも、日本国王良懐は、とうに没落しているらしい」というささやきが交わされるようになっていた。

 (まずいな)

 海の国、九州を中心とするシーパワー貿易陣営は、ほぞを固めただろう。このままでは、将来、日明貿易は義満の手に移る。そうなれば自分たちの権益は脅かされることになる。

 

 ーーーたしか、司馬遼太郎と井上ひさしとの対談だったと思うが、井上ひさし氏が

 「東北と九州なんて、京都からの距離じゃ似たようなものじゃないか。なのに、なんだって九州の連中は、あんなに自信ありげで明るくやっていられるんだ」

 ということをおっしゃられていた。

 井上ひさし氏が東北出身で、そのアイデンティティーを大肯定した『吉里吉里人』・・東北の一寒村が日本から独立する痛快な小説を発表されていることをかんがえると、同氏のユーモアと、当時の東北一般の意識が、この一言で浮き彫りになっていることがわかる。つまり、なんでおれたちは寒さと地方意識で自ら縮こまるようにしてやっているのに、九州の連中は屈託がないんだよ、ということだ。この課題が現代まで継続しているかどうか、作者は知らない。現代の東北など、もう十分以上に洗練されていると思うのだが。[基本的に、ネットが通じるのなら田舎ではないだろうというのが持論である]

 また九州人にも九州人なりの地方意識と屈託があるかもしれないが、たしかに一般的なイメージでは、彼らは陽性で、およそ、中央から離れているのを苦にしていない感がある。司馬遼太郎氏は、たしかその理由を、九州が農耕文明の先進地であったこと、さらに明治期に天下を取っていることに求められた。

 

 作者は、じつは、九州はシーパワーに属しており、本州の側より大陸の方を向いて生活していた。そっちこそ公的な貿易でも密貿易でも巨利を約束してくれるし、だいたい、ヤマトの連中が何を言おうと、連中だって支那の光芒に服している。おれたちはヤマトよりもよっぽどそちらに接近しているという優越意識が、彼らのカラリと開けた態度になっていたのではないか。そんな風にかんがえ始めている。

 そのくらい、この時期の九州は、なんというのか、南朝北朝というより、日本から独立してありたい、自分たちだけで大陸と付き合いたい、という気分が横溢しているように感じられるのだ。

 

 宗像郡には唐坊というチャイナタウンがあり、宗像氏が貿易商の張氏と二代縁組みしたり、倭寇を率いたりして大陸側に関心を持っていたことはすでに述べた。シーパワー、特に貿易に従事するものたちに「地方」という意識はないのだ。はたして「故郷」の意識さえあるかどうか怪しいもので、彼らにとって、自分たちの故郷なり領国は「ホームとなる港」、「寄港地」の選択肢に過ぎないのだ。

 彼らはただ「国際」に属している。

 「国際」だ。国際社会、というような、ランドパワーに踏み込んだ泥臭いものですらない。

 その身軽で合理的な背景からすれば、陸の国の連中がやれ朝廷の将軍のと威張ったところで、笑止でしかない。

 九州の関心は昔から海の向こうにあったのではないか。そもそも、九州という呼称がいつ一般的になったのか分かっていない。支那では、周以前は天下を九つの州に分割する習慣があった。九州とは、九つの国ではなく、天下そのもののことを意味する。

 九州は、はじめから、九州国として大陸と付き合っていたのではないか? そこに、後からやって来たヤマトが編入した。しかし、九州人は相変わらず九州国のままで、朝鮮と支那の方を向いているから、辺境意識はサラサラない・・ーーーーー


しかも、支那では明代を迎えている。明は「海禁」を国是としながら、密貿易業者を出しつづけた王朝だ。

 地球主義が、のしかかりつつあった。

 先代の元が、モンゴリアが、モンゴルの平和(パクス・モンゴリカ)を現出した。広域帝国が、しかもお互いがもとを正せば同じ出自なのだ。ーーこの状況下で、紛争は一時的に鎮静化した。関税が撤廃され東西の人や物が行き交い、貿易がユーラシア大陸を貫くムーブメントになる。

 そうでありながら、元は貿易を一部の政商の特権とした。

 明は明で、増えつづける私貿易業者を抑制する「海禁」を発令し、相変わらず国家公認の朝貢貿易一本でやろうとした。

 だが、大陸を東西に貫く横糸が、もう、そんな抑制を振り切る段階に達していた。

 日本の戦後の闇市のようなものだ。ーー必要は、法制を飛び越える。必然も。

 「日本と交易すれば、利が出る。ーーもとの積み荷の十倍、いや、二十倍は固いぞ!?」

 これは真実だった。ーー大規模な交易が制限されている状況下で、抜け荷をやれば儲かろう。

 結果、泉州(福建省)を中心に私貿易業者が激増・・これは、後期倭寇の背景だが、おそらく前期倭寇の段階から、同じ根がつづいていたのだろう。

 海賊は、密貿易業者だったのだ。

 

 日本側も盛んに密貿易者を出し、それが「倭寇」だった。ーー南朝の懐良親王は倭寇鎮圧を条件に日本国王に封じられたわけだが、南朝自体が北朝と抗争している。取り締まりははかどらなかっただろう。

 だが、今や、南北和平は成り、僧形の足利義満が日明貿易に強い関心を示している。ーー彼は、実際、明側の歓心を買うべく倭寇の取り締まりに着手していた!!

 (このままではまずい!?ーーーー)

 このアンダーグラウンドの経済活動で巨利を得ていた経済人、海の国といってもいいし、九州大名の一部といってもいい。彼らは、義満に対決する勢力を欲した。

 

 その輿望を担って立ったのが、大内義弘ではないか。

 

 北九州から関門海峡を擁し、さらに畿内にも飛び地を持つ有力守護だ。

 

 彼が、いわば、倭寇の大親分として義満と対決した。それが「応永の乱」ではないか。

 

 

 

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