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室町ひょうすべ拾遺1  作者: ずずつすず
六角の時代
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大物崩れ

 赤松政祐は、長年、傀儡だった。というのは、播磨・備前・美作では、赤松氏と、備前守護代浦上氏が下剋上の闘争をくり広げていた。浦上村宗が、当時の赤松家当主義村を、和議を提案して誘い出し、会談場で幽閉、強制的に隠居させて当主にさせたのが、当時八歳だった政祐だったのだ。この際、赤松義村が庇護していて足利亀王丸の身柄を押さえられ、さらにその後義村は殺害されている。

 享禄四年(一五三一)やっとで、満十八歳、もっとも、彼の生年には異説があり、そちらでは三十六歳になる。

 なんにせよ、政祐は、天王寺の戦い(三好元長が大阪天王寺を拠点としたため)の髙国軍の後詰めとして招集されていた。

 しかし彼は、事前に、足利義維へ人質を送り、裏切りを確約していた。

 享禄四年(一五三一)六月四日、彼は晴元軍と呼応し、髙国・浦上村宗軍を、背後から攻撃。

 晴元軍と挟撃する形で、髙国・浦上村宗軍を撃滅、村宗を討ち取り、さらに髙国を、自害へ追い込んだのだ!!

 (うおおおおっぉおおおおおおおおおーーーーーーーーーー!?)

 髙国の瞼裏には、なにが映っただろう。永正の錯乱で、細川澄之(九条家出身)に追われた澄元を支持し、その後、澄元と三好之長の人気が落ち込むと、これにつけ込んで足利義澄と呼応、彼らを追った。その澄元と之長が捲土重来して、京都を追われると、蒲生対い鶴御所、蒲生氏の血統を根拠に日野家に対抗しようとする勢力に担がれ、反攻を成功させ、義澄を追った。義晴を立て、澄元の子・晴元と対決し

 ーーおれはなにをやっていたんだ!?

 荒波はいつも逆巻いていた。漕ぎ出したか? 泳いでいったか?

 〽ひょうすべよ やくそくせしを 忘るなよ 川立つ男子(かはたつをのこ、水泳の達者な男) あとはすがわら

 遊泳していたつもりで

 いつだって、流されて、溺れていただけではないか!!

 「切りがない」

 おのれの腹を屠る前、髙国は笑っている。

 「ここらで仕舞いとしよう。いささか、船に酔うた」

 我も我もという船頭ばかり。

 果たしていかなるお山の大将に落ち着くのやら。

 (おれは疲れた。先に逝くぞ)日本には、こういう時、口にするのにいい言葉がある。

 「お然らば」

 両細川の乱の発端から、とりわけ変転の多い政局を歩んだ男は逝った。享年四十八。

 〽絵にうつし石をつくりし海山を 後の世までも目かれずや見む

 これは、北畠晴具に送った辞世だ。おのれの手がけた庭園を、後々までも見守ってほしい、目かれずや、は、夜離れ(よがれ、男が女のもとに通わなくなる)にも通じるのだろうか。

 この乱世の中、ずいぶんと、規模の大きい作庭に取りかかっていたのは確かである。






 


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