神代挿話
「ーー結句、あれはなんなんだ?」石清水八幡宮の八幡大菩薩は、祇園感神院の牛頭天王に問うた。
二人の背後、というのか、西方には「シツシリシニシツシリシ、ササラサニササラサ」と、謎めいた囃子を口にする。摩多羅神と二童子が、大阪石山に盤踞している。この頃には、蓮如が礎石を置いた本願寺が完成し、二十年が経とうとしている。
八幡神と兵頭蚩尤が向き合っているのは、そちらではない。
「摩多羅神などというずいぶんなものに加えて、あんなものまで顕現したぞ。同朋か?」
「貴様、一番衆人に崇められている割に世事に疎いのう」人体に接ぐには歪に巨大な頭部、牛頭で四眼を備える六臂魔王が、嗤う。
「おぬしも同期しておる。分かるであろう。ーー息長水依姫の父親ぞ? 関係がないはずがなかろう」
「習合はしている」八幡神は、菩薩形(僧形)の削ぎ立った面立ちを向ける。「ならば、なんのわだかまりがある。あれも八幡の連合ではないのか?」
二人が向き合うのは、近江国野洲郡・・御上神社。
いや、その神体山、三上山だ。近江富士とも呼ばれ、藤原秀郷俵藤太によるムカデ退治伝説がある。
そこに、新たな神が示現していた。衣冠束帯姿は、いかにも、官位を授かる本邦の神明らしい。正一位大明神というだけあって、豪奢な袍をまとっているのであろう。
だが、そのことごとくが、黒暗々とした影に塗りつぶされている。
なぜ、そうなっているのかといえば、大明神の後方から、澎湃(ホウハイ、水が激しく流れる様)と溢れる後光・・あまりに烈々としたそれが、大明神の輪郭を、逆光に、影に閉ざしてしまっているからだ。
御願を窺えず、ディテールは影に秘められている。
明立天之御影命(あきらかにたつあめのみかげ命)・・ーーーーーー
三上氏と息長氏の祖神だ。
(キツいな)心中、ぼやく。あの霊性の光輝・・天照大御神だろうか?
しかし、男神だ。
(後光に目がいくが、本態は、それに塗りつぶされず影と実体を保っている人影の方だな)
なんとまあ、どっしりと。ーー天の岩戸か、道返大神(黄泉の岩戸)か。
その向こうから光が溢れているあたり、黄泉と根の国、あの世と常世の堺のようだ。
(生死の境界線上で踊る、天皇という一族、か・・)
牛頭は、その四つ目で、天之御影神を見た。
「すごい時代よ。続々、八幡どもが集いよるわ
「再編の時よの」
「オイ」
「間違いのう、習合はしておるわさ」六本腕が手に手にする長物を、神鏡を掲げる。光にかざしているのか、身構えているのか。
「だが、それは、あれの主眼ではないのよ。八幡神であることが、あれの本分ではない」
「ならば、なんだ?」
「二つの王朝の接点」
ガチガチ、と、鳴ったのは、もしかして、歯鳴りだろうか。
「ひょうすべどもが気楽に掘り返しおったわ。そっちではない、というのに」
八幡大菩薩は、それ以上は問わない。彼も、習合している。
(空白の四世紀、だと?)
もし、そんな途方もない古代史の彼方が視界に入るのなら、それはもう、渡来人云々の話ではなくなってしまう。
人の気息が感じられる範疇ではない。
あの神は、神代に属している。




