乗っ取り
新約武権神授説連合軍が、上洛する。ーー六角方の軍勢を実際に率いたのは、大原高保(たかやす、大原氏は宇多源氏、佐々木源氏同族)という人物だという。なら、六角定頼は、後方に位置し、その付近に、八幡旗手・蒲生定秀が満十二歳で控えていた、とかんがえた方がいい。担ぐべき神輿であり、この神輿は、六角定頼の所有物なのだ。
(なぜ、髙国にこれほどの与力が集まっている!?ーーー~~)
永正十七年(一五二〇)五月三日、連合軍が京都まで押し寄せ、五日正午に、尊氏が眠る等持院東南にて激突、細川澄元不在も響いて士気も騰がらず、脱走が相次いで、三好之長軍はわずか五千ほどだった。
それでも、ところどころで勝利を拾っていたというから、之長も名人芸だ。彼は、一揆を引き起こしたり、琵琶湖を渡る迅速な部隊移動をしたり、細工や工作に長けている。なんなら、自軍に倍する大軍に当たっても、痛み分け程度に持ち込むのでは、と、期待させる戦上手だ。
しかし、彼我の兵力差、十倍。
すでに、小細工が通じる規模ではない。やがて、三好方から内応するものが現れ、午後八時頃には大勢が決まって敗走。ーー八時間粘っていたことになる。
髙国軍は身を隠した之長を十一日に捕らえた。彼は、曇華院という寺院に潜んでいた。ここには、義稙妹・祝渓聖寿が入寺しており、彼女は髙国兵へ、之長の引き渡しを拒んだ。
之長は、このままでは寺に禍が及ぶとかんがえ、自ら寺を出た。捕らえられ、知恩寺で切腹。
さんざん梟雄として働き、周囲にも倦厭された男だったが、散り際はサッパリとしている。
阿波の海の、水泡のようだ。
京都は、髙国のものになった。
一ヶ月後、六月十日、細川澄元も阿波にて病没。澄元陣営は、壊滅的な打撃を受けた。
澄元の家督は嫡男晴元が継承。三好家は之長の孫・元長が継いだ。以後、細川晴元陣営は逼塞を余儀なくされる。
結果として、髙国は忠臣として行動していたのに、義稙が裏切って澄元と内応した。二人の対面は気まずくなるはずだったが、なにか不審にも、髙国は気にしている風でもなく、義稙と友好関係を築こうとした。八月には三条御所にて盛大な猿楽の催しを開き、義稙を歓待、大いに満足させている。
それほど、髙国というのはできた人物だっただろうか? これまでの経緯を見る限り、人格者らしい動きはない。
六角定頼を中心に結成された新約武権神授説を背景にした同盟にも、無理に逆らわず、それで京兆家の家督を取り戻せるのなら、と、受け入れたのだろう。
その上で、自分を裏切った義稙と対面してみれば、気持ちに余裕がある。
(あなたとは違う次元で、すでに話は進んでいるんだ)
そういう余裕が、将軍へ丁寧な態度を取らせ、向後もお変わりなく、という行間になったのではないだろうか。一方で、永正十七年(一五二〇)十月、摂津の瓦林正頼ら国人衆を切腹させている。彼らは武勲が多く、髙国を脅かす可能性のあるものを粛正したとも、先の戦いで髙国を裏切っているため疑心暗鬼に駆られたともいわれている。
内部を粛正し、対立候補を排する。
彼の後背には、六角氏がいる。
そして、翌大永元年(一五二一)三月七日
義稙は、また、京都から姿を消した。堺を経由し、三月十日に淡路に到着。四国方面に逃れたのだ。従ったのは、畠山順光(木阿弥の息子)ら奉公衆数名のみ、奉行人のほとんどは京に留まり、義稙は見限られた形だった。
この出奔について、具体的な原因となる出来事はなにも語られていない。研究者は、やはり、一度裏切った義稙と髙国との間で、関係修復が進まず、義稙が出奔する事態になったのだという。
この間、歴史に飛躍があるが、やはりここに、八幡旗手を中心とした第三期秦氏政権の萌芽があったとかんがえてみたい、彼らは露骨に義稙を傀儡にしようとしただろうし、自分の意志を貫徹させる英雄である義稙には、それは堪えられることではなかった。
だから、出奔した。
(そもそも髙国は、なぜ勝てたのだ?)四国へ逃れる道中、義稙は首をひねっただろう。おのれは澄元と結び、現に京都は澄元軍で押さえられている。そこから逃げ出した髙国が、四万とも五万とも言われる軍勢を率いて戻るというのは、どういう奇術なのだ?
髙国はおのれへの慇懃な態度を崩さないが、その実、京都が彼のものになっているのは誰が見ても明らかだった。
劣位に甘んじている自分ではない。
義稙が、前のように近江・甲賀へ向かわず、四国に向かったのは、暗示的だ。六角定頼が、髙国陣営の態度を明確にしていて、近江は敵国という意識があったのだろう。
義稙は、以前、甲賀に出奔して、四大名らを従わせた経緯がある。今回も同じようにして、髙国から譲歩を引き出せると計算していた可能性もある。
だが、髙国は、義稙を呼び戻そうとはしなかった。
彼は赤松氏家臣浦上氏に連絡し、播磨で庇護されていた義澄の遺児、義晴を上洛させた。これは、赤松義村と抗争していた浦上氏が偽の和睦でおびき寄せた義村を幽閉し、その庇護にあった亀王丸(義晴)を確保した、という荒っぽい手段で身柄を押さえていたものだ。髙国はこの浦上氏に求めて足利亀王丸を手に入れた。
そして、髙国は、足利亀王丸を征夷大将軍に就けるべく、準備を進めていく。
これによって、義稙は、完全に追い詰められてしまう。ーー慰留されるのを期待して京都を出奔し、そのまま放置されて新たな征夷大将軍を立てるべく準備が進んでいく、というのは、あからさまにいうと、間の抜けた構図である。
自分が逃げ出すことで相手が懐柔される、などというのは、都合のいい幻想でしかない。
まして、髙国の背後に、六角氏秦氏政権がある。彼は強気に出ることができ、逃げ出した義稙を一顧する理由なぞなかった。




