↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
室町ひょうすべ拾遺1  作者: ずずつすず
北条早雲伝下
PR
62/82

伊勢新九郎異聞~獅子の牙~

 長尾家は景虎(謙信)が有名すぎるが、その父・為景も、祖父・能景も、強固な意志で作戦を運営し、勝利をものしている。一族が合戦の名人ぞろいというのは、じつに珍しい。

 上杉顕定を討ち取った高梨政盛は謙信の大叔父だが、彼も、善光寺を巡って、武田信玄の目の上のたんこぶとして君臨した事跡で有名な村上義清、その曾祖父・政清と争い、善光寺を全焼させている。

 とんでもない一族である。

 

 上杉顕定の越後征伐は、凱歌が長尾家に上がった。

 一方で、宗瑞は、勝利したとは言いがたい。扇谷上杉領を荒らし回ったものの、顕定の死を契機に、両上杉家が結託し、その軍勢に押され、小田原城にまで攻め込まれた。

 噛みついた宗瑞の方から和睦を持ちかけたのだから、敗戦と言える。

 (三浦義同か)

 扇谷上杉家の生まれで、相模三浦氏を継いだ。始めは扇谷家に従っていたが、長享の乱で、太田道灌が主君に殺害されると、諸将とともに山内上杉家に走り、それからまた、扇谷上杉家に帰参した。永正の乱という古河公方家の内紛では、房総半島に渡って活躍しているが、彼が不在の間、三浦半島は不穏の動きがなかった。名族三浦氏であり、かつ上杉家の生まれ、国元の豪族たちを完全に畏服させていたのだ。

 じつは、宗瑞と縁がないこともない。ーーまだ、小田原城を手に入れていない時分、宗瑞の弟・伊勢弥二郎とともに小田原城主・大森氏に味方し、山内上杉家の侵攻に抗い、結果、小田原城が陥落した。そういうことがある。

 

 この和睦は、早雲庵にとって、不利な条件になった。三浦義同は、新たに相模国中郡(現在の神奈川県伊勢原市、平塚市、秦野市など)を手に入れ「岡崎城」を拠点に小田原の早雲庵に睨みを利かせた。

 (緊急避難じゃ。早晩、和睦は破られる)

 というより、宗瑞が、自ら破った。関東進出の鼻先に、三浦道寸のような有能な男に居座られていてはたまらない。

 和議が結ばれたのが、永正八年(一五一一)

 宗瑞は、翌永正九年(一五一二)八月七日に、岡崎城を襲撃

 先の快勝がまだ頭にあったのだろう。三浦方は、城外の決戦に臨んでしまった。

 ここで、宗瑞にさんざん打ち破られ、敗走。岡崎城を失ってしまう。

 義同は、はるか三浦半島の付け根、逗子まで撤退し、弟の守る住吉城に入る。相模国をほぼ横断しているわけだが、宗瑞は執拗にも、義同を追撃する。

 (ーーこんな男だったか!?)

 これまでは、無理を利かせるような面が薄い人物だった。明応大地震の際、彼我の被害を押して足利茶々丸を小勢で襲った話はあるが、いかにも官僚らしい堅実な戦をする男だったはずだ。

 それが、相模の大地をひっくり返す勢いで、三浦半島まで肉迫している。

 (貴様を討つ、、ーーー討って、鎌倉を奪い、盤石に置く

 (その上で〝新九郎〟に託し、関東の天地へ送り出すわ!!)

 二代目氏綱が、幼名伊豆千代丸を改めて後は、新九郎を名乗っている。

 (おれは京を脱けた・・鳥が鳴く東国(あづまのくに)へ踏み出した

 (こなたにて時鳥の音を聞くのは、おぬしの代だ〝新九郎〟)

 なんという変転だ。

 時代が壊れる。

 備中に生まれ、京へ、一度は将軍側近に上った自分が、東夷の国で大名をやっている。

 (おれでなくてもいい。〝新九郎〟はまだまだ先へ行く)

 老早雲庵に追われるように、三浦義同は、住吉城からも脱出。

 永正十年(一五一三)新井城に籠もるのだが、これは、神奈川県三浦氏、三浦半島の先端だ。

 老早雲庵に追いまくられている様子が伝わってくる。

 その新井城にまで、老早雲庵の軍は押し寄せ、住吉城を陥落させる。城を守っていた義篤の弟は自害。三浦半島の先端に追い詰められた形になった義同には、扇谷上杉家の勢力圏からも切り離されてしまった。

 (うぅうううううううううーーーーーー!?)

 義同を救出すべく、扇谷上杉家も動く。永正十一年(一五一四)五月、上杉朝良と長尾氏(山内上杉家家宰の長尾氏)が武蔵国へ、太田永厳が相模国西部へ出陣するが、早雲庵軍は揺るがず、新井城の包囲を崩さない。

 太田道灌の嫡男・太田資康は、義同の娘婿だった。彼も義同救援へ向かうが、早雲庵軍に討たれている。

 義同も圧倒的劣勢にありながら出陣し、八丈島を攻め取り、代官に年貢を運ばせている。新井城は三浦半島の突端にあり、三方を海に囲まれた堅城だ。だから、まだもちこたえていた。

 しかし、そうやって奪い取った八丈島も永正十二年(一五一五)早雲庵軍に占領され、義同は海上交通すら封鎖される。

 鬼気さえ感じる宗瑞の攻め口だ。

 宗瑞は、この時点で、鎌倉をも手中に収めている。この町の防御力は、もう時代遅れになっている。宗瑞は鎌倉を防衛する拠点「玉縄城」を築いた。現代の住所は、神奈川県鎌倉市玉縄地域城廻(しろめぐり)。

 (鎌倉府だあああああああああああーーーーーーーーー!!

 (勝幡院殿(おやかたさま)!! 御身の念願、伊勢新九郎盛時が叶えましたぞおおおおおおおーーーーーーー!!)

 忠誠心など、まるでない。ただ、おのれの野心の雛形として、亡き堀越公方に勝ち鬨を捧げた。

 いよいよ、関東本番だ。

 (鎌倉公方がここにいる。古河公方、管領上杉家、貴様らに鎌倉公方・伊勢新九郎氏(・)綱(・)が君臨する)

 氏綱も、満二十八歳。

 嫡男氏康も誕生している。

 

 相模の獅子は、老いた獅子は、覇業の礎を敷いたのだ。

 


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。