足利義材の風景
(十五年ぶりとなるのか・・ーー)義材は、入京するときは、さすがに感無量だっただろう。しかし、その目顔は、常より和んでいる程度で、浮かれているところがまるでなかっただろう。ーー燥がない。
ーー本当に、人変わりしたように、沈毅なところができている。十五年の放浪がよほど応えたのか、この人物、剣の心得もあり、既往は毒を飲まされ、この先、寝込みを刺客に襲わるが一人で渡り合い、撃退する、と、まさしく放浪の王子のような毀誉褒貶と活劇を体験する。物語なら、放浪者が陽気さを保つのだろうが、実際には、老年の戦国武将のような重厚な性格になっていくのだろう。ーーそもそも、つい、明応の政変で王位を追われた被害者として捉えてしまうが、連続した外征に、越中公方の時には和平に失敗した近臣の吉見義隆(源為義流八幡神族)を斬る、という烈しさを見せている。
元来、苛烈な行動力があり、それを肉厚な経験値と思慮深さで包んでいる、そういう人物だ。等持院尊氏は、追い詰められるとすぐに腹を切ると騒いでいたが、その子孫たちは、なぜか自分で剣を振り回すようになった。烟々羅の一族の不思議な行動力だ。ーー窮するとじつにしぶとい。
この性格が、じょじょに、大内義興との不調和になる。
ーー東寺の五重塔、幅広い朱雀大路。
京都のアイコンに触れると、心の片隅が疼く。むしろ、懐かしさより、同情が沸いた。
義材が原風景として記憶するのは、文正元年(一四六六)に生まれ、父・義視と母・日野良子といっしょに過ごした
応仁の乱の京都だ。
絶えざる紛争。入れ違い、すれ違いに出入りする諸侯やその軍勢。ーー惰気に支配されつつも、新興足軽階級を雇った市街戦は間欠泉的に火を噴いた。そのため外出もままならず、物騒な百鬼夜行が支配する都、というイメージだった。
そんな京都に、西軍大将軍の御曹司として、満十一歳まで居住していた。ーーこの故郷が、彼の根っこにある。
それから、義視とともに、土岐成頼とその重臣・斉藤妙椿を頼って美濃国へ下向。特に妙椿の庇護に預かった。妙椿は土岐家と並ぶ権勢を誇り「無双富貴、権威のものなり」と公家にたたえられている。
もちろん、斉藤氏は、道三こと長井新九郎に、名跡を乗っ取られる。妙椿の孫の代だ。
[この長井新九郎の父親が、司馬遼太郎の『国盗り物語』で斎藤道三そのひととして描かれた松波庄五郎となる。つまり、従来斎藤道三の一代記として普及していた油売りから美濃一国の主へのサクセスストーリーは、実は、親子二代の行跡だったのだ]
そして、延徳元年(一四八九)まで十二年、美濃で暮らす。義材の第二の故郷は美濃なのだ。
そして、実は、義材は、第一次六角氏討伐「鈎の陣」にも参加しようとしている。
総大将としてだ。というのは、酒色に溺れた九代義尚が、鈎の陣で体調を悪化させる。周囲のものは、義尚を京で療養させようとし、急遽後釜に立てられたのが義材だった。だが、義視・義材が近江へ出立しようとした矢先、義尚が急逝、そのまま義澄との後継者争いになり、二人は入京した。六角氏討伐は、義材の中では伏線として温存されていたのだ。
この頃の、政元、富子、さらには、伊勢新九郎も加わっていたであろう陰謀の府。それが、義材の見た京都の最後のイメージだ。
京都は、東山銀閣寺も造営が進み、生まれ変わろうとしていた。この頃、ざっと満二十三歳、かつて応仁の乱の伏兵のように活躍していた足軽階級が、我が物顔で往来を闊歩するようになっていただろう。復興と諸大名のめまぐるしい入れ替わり立ち替わり、それらを当て込んだ人や物の流れ・・ーー
(なんという殷賑だ)
近世の予告があった。首都、造営、外征、こういった要素を抜きにしても、大きな街道が集まる京都は、貨幣経済が振興すれば、商都として栄えることになる。
若い義材は、おのれの躯体の底から、うずうずと、萌す活力を感じていた。
あの陰惨な戦乱の都が、こうも明るく活気に満ちた場所へ変わろうとしている!!
堺が日明貿易の拠点にもなっている。唐物が見世(店、商品を展示することから)に並び、エキゾチックな情緒さえあっただろう。
だが、明応二年(一四九三)政変が勃発し、義材は放浪を余儀なくされる。
新時代の活力をたっぷり呼び込んでいる京都は、夢に出るほどのあくがれを彼に感じさせただろうか。
だが、畿内を掌握する細川京兆家はあんがいに盤石で、和平は水に流れ、畠山尚順と連携しての入京も水に流れる。望遠鏡を逆さにのぞき込んだ時のように、京都は遠く澄んだ思い出になり、周防の西の京に身を置いていても、どこかで、京都を思っていただろう。シーパワーズの細やかな心遣い・・厚遇を受けながら、義材はじょじょに削がれていき、世巧者となり、鋭鋒の犀利さを備える。
考えてみれば、京にいる時期以外は、誰かの礼遇を受けている。
大尽の余力と、おのれに「まて」を課せる迫力・・その二つを兼ねそろえていく。
(等持院尊氏公すら、九州に下向され、あるいは征夷大将軍の位を剥奪されて鎌倉に逼塞された。待つことだ。尊氏公は捲土重来された。わしとて、そうだ)
そして、ついに、念願叶い、彼は京の土を踏んだ。昨年の「遊初軒」の戦いで上京は多少荒れただろうが、もう、復興はできていただろう。
(ふふ・・また、一段と生彩を帯びておるな)
細川政元は日明貿易に熱心であり、さらに澄元が立って以来阿波衆が幅を利かせていた。
どんどん、異色が華やぐ。
多彩に縅された一筋の異彩。京都こそ、それになっている。
(ここから新時代が始まるのだ)




