日野の探究
ーーいや、錯視というのか、視野狭窄は恐ろしい。日野家がさほど高い家格ではないと知ってはいたものの、本稿の流れから巨大な黒幕として意識していた。
実際は、下から一つ上の階級なのだ。
この途方もない格差・・日野家も、作者のような限定されたものの考え方に閉じ込められ、真夏・冬嗣兄弟からかけ離れた階級を上り詰めようとしたのだ。
だから、朝廷とは異なるヒエラルキーである足利将軍家と結んだ。ーーかんがえてみれば、武家神授説は、真夏流・藤原有綱娘が、源義家に嫁いだことから始まる。
この八幡神話の主軸を、日本の歴史の背骨を築いたのは、ある意味で日野氏である。
・・日野だ。
日野、という二字は、意味深長だ。
『武生(たけふ、福井県南条郡武生)の町のうるしやでそばを食べながら、とりとめもないことを考えた。
『地名のことである。
『この武生盆地の東南にあたって、野を威圧するように脹れあがっている山がある。日野山(七九四・八メートル)という。日野という地名が、気になる。
『川の名にもなっている。武生の市街を北流して遠く福井市北方で足羽川に合し、九頭竜川に流れこむのが、日野川である。
『(日野という地名は、古代製鉄とかかわりがあったのではないか)
『という妄想が、むかしから私の頭を離れない。
『製鉄が、火とかかわりがあったからだろうか。それともたたらふきは日(太陽)の神を信仰していたからだろうか。むろん、その証拠などない。むしろ中世以降の製鉄師がその高殿(製鉄場)のなかで信仰していたのは太陽ではなく、特殊な神であったことは、はっきりしている。
『その上、上代の言葉では、日と火は、発音のちがった別語であったとされている。日は国語学でいう甲類で、fi であり、火は乙類で、fiである。
『そのように詮索してくると、まことに無意味な妄想になってくるが、古代製鉄がさかえた地にヒノという地名があったり、ヒノ川が流れていたりするのは、偶然なのかどうか。
『古代製鉄の代表的な土地として、出雲の国と伯耆の国がある。
『両国は相接しながら、両国にヒノ川という同名の川がそれぞれ流れている。伯耆にあっては日野川であり、出雲においては、もっとも良質の鉄を出す鳥上山のあたりが『出雲国風土記』では「斐伊大河上」とよばれていた。斐伊は二字をもって「ひ」と訓ませていた。音は、日野川とかわらない。右は単に感想にすぎず、牽強付会すべきものではないが、武生を流れている日野川を見ると、つい出雲や伯耆の古代製鉄を連想せざるをえず、さらには、古墳時代に継体天皇を成立させるまでになった古代越前の旺盛な鉄製農具の生産と水田開拓の歴史をおもわざるをえない。』 (『街道をゆく 越前の諸道』司馬遼太郎)
製鉄の適地にまつわる地名「ヒノ」
日野氏の名の由来は、京都市伏見区日野にある真夏流の氏寺法界寺(日野寺)だ。このあたりは、真夏流の領地だったというが、法界寺のある醍醐山麓、山続きの北方に、如意ヶ嶽製鉄遺跡群がある。そして、伏見区にも日野川が流れている。ーー日野家は、薬子の変では、平城上皇・秦氏陣営についた。もともと山城は秦氏の勢力圏だ。ーーこの製鉄に使われていた土地を、献上されたのではないか。
そして、本稿が触れようとしても、なかなか近づけない蒲生氏。
その本拠地は蒲生郡日野だ。
八幡神族、八幡旗手。
その本拠地が「日野」・・ーーー
この「日野氏」に、在野の、製鉄と鉄器と農耕で成立した秦氏「百姓」が、かしずいた。
鉄の偉観、、ーーーー農具であり武具。
武神の民。
地方の秦氏は中央の庇護を欲し、中央の秦氏は藤原北家の威光を欲し、藤原北家の真夏流は趨勢を逆転できる在野の勢力を欲した。
三者の合意が、八幡太郎義家の父・頼義の平直方娘との結婚、、ーー坂東平氏の地盤をもらい受けることとなり、さらに直方から譲り受けた鎌倉の土地に鶴岡八幡宮を建てる、、ーーー八幡神を源氏の氏神とし、わが子の正室に真夏流を迎える、これらの動きとなった。
八幡神話、武権神授説はここから始まる。




