戦国本願寺考
つくづく念入りに、浄土真宗宗主は、藤原北家真夏流と縁組みしている。戦国期の一大ムーブメントと、なにかとやり手でしかも室町期に御台所をくり返し出した幕府の黒幕・日野家だ。
両者が同族ならば、連帯しないはずがない。しかも、京阪という指呼の間だ。
元亀天正という言葉がある。戦国期の特に織豊政権が振興した爛熟期で、元亀年間は(一五七〇─一五七三)正年間は(一五七三─一五九二)
この間日野家当主だったのは、日野輝資、信長に仕え、足利義昭に従って背いた。いわゆる「信長包囲網」で、本願寺が果たした役割は大きい、というより中心だ。
国境に隔てられず、全国に教勢を扶植していた本願寺が中心となって、日の出の勢いの織田信長を迎え撃った。
日野輝資は義昭の強力な謀臣だっただろう。後年、出家して徳川家康に仕え、以心崇伝や天海といった、家康に侍した謎多き僧侶たちに次ぐ三番手だった。
九代実如の後、本願寺宗主は十代証如上人、十一代顕如上人とつづく。石山合戦に及んだのが、この顕如だ。
定めし、証如や顕如といった戦国期の宗主は、日野家と結んでいるであろうとかんがえたが、この二人は、日野家の猶子ではない。
藤原北家九条流の猶子となった。ーーー上り詰めた。
日野家は、実は、さほど家格は高くない、、ーーその点、官位の低い渡来人・秦氏の中軸としてある意味ふさわしい、、ーー
公家の家格には、上から
摂家(摂関家、藤原氏長者になれる藤原氏嫡流)
清華家(セイガ家、清華は漢語で上級貴族を意味する)
大臣家(清華家庶流。大臣に欠員が出ると、内大臣〈左大臣右大臣の下〉に上がる)
羽林家(武官の家柄。近衛少将や中将を兼ね、参議・中納言、最高で大納言にまで上がる。江戸時代の武家官位では、各大名家に相当する。羽林は北斗星を守護する星の名)
足利尊氏が権大納言、贈左大臣、贈太政大臣となっている。大臣には、死後昇っているのだ。尊氏が模範とした「鎌倉殿」源頼朝も権大納言、右近衛大将だ。
この羽林家と同格になるのは「名家」だ。
名家(羽林家に対して文官職、中納言・大納言にまで進む)
この名家より下に「半家」がある。藤原氏、清和源氏、宇多源氏、菅原氏、大江氏、清原氏、桓武平氏、卜部氏、安倍氏などから参加する。ずいぶん、ひょうすべ史観で馴染んだ名前が多い。
これらから、それぞれの氏姓の、さらに選ばれた数家のみが上がって、ようよう「半家」になれるのだ。半家は、それでも昇殿の資格があり、大納言が極官、上限だ。
公家の世界というのは、真事狭き門だ。
日野家は、これらの家格の内
「名家」になる。
あれだけひょうすべ史観で存在感を発揮していても、最下級より一つ上である。これが藤原北家真夏流の末路なのだから、つくづく、藤原真夏と藤原冬嗣兄弟が対立した平安時代「薬子の変」は、岐路だったのだ。
同じ藤原北家でも、摂家にまでなる冬嗣流と、名家止まりの真夏流だ。これは、遺恨になる。
さらに下々の半家や武家、名もなきひょうすべどもと連携して、のし上がろうという動機にもなろう。日野家に、えらく精力的な権謀家の一面があるのは、こういうことなのか。
さて、本願寺宗主十代証如、十一代顕如。
彼らが猶子となった藤原北家九条流は、五摂家と呼ばれる、鷹司家、近衛家、一条家、二条家、九条家
歴とした「摂家」なのだ!!
上り詰めた。
それは、日野家と縁組みしている場合ではない。




