穢土浄土
(ーーまた、すごいのが勧請されたな)八幡大菩薩は、呆れて、大阪石山を見ている。
「ーー広隆寺(太秦寺)ではあらなんだな。牛祭の神か」
「ーー活気づいて来たではないか」
兵主が言う。
「念仏門が流行っておる、ということであろう」
「他力本願が大乗の道ならば、迷わず信奉すべきだ。自力の強きよりも、そうでないものの方が、常に多い」
「無明長夜の法灯・・それが、末法の救済か」
露が揺れる。ーー夜の底で。
暁明の刻限を感じ取っているかのように。
喊声を上げている。ーー兵主部も。
摩多羅神は、比叡山始め天台宗の常行三昧堂、その「後戸」に祭られている。
『秦河勝とされている秦氏の神に、後戸の神こと「摩多羅神」がいる。これは世阿弥の「風姿花伝」で、猿楽の神とされている存在で、密教、天台宗の玄旨帰命壇(ゲンシキミョウダン、宗旨の名)で本尊とされている。
『密教神でありながら念仏の守護神でもある。』
『摩多羅神は、常行三昧堂(ジョウギョウザンマイ堂、常行三昧、九十日間阿弥陀仏のまわりを回りながら念仏する修行、そのための仏堂。常行堂)の後戸に設置される神だ。
『常行三昧が、阿弥陀仏の周囲をめぐり九十日念仏する修行なのだから、たしかに、これは、阿弥陀仏の守護神だろう。』
拙稿から引用。本尊の背後たる神聖な「後戸」の守護神。
その神聖さを、下手な経文に落とし込むことなく、猿楽、芸能に求めたあたり、付会かもしれないが、回転舞踊で入神に至る回教スーフィズムに似ているかもしれない。
一遍上人の実践した「踊り念仏」というものもある。舞踊、芸というものは、あんがいに、宗教恍惚へ結びつく。能も田楽も、農耕儀礼と無縁ではない。
欣喜雀躍。
踊躍せよ。
「欣浄土、厭離穢土」
をはりなきよのめでたさや
翁面のように、迎春のように、末法の底でカンラカンラ哄笑する。ーーきっと、念仏も、庶民の間で根づいたからこそ、芸能化したのだろう。
秦河勝が、仏法を普及させた聖徳太子に側仕えしたように、摩多羅神も念仏門とともにある。
(真宗の祖・親鸞は、秦氏の母をもつ法然に師事した、、ーー日野有範の長男、か)
真夏流・・しかも、親鸞の母は、八幡太郎義家の孫娘・吉光女、源為義の娘だ。一説では、悪対馬源義親の娘ともされる。ーーどうも『尊卑分脈』事件と同じ操作の匂いがする。まあ、悪対馬の子として高階氏とつなげたかったのかもしれないが。
本当に、調べている側が気恥ずかしくなるくらい固め打ちにする。
ーー富樫政親は、加賀一向一揆に包囲され、自害した。下剋上の風潮を戒めるべく、三代義満が応永の乱で出陣して以来百年ぶりとなる将軍親征「鈎の陣」に務めていた政親が、こう言ってはなんだが新興宗教の一向宗に討たれたのだ。
(許せぬ!!)
義尚は、当初、本願寺征伐を計画するが「今は、六角家成敗に励まれるがよろしいでしょう」と細川政元に反対され、断念。さらに本願寺蓮如に、一揆に参加したものを破門するよう命じるが、これも細川政元がとりなし、一揆勢を消息(手紙)で叱責する処分に留めている。ーーじつに、こう、陰謀史観で恐縮だが、細川政元は、日野富子や伊勢貞宗と手を組み、やがて明応の政変を起こして十代将軍・足利義材を追放する。いろいろ紆余曲折はあるものの、富子とは同盟者なのだ。
日野家とは、と言ってもいい。そして蓮如は、その日野家から出た親鸞の末裔だ。親鸞から、本願寺宗主は
二代如信上人(親鸞の孫)三代覚如上人(親鸞の曾孫)四代善如上人(覚如の孫、日野俊光猶子)五代綽如上人(善如の子、日野時光猶子)六代巧如上人(綽如の第二子、日野資康猶子)七代存如上人(巧如の長男、日野氏分家広橋氏兼宜猶子)八代蓮如上人(存如の子、日野氏分家広橋氏兼郷猶子)
となる。ーーじつに、日野家と連絡し合っている。ーーいや、露骨すぎる。
日野家としては、蓮如の代に盛り返し、盛大になっている本願寺との同盟が惜しく、政元に働きかけて、寛大な処分に変更させたのだろう。ちなみに、九代宗主は蓮如の子・実如上人だが、日野勝光猶子・・なんと、蓮如は、富子の姉弟のごとき存在だ!!
日野家は、勝光・富子の兄妹が金融でも才覚を示していて、俗才もある。
じつに、やり手だ。
ーー彼らが石山本願寺と同盟して、損になることなど一つもない!!
それは、一向宗が戦国時代を席巻するはずである。




