大航海時代の布石
応仁二年(一四六八)九月に帰洛した義視が、二ヶ月で逃げ出した。
宗全が見逃すはずがない。
山名宗全という西軍総大将の肖像が、いまいち作者はつかみかねている。このとき、満六十四歳なのだから、恐れ入る。
大内教弘と細川勝元の両方に娘をやっておきながら、いけしゃあしゃあと大内側に肩入れしているあたり、かなりアクの強い外交をする。このとき室にした二人の娘も、嘉吉の乱で最後まで足利義教とともに戦った一族(山名熈貴)の娘を養女にした上で配している。辣腕である。
そういう人物だ。東軍と不和のある次期将軍候補を見逃すはずがない。当然、叡山に使者を送り、義視に接触した。
(もう、これまでだな)義視も、決心した。ーー東軍に、自分の居場所はいない。
それ以上に、義政が自分を害そうとしているからには、わが身を守らなくてはならない。
義視は、西軍からの誘いに応じた。
西軍の士気は騰がった。これまで義政を擁する東軍に対抗できなかった。そこに、東軍の総大将であり、将軍の候補である義視がやって来たのだ!!
十一月二十三日、義視は帰洛。
斯波義廉の邸宅に入った。翌二十四日には、西軍諸将が馳せ参じ、義視の参加を喜んだ。彼らは義視を今出川殿ではなく相公(将軍)と呼び
征夷大将軍、足利義視
義政に解任された前管領・斯波義廉
という、東軍に対抗する体制を形成した。
これを「西幕府」と呼ぶ。
義政は、義視の西軍参加に激怒、朝廷に働きかけ、義視の官位を剥奪、さらに義視に同行した公卿らも官位を剥奪した。義視は、後花園法皇から、追討の院宣まで出される。
義政と義視、兄弟は完全に決裂した。
ーーだが、これは、両軍に奇妙な均衡をもたらした。どちらも、将軍と管領を擁し、西軍も御内書(私文書の体をとった公的命令書)を発することができるようになった。京都で雌雄を決することなく、全国に命令できるようになったのだ。
ただでさえ市中での武力衝突から、郊外に戦場が移りつつあった。これがさらに国外に移行していく。
細川勝元など、西軍相手の戦いはほとんど行わず、対大内の戦いに注力するようになった。ーー彼にとっては、政弘こそが宿敵であった。
大内政弘の軍事力は圧倒的で、西岡の戦い(一四六九年四月二十二日)では、摂津・丹波(ともに勝元の守護任国)に連絡する乙訓郡西岡へ侵攻、東軍の拠点をほとんど奪い去った。この勝利によって、西軍は山城周辺を切り取ることに成功した。
(大内こそが)
東軍では、反大内の作戦が活性化し、九州の大友氏、少弐氏を動員。政弘の叔父・教幸を擁して、大内領に侵攻した。
ふと、興味が沸いた。
すでに法体で、道頓と号していた大内教幸
この道頓とともに大内領へ侵攻した家臣は
・内藤武盛(内藤氏は千晴系秦氏)
・仁保盛安(ニホ盛安、仁保氏は良文流三浦氏庶流)
・吉見信頼(吉見氏は河内源氏源頼朝庶弟の末裔、真夏流八幡神族)
・周布和兼(周布氏祖益田氏は藤原北家小野宮流とも真夏流藤原実綱ともいう)
主立つものを数えれば、やはり、スクロールアウト同盟である。
なんにせよ、軍神の眷属は、軍になると顕在化する。
この道頓軍を防いだのが、周防守護代・陶弘護だ。ちなみに陶氏は大内氏庶流。渡来人多々良氏だ。
利仁流・為憲流・秀郷流・良文流・真夏流・各地の秦氏末裔・・同じ渡来人連中
ここまで来た。
道頓は、陶弘護を打ち破り、周防を得ると、今度は石見へ侵攻。しかし文明二年(一四七〇)十二月に陶弘護が再び挙兵、道頓軍を追う。
道頓軍が陶弘護と対峙している。京都情勢は揺るがず、大内軍は山城の大半を制圧下に置いていた。
(ーーーなんだ、この状況は?)
京都上空では、菩薩形の八幡神と、濡れ女とが、盤面のように碁盤目の洛中を見下ろしている。秦氏連中が身内で争うのはいつものことだが、全国を宰領する政府を持っているせいか、みょうに戦いが、連絡し合った整然とした印象になっている。
「ーー景気がいいようだな、宗像の」濡れ女に話しかけると、龍蛇の尾をした女は、見向きもしない。
ただ、骨食に断たれた尾の先を、揺らめかせている。「ーー波が陸を覆ったのか、それとも、率土の浜王臣にあらざるなしという言葉の通りになったか」
「どういう」「同期しておろう」
(ふん)習合しているもの同士だ。
シーパワーが、ランドパワー国家の関心事になりつつある。だから、大内氏と海の国が、なんと京にまで兵を出している。海の国と貿易戦争をする管領がそれを迎え撃っている。
ーーしかし、美しい盤面だ、、ーー
それが言葉にはせぬ、八幡大菩薩と、濡れ女の本音だった。大航海時代の始まりは、十五世紀半ば・・すでに、そのタームに入った。
それを受け容れようと、人がもがいている。ーーーそんな趨勢だ。
畢竟、秦氏も後戸の客もない。地勢、地利・・スクロールアウト同盟など、そういう条件付けに翻弄される人と人のか弱い工夫だ。
だから、神々が夢中になる。
(ーーこういう気持ちか? 兵主)八幡神は、八坂神社・・この頃の社号は祇園感神院に佇立し、人世間を見下ろしている牛頭天王を一瞥する。
ーーわれわれは日の本にあるのだな。




