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室町ひょうすべ拾遺1  作者: ずずつすず
応仁の乱─ひょうすべ史観から─
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16/82

海のひょうすべ

 ーーさて、どうにも、海の国の進出が目に付く。大内政弘(妹厳島神社神主室、娘宗像大宮司室)であり、やはり、両者の結びつきはまぎれもない。この結びつきは、他ならぬ大内義隆が陶晴賢に背かれ自害するときに、宗像氏男が殉死するところまでつづく。

 以後は、宗像氏は麻生氏を取り込むも、戦国大名としては衰退し、断絶する。

 

 すべてのランドパワー勢力に言えることだが、国内の整備がある程度進むと、海港のある国は、農耕から商業、貿易に手を伸ばす。海の国が、陸の政局に存在感を発揮するのは、こういう時期だ。

 日宋貿易に関しては、むしろ、海の国が主導して朝廷、平家をそちらへ誘導した。それまでは、国家公認ではない密貿易の形で北宋との交易がつづけられていた。北宋が、女真族の金に追われて南宋に移る。南宋(一一二七~一二七九)は、華北の耕作地を奪われた都合、海に活路を見いだした。こうなると、国家間貿易となり、敦賀や博多で貿易を行っていたが、これを占有するために平家を動かし、福原遷都、厳島神社を氏神にするところまでこぎ着けた。

 鎌倉時代に移ると、日宋の国交はなくなる。だが、民間では相変わらず貿易が盛んで、支那の文物も文化も仏教も流入した。元が成立し、南宋を呑み込んでいくと、もちろんこれと戦ったが、じつは、文化・経済の交流も盛んだった。

 日元貿易については、ウィキペディアの文章がすばらしい。

 『日本と元の関係は2度にわたる元寇の発生によって両国間は政治的に強い緊張関係にあったという印象が強い。だが、元の日本侵略の要因として経済的な利権を求めたことが挙げられるように、元側に日本との経済的関係を望む意向が強く、反対に日本側も日宋貿易によって確立された中国大陸との経済的関係の維持を望む意向が強かった。』

 『このため、日宋貿易終焉後、日明貿易成立に至る時期(日本の鎌倉時代後期・南北朝時代に相当)も日本と元の間には政治的対立とは全く別に経済的・文化的交流が盛んになっていった。』

 『元が南宋の首都臨安を攻略してその国土の主要部を奪った日本の建治2年(1276年)に日本の商船が明州(慶元)から無事帰国しているのを始めとして、元は日本商船の来航と貿易を容認する政策を採った。元は泉州・広州・慶元に市舶司を設置して貿易管理を行ったが、その統制は比較的緩やかであったために多くの中国船が東シナ海を航行した。弘安の役はこれを一時的に中断させたが、13世紀終わりには日本の朝廷や鎌倉幕府の許可の下に勧進活動を名目とした寺社造営料唐船(建長寺船・天龍寺船など)が派遣されるなど、日本側は元に対する警戒体制を強化しつつも貿易については積極的にこれを奨励したため、準公式な貿易関係も成立するようになった。だが、一方で元寇(日本遠征)の失敗後、元の官吏の中には日本商船に高い関税をかけたり乗員に不当な圧迫をかけたりしたため、日本側も武装してこれに抵抗、初期倭寇の原因となった。』

 途中、少し省略しているが、それさえもったいなく思える。

 『日本からの輸出品には金、銀、銅、水銀、硫黄、刀剣、扇、螺鈿・蒔絵製品などがあり、元からの輸入品には銅銭、陶磁器、茶、書籍、書画、経典、文具、薬材、香料、胡椒、金紗、金襴、綾、錦などで他にも日本の禅僧が貿易船に便乗して中国大陸に渡り修行する例もあった。鉱物、工芸品を輸出し、教養品・嗜好品に代表される「唐物」を輸入したことによって日本の経済・文化に大きな影響を与えた。また、銅材を輸出して銅銭(元銭)を輸入するという構造も当時、貨幣を鋳造することが出来なかった日本の特殊事情を反映したものである。更に日本刀は元において武具として珍重され、後世まで中国大陸への輸出が行われるようになった。』  

 当時の盛況が目に浮かぶ。ウィキペディアは誰でも書き込めるという形態上軽んじられがちだ。しかし、セカンドエビデンスを確保すれば、示唆に富んだ情報源である。右の情報もコトバンクの辞典記事と照らし合わせた限り、間違いない。後醍醐帝が元の制度を参照したり、元号に「元」の字を多用したり、元寇を踏まえると不自然に思われることが多いが、右の日元交流を下敷きにすれば、不思議ではない。

 この時期には、もちろん、足利尊氏の執事・高師直を筆頭に、高氏一族が活躍している。彼らと貿易の関わりはよく分からないが、宗像氏は尊氏・北朝を支持しており、この点、両者には一貫性がある。

 その高氏が観応の擾乱で衰退すると、今度は大内氏だ。高階氏、高氏、宗像氏と、だんだん、海の国の活動が活発化し、ついに大宮司家が戦国大名のように動き始める。



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