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室町ひょうすべ拾遺1  作者: ずずつすず
義満以降─日野家の女婿たち─
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スクロールアウト同盟の真実

 要は、問題は、後戸の客、秦氏末裔に、連帯意識があったかどうかだ。スクロールアウト同盟を結んでいたかだ。もし、後戸の客が同同盟を結ぶ性質があるのなら、武権神授説を叶え、その盟主になることに実益がある。また秦氏を標榜して後戸の客に加わる馬頭鬼も現れよう。

 源頼義の動きを見る限り、関東の獲得と同時に八幡神を氏神にし、秦氏末裔の糾合を図っている。人間は、近世ほどになれば、驚くほど現代人に寄った思考をするが、中世、それも平安時代あたりだと、逆に驚くほど宗教に偏っている。

 八秦神を氏神とする武門の棟梁が現れれば、これを秦氏は戴くだろう。

 すでに関東には、坂東平氏と重なる形で、利仁流、その版図を継承した秀郷流が栄えていた。彼らを味方につけるために、八幡神を信仰することは大きな意味があったのではないか。ここらへんは、古代ローマ帝国やヨーロッパ全体でのキリスト教や教会に似ている。

 結果、河内源氏を筆頭とした関東武士団の結束が固まる。河内源氏の内紛や平治の乱、平家の台頭が、一時的にこの団結を掻き乱す。だが、大局的には、伊豆に流されていた源義朝嫡男頼朝を中心に関東武士団が結束し、平家を打倒する。ーー頼朝を支えたのが、坂東平氏の北条氏だったあたり、河内源氏と坂東平氏の連帯によって関東武士団が形成されていた背景が反映されている。

 こういう歴史がある以上「八幡神」八秦神への信仰を中心に、秦氏としての結束は保持されるのではないだろうか? だから、南無八幡大菩薩の旗幟は林立する。あれは、後戸の客にとってキリスト教徒の十字架なのだ。神聖なシンボルではあるが、ついに意識することすら希薄な反射になる。

 この関東で成立した武権神授説のフォーマットは、西国の秦氏にも抵抗なく受け容れられる。そもそも秦氏のあり方に添ったやり方なのだ。

 当初、それこそ、宇佐八幡宮の縁で真夏流日野家に嫁いでいた高階氏も、このフォーマットが武士団の結束に有効なことが分かると、同じ宇佐八幡宮祭神の姫大神(宗像三女神)バージョンを悪対馬源義親に試み、その後平正盛に試行する。ーー結果は上々だった。真夏流を絡め、池禅尼が平忠盛の後妻に収まる。西国の秦氏たちは、息長の血筋にも敬意を表しただろう。忠盛の代に平家の権勢は弥栄(いやさか)になり、その子清盛は、ついにムナカタの望みを叶え、姫大神を氏神とし、日宋貿易の大家となる。惜しや、父よりも早く逝ったが、清盛の嫡男重盛は、ちゃんと高階基章娘(明子)の子なのだ!! 重盛は、これまで縁の薄かった東国武士と関係を強化し、足利俊綱、宇都宮朝綱、工藤祐経、武田有義らを傘下にしている!!

 姫大神の眷属は、きちんと、関東経営にも結果を残している!!

 平家─姫大神が西国で伸張したのは、地勢上のこともあろう。水上交通では、関東より瀬戸内海のある西国だ。姫大神、海の国の勢力が息づいていたのは、西国だった。

 

 こういう八幡神話が背景にあり、西の平氏と東の源氏は激突する。ーー勝者は鎌倉の源氏であり、後戸の客が最高幹部に連なる鎌倉幕府ができる。ヨーロッパでキリスト教が諸侯と庶民の紐帯として機能したように、武神・八幡神への信仰は、秦の背景を意識させる装置として継承され、これが保持される限り、後戸の客たちはどこかで自分の素性を意識しており、頼朝公のように、武権神授説に叶えば後戸の客を率いることができるという思想は、武家のフォーマットとして継承されたのではないだろうか。

 

 秦氏には、宗教狂いの一面がある。それを抜きにかんがえても、宗教と人間社会の平安時代~鎌倉時代における一般的な関係に思える。

 

 ただやっかいなのは、新撰姓氏録に記載された全体の三分の一にも上る蕃別姓が、帰化が進むにつれ源平藤橘に収斂されていったことだ。帰化人が日本人の姓を名乗るように、五番目の氏姓「秦(シン)」は秘匿された。後戸の客も、スクロールアウト同盟も表向きは公言されず、渡来人同盟など恥として扱われ、しかし恥ほど痛烈な意識もなく、秦氏の意識は継承され、時々に同盟が結ばれたのだろう。

 建武政権発足時、護良親王が与党形成する尊氏を異常に警戒し、ついに信貴山に布陣し後醍醐帝に訴えるのに至ったのも、征夷大将軍を狙っていた彼は、武家の習慣に詳しく、真夏流源義国末裔の意味することを、おのれが決して武権神授説に叶うものにはなれないことを知っていたからだろう。ーーいや、皇室はそもそも応神天皇の末裔であり、その点、先駆となれば先例になれないこともないが。

 ともあれ、そんな尊氏が新鎌倉幕府を開き、再び、河内源氏義家流のもとに、後戸の客は集う。『尊卑分脈』事件と日野家との通婚で、武権神授説に叶う基盤を形成、再び、秦氏の政権が発足する。

 だが、中央政権となったことで、確実に武家は垢抜け、鄙俗である武家神授説への信仰は薄らいだ。室町幕府は全国組織だが、こういうシステムで人間社会が海岸線まで管理する時代になると、宗教の退潮は避けられない。信仰には未開と未明が必要なのだ。併せて、貨幣経済が振興したことで、ものの捉え方が「質・量」という至極現実的な物差しになる。ごまかしの利かないところに宗教は根付きにくい。あとは、人の心が残る程度だ。

 

 スクロールアウト同盟は、八幡神への宗教信仰に支えられたものだったのだ。

 

 キリスト教はいつまでも欧米人の心に残るが、どう考えても中世のそれと同じ信仰心ではない。

 

 同じことが、後戸の客にも起こっていたのだ。

 

 

 ーー鎌倉公方が、下総古河と伊豆堀越に分裂し、当の鎌倉は扇谷上杉が占めるという形勢から、盛大に脱線してしまった。ちなみに、扇谷上杉家の鎌倉支配は、一四五〇年代末から、半世紀ほどで終焉となる。

 相模国を支配した北条早雲が、鎌倉の主となったのだ。

 もう、戦国時代はすぐそこだ。

 


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