令嬢の刃
ヴァルガス侯爵の娘――令嬢セシリアが、動いた。
徴税改革の審議が、大詰めを迎えた、宮廷の広間。俺が、侯爵一派の中抜きの証拠を、王の前で提示しようとした、まさにその時。セシリアが、涙ながらに、王に訴え出たのだ。
「陛下! どうか、お聞きください! あのリョウという女は……色仕掛けで、陛下と、騎士団長様を、たぶらかし、王宮を、意のままに操ろうとしているのです! 我が父を陥れようとしているのも、すべては、その野心のため!」
広間が、ざわめいた。
巧妙な、攻撃だった。俺が、実際に、王と騎士団長に「好かれている」のは、事実だ。だから、この讒言には、妙な説得力があった。「色仕掛けで取り入った女が、私怨で忠臣を陥れようとしている」――そういう構図に、仕立て上げられた。
俺は、内心で、舌を巻いた。セシリアは、俺の「意図せぬモテ」を、逆手に取ったのだ。事実無根の讒言に、俺自身の「モテ」という事実を、燃料として、くべてきた。
「……なるほど」
俺は、静かに、進み出た。ここで感情的に否定すれば、相手の思う壺だ。俺は、いつものように、数字で、返すことにした。
「セシリア嬢。あなたの仰る『色仕掛け』とやらが、事実かどうかは、脇に置きましょう。証明しようもない、水掛け論ですから。……代わりに、証明できるものを、お見せします」
俺は、羊皮紙の束を、掲げた。
「ヴァルガス侯爵領の、過去五年の、徴税記録です。民から徴収された税額と、王宮に納入された税額。その差額――年間、平均で、金貨二万枚。この、消えた金が、どこへ行ったか。侯爵家の、支出記録と、照合しました」
俺は、もう一枚を、掲げた。
「新しく建てられた、三つの別邸。購入された、二百頭の名馬。そして――セシリア嬢。あなたが、先の舞踏会で身につけていた、あの首飾り。これらの購入額の合計は、消えた税額と、寸分違わず、一致します」
広間が、水を打ったように、静まった。
セシリアの顔が、青ざめ、そして、紅潮した。
「わ、わたくしは、そんな……」
「色仕掛けかどうかは、証明できません」俺は、静かに、続けた。「ですが、金の流れは、嘘をつきません。この首飾りは、民から搾り取った税で、購われた。それは、動かせない、事実です。……感情の話と、数字の話を、混ぜないでいただきたい。わたしが、問うているのは、ただ一つ。消えた税は、どこへ行ったか。それだけです」
俺は、王を見た。
「陛下。判断を、仰ぎます。わたしへの『色仕掛け』の嫌疑と、侯爵家の『横領』の証拠。……どちらが、この国にとって、裁くべき問題か」
エドヴィンは、しばらく、目を閉じていた。そして、開いたとき、その目には、王としての、決意が宿っていた。
「……ヴァルガス侯爵を、召喚せよ」王は、告げた。「徴税に関する、横領の疑い。その、査問を、行う」
セシリアが、崩れ落ちた。彼女の讒言は、数字の前に、無力だった。
だが――俺は、勝ち誇ったりは、しなかった。
セシリアの、憎悪に満ちた目が、俺を、射抜いていた。「色仕掛け」という言葉が、まるきりの嘘なら、俺も、聞き流せた。だが、王と騎士団長が、俺に惹かれているのは、事実だ。その事実がある限り、この讒言は、何度でも、形を変えて、蘇る。
俺は、この国を救うために、数字と戦っている。だが、同時に、俺自身の「女という身体」が生む厄介事とも、戦わなければ、ならない。それは、帳簿よりも、ずっと、厄介で、ずっと、答えの見えない、戦いだった。
その夜、俺は、月を見上げて、独りごちた。
「……男だった頃は、モテなくて、困った。女になったら、モテて、困る。……人生ってのは、どこまでも、うまく、いかないもんだな」
現世に置いてきた、冴えない中年官僚の自分を、ふと、思い出した。あの頃の俺が、今の俺を見たら、なんと言うだろう。贅沢な悩みだ、と、笑うだろうか。それとも――やはり、頭を抱えるだろうか。




