噂の火種
毒杯の一件から、王宮での俺の扱いは、明らかに、変わった。
良い意味でも、悪い意味でも、だ。
まず、良い意味。俺が「戦わずに軍の腐敗を暴き、暗殺すら生き延びた女勇者」として、下級の官吏や侍女たちの間で、一種の英雄になっていた。廊下を歩けば、若い文官が緊張した面持ちで道を譲り、侍女たちが、頬を染めて俺を見た。
最初、俺は、それを「珍しいものを見る目」だと思っていた。異世界から来た、変わった女。そう見られているのだと。
だが、ある朝、俺付きの侍女――マレナという、十六の少女が、意を決したように言った。
「リョウ様。あの……不躾を、お許しください。若い文官の方々の間で、その……リョウ様に、恋文を渡したいという方が、後を絶たなくて。わたし、どうお断りすれば」
「……恋文?」
俺は、羽根ペンを止めた。予算表から、顔を上げる。
「わたしに、ですか」
「はい。皆さま、リョウ様の、その……凛としたお姿に。身分の高い方にも臆せず、正しいことを、正しいと仰る。そんな女性、この王宮に、いらっしゃいませんから」
俺は、しばらく、言葉を失った。
恋文。俺に。この、四十八年間、女の一人も知らずに生きてきた、中身はおっさんの俺に。現世では、バレンタインのチョコの一つも、もらったことがなかった。それが、女の身体になった途端、これだ。世界の理不尽さに、目眩がした。
「……マレナ」俺は、頭を抱えたい気持ちを、抑えて言った。「全部、断ってくれ。丁重に。わたしは、恋文を読んでいる暇は、ない。……予算の査定で、それどころじゃないんだ」
「はい。……あの、ですが」マレナは、言いにくそうに続けた。「お断りするのは、簡単なのですが。問題は、貴族のご令嬢方、なのです」
「令嬢?」
「はい。リョウ様が、殿方に人気なのを、よく思わない方々が。……リョウ様のことを、『よそ者のくせに、色目を使って王宮に取り入った』と、陰で」
俺は、ため息をついた。
これだ。これが、一番、厄介なやつだ。俺は、色目など、使った覚えはない。ただ、仕事をしているだけだ。だが、モテるという現象は、それ自体が、嫉妬を生む。そして、嫉妬は、派閥を生み、派閥は、政争の火種になる。役所でも、そうだった。実力で評価された若手が、それだけで、古株に妬まれ、足を引っ張られる。あれと、同じ構造だ。
しかも、まずいことに、その嫉妬の中心にいる令嬢が――ヴァルガス侯爵の、娘だった。
俺が、これから叩き潰そうとしている、本丸の。娘が、私怨で、俺を憎み始めている。改革の敵に、個人的な恨みという燃料を、俺は、意図せず、くべてしまった。
「……面倒なことに、なったな」
俺は、こめかみを押さえた。財政の立て直しだけでも、胃が痛いのに。恋愛沙汰という、俺が人生で最も縁のなかった厄介事まで、政務に絡んでくる。
女に、なるということは。ただ身体が変わるだけでは、なかった。この世界の、「女を巡る力学」の、渦中に、否応なく、放り込まれるということだった。




