毒杯
最初の攻撃は、剣ではなく、毒だった。
幽霊兵の粛清から数日後、王宮で開かれた晩餐の席。俺は、王の特別顧問として、末席に連なっていた。慣れないドレスは、身体を締めつけ、視線を集めた。俺は、それを、無視することに、していた。
運ばれてきた葡萄酒の杯を、口に運ぼうとした、その時。
「リョウ殿、待たれよ」
鋭い声とともに、俺の手首を、誰かが掴んだ。ガレスだった。彼は、俺の杯を取り上げ、匂いを嗅ぎ、顔をこわばらせた。
「……毒だ」低い声で、彼は言った。「杯の縁に、塗ってある。無味無臭の、遅効性の毒。飲んでいれば、あんたは、今夜のうちに、死んでいた」
晩餐の席が、凍りついた。
誰が、と問うまでもなかった。徴税利権を握る大貴族――ヴァルガス侯爵の一派。俺が、次に手をつけるであろう相手。彼らは、俺が本丸に迫る前に、芽のうちに、摘もうとしたのだ。
俺は、掴まれた手首を、そっと引いた。心臓が、速く打っていた。死は、怖い。当たり前だ。だが、俺は、それを、顔には出さなかった。ここで怯えを見せれば、敵の思う壺だ。
「……ご丁寧なことだ」俺は、静かに言った。「わたしを、殺すだけの理由が、向こうにはある。つまり、わたしのやっていることは、正しい。彼らの、痛いところを、突いている。……その証明を、どうも」
俺は、青ざめた国王を見て、続けた。
「陛下。これで、はっきりしました。ヴァルガス侯爵一派は、王家の顧問を、白昼堂々、毒殺しようとした。これは、陛下への、反逆と同じです。……彼らを、追い詰める、大義名分が、できました」
国王の目に、恐怖と、そして、静かな怒りが、宿った。
その夜、俺を自室まで送る道すがら、ガレスが、押し殺した声で言った。
「……リョウ殿。俺は、もう少しで、あんたを、失うところだった」
「あなたが、気づいてくれたおかげで、助かりました。礼を言います」
「そういう、ことじゃ、ない」
ガレスは、足を止めた。俺も、立ち止まる。廊下の松明が、彼の、思い詰めた顔を、照らしていた。
「あんたは、いつも、そうだ。命を狙われても、毒を盛られても、まるで、他人事のように、数字の話を続ける。……俺は、あんたのその強さに、敬服している。だが、同時に――怖いんだ。いつか、俺が守りきれずに、あんたが、いなくなるんじゃないかと」
俺は、彼の言葉に、少し、戸惑った。護衛の騎士が、守る対象を案じるのは、当然だ。だが、ガレスの声には、それ以上の、何か、切実なものが、こもっていた。
「……ガレス殿」俺は、慎重に言った。「わたしは、簡単には、死にません。やるべきことが、まだ、山ほどある。それを、やり遂げるまでは。……だから、そんな顔を、しないでください」
ガレスは、俺を、じっと見た。何か言いかけて、飲み込み、そして、ぶっきらぼうに、目を逸らした。
「……ならば、良い」
俺は、その夜、自室に戻ってから、ようやく、違和感に気づいた。ガレスの、あの目。国王の、あの、光を灯した目。それらが、俺の知っている「仕事の相手の目」とは、どこか、違うことに。
だが、俺は、その違和感を、頭の隅に、押しやった。今は、それどころではない。ヴァルガス侯爵という、本丸が、牙を剥いた。この戦いに、勝たなければ、俺も、この国も、終わる。
恋愛だの、色恋だの。そんなものは、四十八年の人生で、俺には、縁のなかったものだ。この身体になった今も、その感覚は、抜け落ちたまま。だから、俺は、気づけなかった。自分が、無自覚のうちに、この国で、最も危険な二人の男の心を、掴み始めていることに。
厄介事は、財政だけでは、なかったのだ。




