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第7話 地獄の沙汰も金次第


 よく晴れた朝のことだった。

 仕事へ向かう人々が行き交う中で、一人の女性が突然倒れた。背中の中頃まで伸ばしたダークブラウンの髪が石畳に広がる。


「おい! 大丈夫か?」


 近くにいた初老の男性が駆け寄った。

 女性に息はある。しかし、呼びかけには応えない。


 直感的に危険な状態だと悟った男性は周りの人に呼び掛けた。


「そこの兄さん! 医者を呼んできてくれ! お嬢さんはこの人を運ぶの手伝ってくれ!」

「わ、わかった!」

「はい!」


 若い青年は町医者の元へ駆けだし、グレーのスーツを着ていた女性は慌てて駆け寄る。

 倒れた女性を日陰へと移動させて医者を待った。


 しかし、女性が再び目を覚ますことはなかった。


 女性の夫は後悔した。

 なぜ、仕事を辞めるようもっと強く言わなかったのか。


 妻は朝出勤し、日付をまたいでからしか帰宅しなかった。

 ここ数か月の間に休日はなかった。

 寝不足で体調が悪く、食欲が落ちていたことも知っていた。


 休んだらどうだと勧めたが、夫が仕事に出た後に出勤していた。


 責任感の強い妻だった。自分が休めば周囲に迷惑がかかると思ったのだろう。


 職場へ休ませてもらえるよう直談判に行ったこともある。

 しかし、門前払いで相手にしてもらえなかった。


 夫は妻の墓前で、ただ後悔の念を抱くことしかできなかった。


 そして妻を死に追い込んだラインフォード商会に怒りを募らせた。


 誰にも言えない怒りと悲しみを訴えられるのは女神様だけだ。

 夫は破棄された町の外の教会へ行く。


 人気《ひとけ》のない教会に女神像が静かに立っていた。


 夫は女神像の前に数枚の硬貨を置き、膝をつく。


「女神様。妻を死に追いやった奴らに、天罰をお与えください。このままでは、犠牲者が増えてしまいます」


 夫は涙ながらに祈った。


「お願いします……」


 小さなつぶやきが、静寂の中に大きく響いた。 


  ☆


 客が引いて静かだった喫茶店キャットテイルに来客があった。クリフが声をかけるより早く、来店客の陽気な声が飛んだ。


「ぃよう! クリフ、うちに来いよ」

「嫌です」


 間髪入れずクリフは拒絶する。第一声の勧誘はもはや枕詞だ。


 陽気なこの男。名はファビオ。

 クリフの藍色の髪とは正反対の真っ赤な髪を携え、ノーネクタイでスーツを着崩した格好でカウンター席に座る。


 この町の三大勢力の一つ、クリスタルローズのボスである。

 クリスタルローズは宝飾品や貴金属品の流通を牛耳っている。表向きは貴族向けの宝飾品の取り扱いをしているが、裏では遺跡からの盗品等も扱っていた。


 店の前では、黒いスーツを着た警護の男二人が立っている。


「お前がいれば貴族のマダムたちは二つ返事で買ってくれるんだけどなあ」


 ファビオはお決まりのセリフを口にする。


「そんなの俺が若い間だけでしょ? そっちに足を踏み入れるつもりはないです」


 ツンッと澄ましてクリフは言い返した。こちらもお決まりの返し文句だ。


 そんな二人のやり取りを気にする素振りもなく、ジリアンは注文を聞く。


「いつものでいいのかい?」

「はーい、お願いします」


 ファビオは愛想よく答えた。

 ジリアンはコーヒー豆をゴリゴリと挽き始める。


 ファビオはカウンターに頬杖をつき、クリフを見上げた。


「そういや、聞いたか? ラインフォード商会でついに過労死が出たってよ」


 クリフは顔をしかめた。元々いい噂は聞かない商会だ。ついに出たか、と思う内容だった。


「いつか出るとは思ってたけど……」

「人手不足で酷い労働時間だったらしいぜ。ゴットリーニ子爵の子飼いだからほっといたけど、こりゃ子爵家にも影響が出そうだ」


 ファビオはため息をつく。

 明らかに無理のある経営になってきた商会と深いつながりのある貴族との取引は、見直す必要がある。


「憲兵隊が動く気配は?」

「ないない。ただの病死だってよ」


 クリフの問いにファビオは首を横に振る。


 確かに病死かもしれない。しかし、その原因を作ったのはラインフォード商会だ。

 ただし、労働者を守る法律は、この国に存在しない。


「お貴族様は俺たち下々のことなんて考えてないからな。魔力で結界を張って"守ってやっている"って感覚は相変わらずだ」


 貴族と取引のあるファビオには貴族の考え方が身に染みていた。


 この国では貴族の血筋に魔力を持った者が生まれる。その魔力で国を覆う結界を維持し、狂暴な魔物から国を守っていた。


 国を魔物から守ってやっている。

 平民は貴族のためにあるべき存在。


 そんな考えが貴族には浸透していた。


 カランとドアのベルが鳴った。

 外に屈強な男たちが立っているのに入って来られる者は少ない。


「やっぱりいた。ファビオさん久しぶり!」


 にこやかに片手を挙げるのはイアンだった。ファビオも目を見開いて片手を挙げる。


「久しぶりだな。相変わらず元気そうで良かった」

「おかげさまで」


 イアンが人懐っこい笑顔で返す。彼は当然のようにファビオの隣の席に腰を掛けた。


 ジリアンはカウンターの向こう側でお湯を注ぎながらイアンを見る。

 コーヒーの香りが店に漂い始めた。


「面倒だから、アンタも同じのでいいだろ?」

「へーい」


 イアンは軽い調子で返事をした。この店の中でジリアンに逆らってはいけない。

 カウンターに腕を置き、イアンはクリフとファビオを見比べる。


「んで、何の話してたの?」


 イアンはくりっと茶色の瞳を輝かせるが、その奥には情報屋の視線があった。


 相変わらずな彼にファビオは小さく笑う。


「ラインフォード商会がヤバいって話だよ」

「あー、それな。近々暴動が起きそうだぜ。巻き込まれないよう気をつけてくれよ」


 イアンは頷いて情報を提供した。

 クリフの顔がしかめられる。


「暴動? 穏やかじゃないな」

「もう職員も家族も我慢の限界っぽい。処遇改善の抗議で済むとは思えねーな」


 ため息交じりにイアンが答える。


 処遇改善の抗議をしたところで、ラインフォード商会がまともに取り合ってくれるか怪しい。

 そうなると、精神的にも肉体的にも追い詰められた人間は何をするかわからない。


 ジリアンはコーヒーをカップに注いだ。

 淹れられたコーヒーがファビオとイアンの前に置かれる。


「人をうまく使わないからこうなるんだよ」


 コーヒーカップを手に取りながら、ファビオは鼻で笑った。


 それを聞いたクリフはジリアンに視線を向ける。


「だってさ、マスター」

「これ以上ないほどの好待遇で雇ってるだろ。感謝しな」


 ジリアンはフンと鼻を鳴らして胸を張る。反対にクリフは肩をすくめる。

 二人のやり取りに、ファビオもイアンも大笑いした。



 和やかな喫茶店キャットテイルとは裏腹に、イアンの危惧していたことが起こってしまった。


 ラインフォード商会の本店の前に大勢の人が集まっていた。

 一階は販売フロア、二階は事務室や応接室、三階は会長室になった三階建ての大きな建屋だ。


「労働環境を変えろ!」

「長時間労働をやめろ!」


 人々は口々に訴える。

 本店のドアや窓は施錠され、誰も出てくる気配がない。


 次第に処遇改善の抗議から暴動へと変わった。

 商会の中に次々と石が投げ込まれる。ガラスが割れる音が響いた。


 入り口のドアをこじ開けようと何人も体当たりする。鍵が軋み、木製のドアが揺れる。


「会長を出せ!」

「息子を返して!」


 中には悲痛な叫びもあった。長時間労働の末、過労死した者は一人や二人ではない。


 無理やりこじ開けたドアから人々はなだれ込んだ。


「ケビン会長を探せ!」


 次々にドアが開けられ会長の姿を探す。

 しかし、会長どころか誰の姿もすでになかった。ラインフォード商会は、もぬけの殻だった。


 怒りの矛先を失った人々は商会を燃やそうとまでしたが、駆けつけた憲兵隊によって阻止された。


 商会の建物が荒れている以外は、元の静けさが戻る。


 様子を見守っていた人たちは一様に安堵の息をついた。あまりの抗議の激しさに周りへ飛び火するのではないかとひやひやしていた。


 その頃、会長のケビンは走っていた。人目を避け、裏通りの細い道を選んでいる。

 ブラウンの髪を振り乱し、時折周囲を気にする素振りを見せた。

 誰も見ていないとわかると少しだけホッとした顔をする。


 行き先は貴族街。ゴットリーニ子爵に助けを求めんとしている。


 細い路地の交差点から人が現れた。

 ケビンは慌てて減速する。怯える瞳で現れた人物を見た。


 黒いレザージャケットに藍色の髪。クリフだ。

 クリフは無言でケビンに銃口を突きつける。


 ケビンは小さな悲鳴を上げた。腰を抜かし、石畳に倒れ込む。


「か、金ならある! いくら欲しいんだ!?」


 ケビンは叫んだ。この期に及んでまだ金で解決できると思っているらしい。


「あの世への船賃にするんだな」


 クリフの声は凍えるような温度だった。指先が引き金を引く。

 引きつったケビンの眉間に赤い円が刻まれた。


 数秒後、バタリとケビンの身体が力なく崩れ落ちた。


 クリフは魔力が少ないため、銃声が出るほどの威力を出せない。これが天然のサイレンサーとなっていた。

 しかし、鍛え上げた射撃の精度のおかげで人の急所を正確に射抜ける。


 人の急所は嫌というほど養父に叩きこまれていた。

 どこにどれだけ撃ち込めば死に至るか。どこにどんな角度でナイフを刺せば致命傷になるか。

 正確無比に身体が動くまで訓練した。


 全てはこの無法地帯のような町で生き抜くためだ。


 動かなくなったケビンを一瞥し、クリフは身を翻した。

 不意に人の気配を感じた。反射的に銃を向ける。目撃者を残すわけにはいかない。


「待て待て、俺だ」


 両手を上げた男がそこにいた。

 背丈はクリフより高く、肩幅も広いがっしりとした体格の男だ。頬には大きな傷があり、刈り上げた黒髪も強面を強調している。


 クリフは彼を知っている。銃をレザージャケットの下のホルスターに戻した。


「トーマスさん。どうしたんですか?」

「ボスがお呼びだ」


 不思議そうにするクリフに、トーマスは短く答えた。


 クリフは嫌そうな表情を隠せなかった。


 呼び出しの相手はクリフが知る限り『この世で一番おっかない女』。

 ガーネットルージュのボス、ブリジットである。


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