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第6話 夜の蝶は火に燃ゆる


 兄は膝から崩れ落ちた。

 見上げる先には弟が宙に浮いている。小屋の梁から垂れたロープが首で結ばれていた。

 足元にはイスが転がされている。


 姿が見えないと思い、探していた弟は小屋で首をくくっていた。


 事件性はなく、遺書も見つかったことから自殺だと結論付けられた。


『彼女にとって俺はただの財布だった。

 もう生きていく気力がない。

 兄さん、ごめんなさい』


 メモ帳にしたためられた短い遺書だった。しかし、間違いなく弟の字だった。

 兄が見間違えるわけがない。


「だから、やめろと言ったのに……」


 遺書を読んだ兄は頭を抱えて涙した。


 生前、弟は一人の女性に入れ込んでいた。結婚を前提にお付き合いをしている女性ではない。

 所謂『夜の蝶』と呼ばれる女性だ。

 商売道具でもある甘い言葉を鵜吞みにし、高価な贈り物を何度もしていた。


 兄は弟に、楽しくお酒を飲ませる仕事の女性なのだから、入れ込むのはやめろと何度も注意した。


 それに弟は珍しく反発した。

 今まで兄の言うことは比較的素直に聞いてきた弟だったが、このことに関しては聞く耳を持たなかった。


 その結果がこれだ。


 女性に文句を言ったところで、何もならないだろう。弟が勝手にしたことだと言われてしまえばそれまでだ。

 それでも、弟の心を弄《もてあそ》んだその女性が許せない。


 だが、兄は身体が丈夫ではなく、小さな商会の事務を担当している。

 自分で何かをできる力はなかった。


 兄は噂で聞いた願いを叶えてくれる女神像を探した。


 女性に死んでくれとは思わない。ただ、相応の罰を与えてもらえればそれでいい。

 甘美な言葉を吐き、男の心を弄び、金をむしり取る。

 彼女の行為は仕事を逸脱した規模だ。疑似恋愛を通り越している。


 町の外にある、古ぼけた教会に足を踏み入れた。

 ほとんど手入れがされていない壁の隅には蜘蛛の巣が張ってあった。それも黒ずんでしまっている。


 奥に佇む女神像がステンドグラスの光に照らされている。そこだけが、美しさを保っているかのようだった。


 兄はお布施にと持ってきていた一万ケイズ札を女神像の下に置いた。

 胸元に手を当て、首《こうべ》を垂れる。


「どうか、弟と同じ目に遭う人がいなくなりますように。あの女に、罰をお与えください」


 何も語らぬ女神像に祈りを捧げ、兄は教会を後にした。


  ☆


 歓楽街にある一軒のスナック。開店準備中の店内では嬢《じょう》たちがメイクをしている。


 そのうちの一人、ピンクの髪の毛をお団子に結い上げた女性がため息をついた。鏡を見ながらリップの乗りを確認する。


「あーあ、金づるがまた一人いなくなっちゃったな~」


 リップのふたを閉めながら嘆きの声を上げる。


 隣に座っていた明るい茶髪の嬢《じょう》はギョッとした。まるで何か無くしものをしたような軽い口調だったのだ。


「あんた……何人目? そんなんじゃホントに恨み買うよ?」


 引きつった顔で明るい茶髪の嬢が注意する。

 ただでさえ勘違いされて恨みを買うこともある職業だ。自分から恨まれるようなことを進んでやる彼女が信じられない。


 そんな心配をよそに、ピンクの髪の嬢は鏡の自分と向き合っている。


「へーきへーき。死人に口なし! 勝手に貢いだのはあっちだもん」


 明るい声と物騒な言葉が重なった。唖然とする周囲に彼女は気付いていない。


 それ以上、茶髪の嬢は何も言わなかった。彼女に何を言っても、意味がないと悟ったのだ。


 優しい言葉で男を引き寄せ、息をするように嘘を吐き、同情を誘って縛り付ける。

 ピンクの髪の嬢のやり口に多くの男が落ちていった。


 他の嬢もプレゼントを貰うことはある。それは誕生日などの特別な日だ。


 だが、彼女の場合は違う。貰う頻度と物が別格だった。

 毎週のように誰かからアクセサリーを受け取り、しばらく身に付けたら金に換えてしまう。

 無くしたと泣けば、また買ってくれることを彼女は学習してしまった。


 先輩の嬢が注意しても聞く耳を持たず、


「自分がプレゼント貰えないからって、文句言うのやめてくれます?」


 と返す始末。


 店長も心配して注意したが、彼女はもう誰の言うことも聞けないところまで来ていた。



「――ってな話でね」


 シスター・マーガレットはクリフに事の次第を説明した。

 テーブルに肘をついて手のひらに顎を乗せるシスター・マーガレットは何とも言えない虚無な表情をしている。


 クリフの顔も呆れを通り越して"無"になっていた。金色の瞳が、目の前にいるシスター・マーガレットですら映していない。

 この町には男女問わず、ろくでなしが多すぎる。


 テーブルを挟んで座る二人の間を、数秒の沈黙が駆け抜ける。


「それ、俺が手を出す必要、ある?」


 女に手をかけること自体には抵抗などない。が、今回の案件は何故か殺《や》る気がでない。


 よくある男女のいざこざの典型的なパターンとも言える。

 弟を亡くした兄は気の毒だと思うが、弟の自業自得な部分も拭い去れない。


 シスター・マーガレットは大きなため息をつく。


「ただ、そのピンク頭ってのがなかなか厄介でさ。他にもたーんまりそういう男抱えてんの」

「それこそ、俺の出る幕なくないか?」


 面倒くさそうな顔をしながら、クリフは出されていた紅茶を口元に運んだ。今日の紅茶は爽やかな柑橘系の香りがする。


「弟と同じ人を増やしたくない。これが依頼人の願いだよ」


 シスター・マーガレットがペシッと一万ケイズ札をテーブルに置いた。

 クリフはそのお札を見つめる。いつも置かれるお札よりも、しわが少ない。恨みの強さは感じられなかった。


「お人好しな依頼人も、いるんだな」


 クリフはそう言って、お札を手に取った。


「ま、この町で人の恨みを買うとどうなるか、わからせてやるさ」

「頼んだよ」


 シスター・マーガレットが不敵に笑う。

 表向きは普通の町でも、その下では弱肉強食の理が蠢《うごめ》いている。その流れに、ピンク頭の嬢は乗ってしまった。


 他人から金品を搾取できるところまで搾り取る。その報いがなんなのか。

 彼女はそれを知ることになる。



 ネオンが彩る歓楽街。日が落ちれば多くの人が行き交う。


 その細い路地に、クリフは身を潜めていた。ターゲットの女が働いているスナックが見える位置だ。

 窓の外からでもわかる、ピンクの髪。彼女がそうだろう。店の中で同じ色の髪はいない。


 ニコニコと笑顔で接客し、お酌をしている。


 一人の客が彼女に長方形の小箱を差し出した。ピンク髪の彼女は両手を口元に手を当てて嬉しそうに笑う。

 受け取った小箱の中身はネックレスだった。早速、今つけているネックレスと新しいものを交換する。


 その様子を見ていた客の顔はデレデレと溶けていた。


「似合う?」

「うん、とっても」


 そんな会話が聞こえてきそうだ。


 その様子を見守ること数時間。

 店が終わるのは日付が変わる頃だった。


 嬢たちは名残惜しそうな客たちを見送る。店の中では黒服たちが後片付けをしていた。


 嬢たちが店に戻ろうとした時、一人の男が走って来た。

 足音に気付いた黒髪の嬢が立ち止まる。退けと言わんばかりに、彼女は男から乱暴に突き飛ばされた。


「きゃあ!」


 黒髪の嬢は思わず悲鳴を上げて転倒する。その声に気付いて全員が足を止めた。


 走って来た男は逆手に握っていたナイフを振り上げ、ピンク髪の嬢に振り下ろした。

 避けることなどできるわけもない。


 ナイフはピンク髪の嬢の首元に深く食い込んだ。彼女に声を上げる猶予はなかった。ただ驚きで目を見開く。


 周囲は何が起こったのかわからず、ただ呆然としている。


「俺の金を返せぇっ!!」


 その間に、男は二回、三回と何度もピンク髪の嬢の身体をナイフで滅多刺しにした。

 血が飛び散り、ピンク髪の嬢のドレスが赤く染まっていく。


「っきゃああああぁぁ!!」


 真夜中の繁華街に女性たちの悲鳴が響いた。

 彼女たちはようやく事態を把握した。恐ろしくて男を止めることなど出来ない。


 町を歩くほろ酔いの男たちですら、何が起こっているのか理解できていないようだった。


 悲鳴を聞きつけて店から出てきた黒服の男たちが、三人がかりでナイフを持った男を取り押さえる。


 クリフはそこまで見届けて、黒いレザージャケットを翻した。思っていた通り、彼が手を出すまでのことではなかった。

 音を立てずに夜の暗闇へと去って行く。


 自業自得。因果応報。

 様々な言葉はあるが、まさにその通りだった。



 翌日、クリフはオレンジ屋根の教会に来ていた。

 シスター・マーガレットの姿はなく、シスター・アイリスだけが出迎えてくれた。


 クリフは受け取っていた一万ケイズをシスター・アイリスに差し出す。

 シスター・アイリスは訝しげにそれに目を落とした。金を渡すことはあっても、金を貰うことなど滅多にない。


「なんだい?」

「お布施。俺の出る幕はなかったわ」


 シスター・アイリスは黙って紙幣を受け取り、懐にしまう。

 お金の行き先に、クリフは目を丸くする。


「おいおい、ちゃんと教会のことに使ってくれよ?」


 シスター・アイリスのポケットマネーにしてほしくて返したわけではない。


「ちゃんと使うよ。失礼な子だね」


 シスター・アイリスのしわがれた声は、少しだけムッとしていた。


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