第12話 秘める怒りを燃やして
シスター・マーガレットと酒を飲み交わしてから数日後、クリフは少し気になってイアンの雑貨屋の前を通った。
しかし、店はクローズの看板を下げたまま静かだった。閉ざされたカーテンの向こうにイアンがいる気配もない。
「あれー? 今日も休みだ」
遊びに来たのであろう子供たちが雑貨屋の入り口の前で立ち止まる。
「おじちゃんどうしたんだろうね? 具合でも悪いのかなぁ」
ツインテールの女の子が心配そうに雑貨屋を見上げた。
(イアンでも"おじちゃん"か……)
イアンは実年齢に比べて童顔で、人懐っこい笑顔を浮かべる。それは大人に対しても子供に対しても変わらない。
そんな彼でも、ちびっ子たちにしてみれば"おじちゃん"なのだ。
ちなみに彼はまだ二十代である。
クリフは自分もいつまで"お兄ちゃん"が通じるのか、少し不安になった。無垢な子供たちからの"おじちゃん"はなかなか鋭い言葉の刃だ。
子供たちは別の場所へ遊びに行こうと駆けていった。
イアンの店がある北区と東区の境目付近は、クリスタルローズの縄張りなので比較的治安がいい。
昼間に子供たちだけで遊びに出かけても、親はそれほど心配しない。
ただ、暗くなったら話は別だ。その前に帰るよう、子供たちも心掛けている。
子供たちを見送り、クリフは喫茶店に戻った。
「おう、クリフ。おかえり」
「おかえり」
クリフを出迎えたのはイアンとマスターのジリアンだった。キョトンとしてイアンを見やる。いつも通りの人懐っこい笑顔だ。
今日は珍しく深緑のジャケットを羽織っている。
彼が何かを言うより早く、イアンが口を開いた。
「なあ、ちょっと"釣り"に行こうぜ」
クリフは何か話があるのだと察した。"釣り"とは誰にも聞かれないよう、河原で話すことを指している。
しかし、今は喫茶店での勤務時間だ。クリフはジリアンの様子をうかがう。
「けど、まだ店が……」
「いいよ。今日は暇そうだし。行っといで」
ジリアンは柔らかく微笑んだ。
彼女の許可を取り、二人は喫茶店を出ていった。
しばらく静かな時間が流れていた喫茶店キャットテイルの前に、一台の馬車が止まった。
下りてきたのは、真っ赤な髪をなびかせたファビオだ。カランとドアのベルが彼を迎え入れる。
「いらっしゃい」
「どうも。クリフはないのか?」
ファビオはキョロキョロと店内を見回す。
「クリフならイアンと"釣り"に行ったよ」
ジリアンの言葉を聞いたファビオは目を丸くした。それから安堵混じりのため息をつく。
「なんだよ、無事だったんじゃねーか。心配して損した」
ファビオはガリガリと頭をかいてカウンターの椅子に座った。ギシッと椅子が軋む。
ジリアンは苦笑いを浮かべながら、沸騰したポットを手に取る。
「大変だったらしいねぇ」
コーヒー豆にお湯が注がれた。ジワリと豆の色が濃くなる。
「ガードが堅かったんだろうよ。よく生きてたな、ホント」
ファビオは感心した声を出した。
ボディガードに託された手紙を見たときは、流石の彼も血の気が引いた。
調べるように情報を伝えたのは彼だ。イアンの仕事とはいえ、万が一の場合は責任を全く感じないと言えば嘘になる。
コーヒーの香りが漂った。
☆
ザァーと大きな水の流れと、手前の小さな石の段差をちょろちょろ流れる水の音が混ざり合う。
クリフとイアンは砂利の上に腰を下ろして川を眺めていた。
幼いクリフが養父に叱られ、町を飛び出してここまでやってきた。
追いかけてきてくれたイアンと話して町に戻って以来、ここは二人の語りの場だった。
ただ、ここに来たのは、もういつぶりになるか。
クリフはイアンの様子をうかがった。静かに川を眺めている。表情は穏やかだった。
「なあ、ケガしてるんじゃないのか? 大丈夫か?」
イアンの歩き方からケガをしていることはすぐにわかった。それも軽いケガではない。
心配そうなクリフにイアンはヘラリと笑った。
「ちょっと下手こいてな。まあ、大丈夫だ」
何を調べてそんなことになったのか。
クリフは聞こうとしたが、やめた。情報屋の仕事だ。首を突っ込んではいけない。
イアンはフーッと長い息をついた。
「ドルガーのとっつぁんを殺した奴がわかった」
クリフは固まり、目を見開いた。川の音が遠ざかっていく。
胸の奥に閉じ込めていたものが、ぞわりと動き出した。その動きを制するように、クリフは手を握りしめる。
イアンの言葉の続きを黙って待つ。
「指示を出したのはゼルフィード伯爵だ。とっつぁんが言ってた"国の機密を他国に売ろうとしている貴族"もそうだ」
クリフはギリッと歯を食いしばった。
ふざけるなと叫びたい。だが、暗殺者としての彼が待てと言う。情報は最後まできちんと聞け、と。
イアンは続けた。
「ゼルフィード伯爵は結界の機構を他国へ漏らし、国を滅ぼしてここを自領にしてもらうつもりでいる。たまたまそれを知ったとっつぁんが邪魔になったんだろ」
クリフは拳を砂利に叩きつけた。小石が飛ぶ。
「っざけんな……!」
抑えられた叫びが川の音に流された。
イアンの手がそっとクリフの肩に添えられる。
「あとはお前の"仕事"だ。頼んだぜ」
「……ああ」
クリフはザリッと河原の砂利を握った。
するりとイアンの手がクリフの肩から離れた。落ちるような感覚に、クリフはハッとして彼を見やる。
同時にイアンの身体が砂利の上に横たわった。
クリフは顔を引きつらせる。
「イアン!?」
握った砂利を投げ捨て、イアンに詰め寄る。
息はある。だが、浅い。
クリフはイアンが着ていたジャケットをめくった。脇腹がじわりと赤く染まっている。それを見たクリフの顔が強張った。
「なにが大丈夫だよ……!」
「お前に、全部伝えられて良かったよ」
「バカ言うな! 勝手に死ぬんじゃねーぞ!」
力なく笑うイアンに、クリフは怒鳴った。
イアンを抱え、町へと走る。なるべく大通りは避けて人目の少ない小道を通って喫茶店を目指す。
喫茶店の前にはファビオのボディガードたちが立っていた。
ぐったりしているイアンを見て、彼らは驚いた表情になる。両手が塞がっているクリフの代わりに、慌てて喫茶店のドアを開けた。
「マスター! 二階貸して!」
泣きそうな顔で店に飛び込んできたクリフに、ジリアンは目を見開いた。いつも落ち着いた言動を心がけている彼が、これほど取り乱すことは見たことがない。
カウンター席に座っていたファビオが勢いよく立ち上がった。イアンの容態を危険だと判断して指示を飛ばす。
「待て、俺の馬車に乗せろ!」
「ファビオさん……」
クリフは縋るようにファビオに目を向ける。ファビオはクリフを馬車へ促す。
イアンをファビオの馬車に乗せたクリフの肩をファビオはポンと叩いた。
「イアンのことは俺に任せろ。お前は、お前の"仕事"をしろ」
ファビオの厳しい視線に、クリフは溢れだしそうだった涙を拭う。落ち着かせるようにゆっくりと息を吐いた。
ファビオを見返すクリフの顔は"仕事"をする時のそれになっていた。
「はい」
力強い返事を聞いたファビオはぐりぐりとクリフの藍色の髪を撫でまわす。
それから、ジャケットの内ポケットに入れていたイアンからの手紙を差し出した。
「イアンからだ。万が一の時は、お前に渡してくれってな」
クリフは黙ってそれを受け取る。封筒には赤黒く、くすんだ血がついていた。
ファビオはそのまま馬車に乗って去って行く。
「あ! お会計!」
ジリアンがしまったと言わんばかりの顔で叫んだ。飲み逃げされてしまった。
「今度でいいじゃん……」
どうせ、また来るんだし、とクリフは肩を落とした。
お読みいただきありがとうございました。
ちびっ子からしたら、二十代だっておじさんおばさんなんですよね。




