第11話 深淵を覗く者は深淵に覗かれている
開店直後の喫茶店キャットテイルに一番客があった。
明るい声でシスター・マーガレットが現れたのだ。
「クリフ~、今日飲みに行こう!」
修道服を着て言うセリフではない。しかし、この店でそれを咎める者はいない。
「えー……」
名指しされたクリフは嫌そうに顔をしかめる。乗り気ではないようだ。
それを見たマスターのジリアンはフフッと笑った。
「たまにはいいじゃないか。行っておいでよ」
ジリアンがコーヒー豆をザザッと計りに乗せる。
それでもクリフの顔は冴えない。
「じゃー、夜の七時にいつもの店でねー」
シスター・マーガレットは答えを聞かずに手を振って出ていく。
クリフの意見はガン無視である。毎度のことながら、肩を落としてため息をついた。
約束の午後七時。クリフは黒いジャケットを着て、馴染みのバーの入り口をくぐった。
中ではすでに飲み始めている人が多かった。ゲラゲラと笑い声を上げる男の声や甲高い女の声も響いている。
クリフはシスター・マーガレットの姿を探す。こちらに背を向けてカウンターに座る亜麻色の長い髪を見つけた。
「マギー姐さん」
クリフが声をかけると、彼女が振り返った。オレンジ色の瞳がニコッと笑う。
「遅いぞー。レディとの待ち合わせは、十分前には来なさいよ」
「俺は時間に正確な男なもんで」
素っ気なくかわしながら、クリフは隣の席に腰を下ろした。
修道服を纏っていないシスター・マーガレットは「マギー姐さん」の愛称で呼んでいる。
ストレートの亜麻色の髪は背中を覆い、腰には護身用の銃を装備していた。何かあればこの銃口が火を噴く。
伊達に彼女もこの町の住民ではない。
クリフも注文をしてカウンターに頬杖をついた。
「んで、わざわざ何の用?」
シスター・マーガレットを見るクリフの視線は少しだけ険しかった。
教会でもなく、人のいない時間帯の喫茶店でもなく、騒がしいバーを指定した。
良い話ではない予感をひしひしと感じる。
「アンタさ、イアンが何調べてるか、知ってる?」
シスター・マーガレットがロックのウイスキーが入ったグラスを握りながら尋ねた。
どこか不安そうな声色に、クリフは眉をひそめる。
「いや、知らない。あいつの仕事に首を突っ込んだりしないさ」
イアンから調べている案件について聞くことは稀である。
情報屋なのだから、きっちり裏の取れた情報しか彼は開示しない。酒の席でも口を滑らせたことはなかった。
「そう……」
シスター・マーガレットはそう言って、グラスを口に運んだ。琥珀色の液体がごくりと彼女の喉に流し込まれる。カランとグラスの中で氷が踊った。
コトッとクリフの前にカクテルグラスが置かれた。水色が鮮やかなスカイダイビングだ。
それを見たシスター・マーガレットは呆れた顔をする。
「そんな女子みたいなの飲むの?」
「いいだろ、俺が飲みたいんだから」
ツンと澄ましてクリフはカクテルに口をつける。
すると、シスター・マーガレットはニシシと笑った。
「今日は"臨時収入"があったから奢ってあげる」
その言葉にクリフは目を見開いた。
何か言いたそうなクリフに、シスター・マーガレットは、しぃっと唇の前に人差し指を立てる。
「百万ケイズでファビオさんを殺してくれって言う奴が現れてね。その後、ずっと教会を見張ってたから」
シスター・マーガレットは唇の前に立てていた人差し指を銃に見立て、バンッと撃つジェスチャーをした。
女神像の噂を聞きつけ、その正体を暴こうとする人物がいる。
しかも羽振りがいい。平民の仕業ではない。
クリフは声を潜めた。
「バレてないだろうな」
「大丈夫。今頃、国の外か、川の底さ」
どうってこともないようにシスター・マーガレットは言ってのける。
彼女は細身に見えても、意外と力があるのだ。
「懐にもたんまり」
シスター・マーガレットはニヤッと笑って小さなバッグ財布を取り出した。彼女の物だが、中身は違うのだろう。今日の飲み代はそれらしい。
クリフは呆れた顔をする。殺されて金を奪われて、川に捨てられる。少しだけ亡くなった人に同情した。
「おいはぎ……」
「お布施はお布施だから、ちゃーんと教会のために使わないとね。だからこっちは"臨時収入"」
置かれた百万ケイズは教会のほうに行ったようだ。
シスター・マーガレットは財布をバッグにしまう。
それから、ふぅとため息をついた。
「イアンも、なんか変なことに首突っ込んでないといいんだけど」
クリフは黙ってカクテルを口に含んだ。いつもなら味や香りを堪能するところだが、今日は美味しく感じない。
「イアンのことだ。上手くやるって」
「まあ、こっちにまで飛び火するのは御免だよ」
シスター・マーガレットは、ぐびっとグラスの中身をあおった。
つながりを見つけられてしまったら、教会やクリフにまでたどり着かれてしまう。
裏の仕事に関しては、そうならないように細心の注意を払っていた。
その頃、イアンは暗い街を走っていた。等間隔に並ぶ街灯の下をいくつも駆け抜ける。
後ろからは複数人の足音がまだ聞こえてきた。
銃弾がかすった右腕がじんじんと痛む。斬られた左太ももに力を入れるたびにズキッと衝撃が走った。
イアンは舌打ちをしながら細い路地へと駆け込む。小柄な彼ならスイスイと走れた。
「くそ! ここ狭いぞ!」
後ろから苦々しい声が聞こえた。
イアンにはそんなものに構っている暇はない。
するりと路地を出たところで、黒いスーツに身を包んだ男に道を塞がれた。
イアンは顔を青くしてその男を見上げる。しかし、見覚えがあった。
「アンタ、ファビオさんの……」
ファビオのボディガードの一人だ。闇に溶け込む黒髪とサングラスで表情はわからないが、イアンの身を案じている様子だ。
「ああ、まずこっちに――」
「いや」
ボディガードの申し出に、イアンは首を横に振った。
「そっちに匿われたことがバレたら、ファビオさんにまで迷惑かけちまう。俺に万が一のことがあったら、これをクリフに渡してくれ」
イアンはそう言うと、服の下から一通の封筒をボディガードに押し付けた。腕から垂れた血が指先から封筒に擦りつく。
ボディガードは何か言いたそうだったが、封筒を受け取った。
それから黙って頷いてその場から去る。足音もなく暗い路地に消えていく。
イアンはその背中を見ながら、また走り出した。
追いつかれてたまるか。捕まるものか。
イアンは力の限り、足を動かす。
「あーもう、俺は肉体労働派じゃねーんだよ」
思わず口からこぼれたのは愚痴だった。
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