ロドス伯爵父子がやってきました‐2
「こっ……!?」
予想外の申し出に、エリーが驚愕の声を上げる。
「君の正体を明らかにすれば、どこからも反対は出ないはずだ。何せ君はジャクリーン・ブランシールの実の妹であり、本当にすごいのは君の方だったのだから」
「待ってください、いきなりそんなことを言われてもっ……」
「ああ、貴族の婚約者になるのは恐れ多い? そうしたら、愛人というのはどうかな? 君にとって悪い話ではないと思うよ」
「愛人!?」
「実を言うと、そちらの方が僕にとっても都合がいい。我が家は貴族である以上、家同士のつながりも重要だ。君も社交やパーティは気疲れしてしまうだろう? それは正妻に任せて、君には静かな場所で、好きなだけ魔力付与の仕事をしてもらう。いい考えだと思わないか?」
「な……」
「どれだけ働いてくれても構わないし、薬やポーションも用意する。何せ、仕事は山のようにあるんだ。ジャクリーンはパーティが好きだったけど、君はそういう感じでもなさそうだし、その方が気楽だろう?」
それはつまり、社交やパーティなどに出ている暇が惜しいので、その時間も含めて働けという事だ。
ついでに言うと、エリーを表舞台に出す気はなく、人に紹介する気もない。静かな場所といえば聞こえはいいが、実際は閉ざされた空間でたったひとり、ひたすら作業しろという事だろう。
おまけに、愛人という立場になれば、お給料さえ支払われない。
彼らの口ぶりから察するに、衣食住の面倒を見れば、それ以上は必要ないと考えているようだ。宝石やドレスは支給すると言っていたが、どこまで信用できるものか。
百歩譲って、本当に支給されるとしても、あの仕事量だ。冷静に考えて、とても釣り合っているとは思えない。おまけに、繰り返すが愛人。恋人ではない。愛人である。それで納得する女性がいたら顔が見たい。
どう考えてもひどい条件だったが、アランはおかしな事を言っているという自覚がないらしい。むしろ、本気でエリーのためだと信じているようだ。
(怖い。怖すぎる。なんなのこの人?)
身震いするエリーをよそに、ロドス伯爵も小さく頷いている。
息子を止めるどころか、その意見に賛成しているようだ。さすが父子。考える事まで似ているのか。……最低だ!
「いや、でも、ただの愛人だと、万が一の時に君を奪われる危険があるか……。やっぱり婚約者にしよう。それでいいね?」
(ね? って……)
夕食の献立を変更する気軽さで言わないでほしい。
そしてエリーの記憶が確かなら、彼はジャクリーンを妻にしようと思っていたはずだ。
そちらもサイラスが調べ上げてくれた。そしてエリー自身も、ジャクリーンの口から「貴族の妻になる」と聞いている。その相手は目の前にいるアランだろう。
姉から妹に婚約者を変更するだけでも問題なのに、婚約者からの愛人宣言、そしてふたたびの婚約者扱いだ。繰り返すが、最低だ。最低。最っ低。もはや笑いも出てこない。
「遠慮しなくていい。さっきも言ったように、身分に引け目を感じることはないよ。君は平民だけど、他の人間とは違う。特別な力を持った天才だ」
甘ったるい笑顔で言われたが、ちっとも嬉しくはなかった。むしろ、全身に寒気が走る。
今すぐ全力で逃げ出したい。毛布をかぶって、すべて忘れてしまいたい。
ああでも、さすがにそれは失礼だろうか。それなら一応挨拶だけして帰ってもらい……いや、愛人とかいう人達に気を遣わなくていいんじゃないか? いっそ追い返してもいい気がする。というか今すぐそうしたい。帰って。帰ってほしい、心から。
だが、そんなわけにはいかない。何せ相手は貴族である。おまけに伯爵。とてもじゃないが、平民のエリーでは太刀打ちできない。
それに、この分だと、今逃げても解決にはならないだろう。エリーを手に入れるまで、彼らは何度でもこの屋敷にやってきそうだ。
それだけは絶対に避けたくて、エリーは腹に力を込めた。
すー、はー、すー、と深呼吸し、まっすぐ相手の顔を見る。
「――お断りします」
「え?」
「もう仕事はできません。それに、あなたの婚約者にもなりません。申し訳ありませんが、帰ってください」
エリーにそんな事を言われるとは思わなかったのか、二人が面食らった顔になる。
ややあって、アランが小さく咳払いした。
「き……聞き間違いかな? もう一度言うよ、エリー・ブランシール。我が家のお抱え付与師になってもらいたい。そして、ゆくゆくは僕の婚約者になってほしい」
「嫌です」
「え!?」
今度の返事は耳に届いたようだった。彼らが唖然とした顔になる。
アランはぽかんと口を開け、ロドス伯爵も目を剥いている。断られるとは思ってもいなかったらしい。
声を上げたのはアランの方だった。
「な……なんで? ぜいたくな暮らしをさせてあげると言っているんだよ? 伯爵家の庇護下にあれば、どんな生活でもお望みのままだ。平民として暮らすより、よほど有意義なはずだろう?」
「私はもう、あんな無茶な仕事をするのは嫌だし、人を人とも思わない環境で働くのも嫌だし、できないのを見て見ぬふりして、無理やり働かせようと思う人たちのところで働くのも絶対に嫌です」
なんとか噛まずに言い切ると、彼らは信じられないものを見るような顔をしていた。
貼りつけた笑みが剥がれ落ち、ぽかんと口を開けている。その表情は先ほどの薄っぺらい笑みよりもよほど人間じみていたが、笑う気にはなれなかった。
やがて、アランがすっと真顔になる。
笑みの消えた顔のまま、彼は不愉快そうにエリーを見た。
そんな表情をすると、その顔立ちは思ったよりも冷ややかだった。氷のような視線を浴びて、エリーがびくりと身を縮める。
「君は頭が悪いのかな? 僕らが引き取ると言っているんだよ。答えはイエス。それ以外は認めない」
「嫌です。お断りします」
「できないと言っているんだ。今ならまだ、その不敬な態度も許してあげよう。正式な謝罪の上、仕事は今までの倍こなしてもらうけど、それで水に流そうじゃないか」
「流してくれなくて構いません。あなたたちと一緒には行きません」
「生意気な……」
アランが小さく舌打ちする。ロドス伯爵も不快な表情のまま、エリーに一歩近づいた。
「君が嫌だと言っても連れて帰る。平民のくせに、思い上がりもはなはだしい。貴族に逆らって、無事でいられるとでも思っているのか? 僕らが何か言えば、その時点で君は終わりだ」
「だとしても、言うことを聞くのは嫌です!」
「君の意見は聞いていない。逆らうなら、手足を鎖でつないで飼い殺してあげるよ。嫌ならムチか、食事抜きだ。愚かな平民の小娘には、そういう扱いがお似合いだろう」
来るんだ、とエリーの腕をつかもうとする。それを振り払い、エリーは一歩飛びのいた。
「嫌だって言いました! 行きません」
「嫌でも来てもらう。逃げられると思うな、エリー・ブランシール!」
大きな手が迫ってきて、エリーはぎゅっと目を閉じた。
その瞬間、左手に嵌まった指輪が光り、彼らの手を弾き飛ばす。
「……あ……」
指輪に込められた《守護》の力だ。
ほっと息を吐くと、彼らは弾かれた手を押さえて呆然としていた。
「その力は……」
「もう一度言います」
エリーはきっぱりと言い切った。
「あなたたちと一緒には行きません。絶対に嫌です。帰ってください!」
「な……この……っ」
「――よく言った、エリー」
部屋の扉が開いたのはその時だった。
「君は仕事だけやってくれればいいよ。僕は婚約者と楽しく過ごすから。……あっ、やっぱり他人に取られるのは嫌だから、君が婚約者でいいや。ただし、仕事はきちんとするように」
……ドクソ野郎だ……!!
*明後日の更新、遅めの時間になります。




