29. 六名一班
突然告げられた予想外の命令に、エリリアナは茶器を持ったまま固まった。
王都の守りの一つ、守護陣の修復を命じるとか言われた気がするが、気のせいに違いない。そう思いたいのに、彼女を様々な感情で見つめる十六の瞳がそれを許さなかった。
「……」
何か言わなければいけないのに何も出てこず、一秒毎に刺さるような視線と沈黙の圧力が増していく。
その間がさらに彼女を混乱させ、半ば恐慌状態に陥りかけた時、深みのある声が室内に響いた。
「――殿下、見習いである彼女にその任は重すぎるのでは?」
沈黙を破ったのは、カールハイツだった。指名された当の王太子は、意味ありげな微笑を浮かべたまま口を開く。
「それは、師としての意見か?」
「――……」
口を開いたものの即座に言葉を発しないカールハイツに向かってエーベルハルドは面白そうに目を細めると、顎の下で手を組み直し、ノルディに顔を向ける。
「リンクス、守護陣の修復方法を簡単に述べてみよ」
突然指名されたノルディは一瞬体を跳ねさせたものの、すぐに口を開いた。
「あくまで通常時の話ではありますが」
守護陣には外的干渉を防ぐ制御機能が付与されており、それが稼働したまま修正を行おうとすると、触れた者は一瞬で人間の身体が塵になるほどの魔力波を受ける。そのため守護陣の修復には、まず制御機能を無効化する別の陣で守護陣を囲む必要がある、というのがノルディの説明だった。
「その作業陣の作成には、通常であれば三か月程度の時間を要します」
ノルディの発した言葉に、既に知っていたと思われる魔術師達を除いた出席者の顔色が曇る。そんな中ひとり、エーベルハルドは微笑を絶やさぬままノルディに重ねて訊ねた。
「して、もし『魔力の及ばぬ人間』が居るならば、修復時間はどの程度短縮できる?」
ノルディはその問いを受けてしばし黙ったかと思うと、思いのほか力強い声音で推測を述べる。
「制御機能は万物の魔力に作用します。……もしもその人間が本当に制御機能の影響を受けないとするなら――二か月程」
ノルディの告げた二か月と言う言葉に、騎士三名が僅かに驚いたような顔を見せた。
「見込まれる修復期間は、一月程度になりますのう。それこそ、何時次の綻びが問題となるやもしれんこの状況では、何とも心強い」
フォフォとでも聞こえそうなゆったりとした口調で、リンドバーグ宮廷魔術師長は誰ともなしに呟いた。『次の綻び』という言葉に、誰もが表情を険しくする。小さいとは言え、綻びが既に数件報告されている中、いつ似たような事件が起きるとも知れないのだから、王都の治安を預かる者としては無視できない仮定だ。
そんな中、エーベルハルドが声を上げる。
「さて諸兄ら、先程の説明通り、エリリアナ・デオ・トゥルクは『その』魔法の効かぬ特異体質だ。修復担当としてこれ程最適な人間もいまい?」
エーベルハルドが見回せば、表立って反論する者はいない。カールハイツだけは僅かに眉を寄せてはいるものの、言葉にはしなかった。
「リンクス、守護陣の責任者として異論はあるか」
問われたノルディは一度考え込むように眉を寄せると、首を振る。
「早急に陣が直せるのであれば、雛の足とて使いましょう」
大分棘が含まれているノルディの言葉をそのまま流し、エーベルハルドはカールハイツに視線を向ける。
「カールハイツ、統括顧問として、師として、エリリアナはこの役に不適か」
カールハイツは静かに王太子の視線を数瞬受け止めた後、ゆっくりと目を閉じた。
「――いいえ。適切な指導の元であれば、彼女は充分に任を果たすでしょう」
師に言われて、エリリアナは目を見開いた。
守護陣は王都全体を魔物から守る結界。言い渡された命令は、明らかに素人の手には余る大任だ。まして、彼女は未だに自分一人で身を守る魔術陣すら描けない半人前。それでも、カールハイツは『彼女でも可能だ』と判断した。
何を考えていいのかも分からず口を開け放つエリリアナに、エーベルハルドが意地の悪い微笑みを向けた。
「エリリアナ」
「!? っはい」
突然呼ばれた自分の名に、エリリアナは姿勢を改めて正す。
「一度で十数名の被害が出た事件だ、解決は迅速であるべき。そして貴女は求められる要素を概ね持っている。――頼んでもよいな」
尋ねているようで決して尋ねていない口調に、逆らえるはずないと彼女は思う。それに、魔法の効かない彼女の体質で二月という時間が節約できるのなら、王都に住む者として逆らう理由もない。
(それに)
何よりも、カールハイツが『彼女にも出来る』と信頼してくれたのならば。
「――私如きがお役に立てるのでしたら」
彼女が答えれば、エーベルハイドは「よく出来た」とでも言わんばかりに笑みを深め、何故かカールハイツに向かって囁くように何かを告げた。
「……」
目を伏せ何の反応も示さないカールハイツを気にするでもなく、王太子はどことなく愉快そうな様子でエリリアナを追い出すように手を振った。
「エリリアナ、伝令室に向かって、エリック・デオ・ミレニカとレグナンド・ルノ・クリスベルを呼んで来い」
先日出会った若き侯爵と高等書記官の予期せぬ名前に目を瞬かせたエリリアナだったが、エーベルハルドは口を閉ざしたまま再度追い出すように手を振った。こうなっては家臣として説明を求めることも許されない。エリリアナは深く室内の全員に頭を下げると、静かに会議室を退室した。
* * *
とりあえず言われた通りに小走りで伝令室に向かい、目的の二人を呼び出してもらった帰り、エリリアナは状況を把握しようと頭を回転させていた。だが、手がかりが何も与えられなかった以上、分不相応な大任を任されたという事実以外分かるはずもない。
彼女は再度戻ってきた会議室の前で大きく深呼吸を繰り返し息を整えると、入室の合図を送ってから扉を開いた。
(あら?)
そこには、カールハイツとノルディ以外、誰もいなかった。
「お二人だけ、ですか?」
見知った二人に、思わずエリリアナから声が漏れる。
「情報共有と初動捜査の方針さえ決まれば、現時点じゃ充分だよ。……で、あいつらは?」
ご丁寧に彼女の質問に答えながらも、ノルディは不機嫌な様子を隠す気もなく彼女を睨み付けた。やはり素人が自分の担当分野に食い込んでくるのが気に食わなかったのだろうか。
「伝令役の方々によれば、お二方はすぐにこちらへ向かったとのことですが――」
ミレニカはともかく、クリスベル侯爵の居所に関してはエリリアナに思い当たる所などない。城に居ただけ僥倖といったところだから、移動に時間がかかっているのだろう。
「そ。……なら、その間に聞きたいんだけ――ですけど」
ノルディはそこで敬愛するカールハイツが同席していることを思い出したのだろう。咄嗟に語尾を修正して、エリリアナに突き刺さるような視線を飛ばす。
「君、一体どこまで使えんの?」
「どこまで……と言われましても……」
嘘をついても仕方がない。エリリアナは自分に出来る事をノルディに伝える。
大人しく聞いていたノルディだったが、最後まで聞き終わると隠す様子もなく大きなため息をつく。
「殆ど素人同然じゃないか。なんだってこん――」
そこまで言って、ノルディは慌てて口を噤む。彼女を擁護したのはカールハイツだ。ノルディは横目でカールハイツを窺った。それを受けてなのか、資料から目を離さないままカールハイツがゆっくりと口を開いた。
「――確かに彼女が一人で出来ることはそう多くはありませんが、エリリアナの転写は中々のものです。時間と環境さえあれば、役を果たす見込みは充分あります。数か月の時間を抑えられるのならば……彼女を使わない手は、ありません」
それだけ言うと、カールハイツは再度資料にのめり込むように口を閉ざした。
ノルディが納得いかないとばかりに顔を顰め、エリリアナを睨み付けてくる。これが彼女にとっても青天の霹靂であることをノルディだって知っているだろうに、彼女に一体どうしろというのか。エリリアナは逃避の精神で何かすることはないかと部屋を見回した。
「……とりあえず、これからいらっしゃるお二方の分の資料でも用意して参りますね」
「資料だったら――」
予備の筆記具を用意しようと扉に向かったエリリアナと、それに反応したノルディの声を打ち消すように、ドアをノックする音が三度響いた。
ミレニカとクリスベルの到着には早い気もしたが、運よく近くにでもいたのだろうと、エリリアナは扉を開けた。
「お、悪いな、エルルゥ嬢」
しかし、廊下にいたのは呼び出した二人ではなく騎士のエランディアであり、その腕にはエリリアナが取りに行こうとしていた筆記具と資料が抱えられている。どうやら彼女が伝令室に行っている間に、エランディアが資料を準備したらしい。エリリアナは「結構気が回る方なのね」と思わず失礼なことを考えてしまった。同時に、本来であれば自分の様な一般官吏の仕事なのにと申し訳なく思う。
「ありがとうございます、エランディア様。お手伝いいたします」
「ああ、助かる」
エランディアは彼女の考えなど気にもせずに大きく笑うと、小さな箱を差し出してきた。エリリアナは小箱を開けながら、コの字型に置かれた机へと足を向ける。
(ノルディ様が左手側、エランディア様が右手側……クリスベル侯とミレニカ様はどちらにお座りになるのか……)
一瞬迷ったエリリアナだったが、エランディアがさっさと先に資料を置き始めた為、大人しくそれに合わせることにした。ノルディの横に一席、エランディアの上座側に二席、小箱の中からインク壺とペンを取り出し資料の横に並べる。そのまま部屋の隅に置いておいたカートへ向かい、この場にいる三名分だけでも先に出しておこうと準備を始めた。
静かな室内に響かないよう、注意を払って茶を用意し、正面に坐するカールハイツから配っていく。再びカートの元に戻っても三人は資料に集中したままで、エリリアナは足元を見つめながら聞かれないように小さな息を吐いた。
(……魔物、か)
守護陣の下見に行ったときに襲ってきた魔物を思い浮かべ、エリリアナはきゅっと唇を噛みしめた。助けてもらったにもかかわらず、今でもあの時感じた恐怖に身が震える。あんなものが人の多い王都に現れたのかと思うと、自然と表情が暗くなる。
(それをどうにかするために、引き受けるって言ったんだから)
しっかりせねばと、身体の後ろで拳を握りしめる。あれだけ大見得を切ったのだから、カールハイツの顔に泥を塗るようなことは出来ないと、足元から視線を上げた。
タイミングよく、室内に再びノックの音が響く。
「レグナンド・ルノ・クリスベル、参上いたしました」
「エリック・デオ・ミレニカ、遅れまして申し訳ございません」
彼女が扉を開けたと同時に、まず若草色の髪を翻してクリスベルが入室し、それに続くようにミレニカが一礼してから現れた。二人が入るのを見届けてからエリリアナは扉を閉め、茶を入れる。二人は揃って、エランディアの座る右手席へと着いたようだ。
「エリリアナはそちらへ」
「はい」
ノルディの横をカールハイツに示され、エリリアナは一瞬迷いはしたものの大人しく軽く頭を下げて従った。席へ向かう途中、クリスベルとミレニカから隠す気もないらしい好奇の視線を感じたが、彼女は気にかけまいと資料の置かれた場所へと着席する。それを見届けてから、カールハイツが口を開いた。
「――クリスベル侯、ミレニカ、急な召喚にもかかわらず迅速に対応してくれたことに感謝を述べます。事情は聴いていますか」
カールハイツが二人に問えば、二人は真剣な面持ちで頷いた。
「ならば話が早い。此処にいる者は本来、魔術陣――守護陣強化案件に携わる関係者です。責任者として緑青の魔術師ノルディ・リンクス、事務担当書記官の代表としてエリック・デオ・ミレニカ、王都警備担当騎士の代表として第一騎兵隊隊長ユアール・ド・エランディア、ならびに守護陣の実験運用がされているクリスベル領の領主レグナンド・ルノ・クリスベル」
全員の肩書および担当箇所を述べると、カールハイツは一拍置いてからノルディの横に腰かけるエリリアナに視線をよこした。釣られるように、その場の全員が彼女に視線を集める。
「そして今回、修復の実行者と決まったエリリアナ・デオ・トゥルク」
正式名を呼ばれた変に緊張してしまったエリリアナにも、ミレニカが目を大きく見開く分かりやすい反応を示したことが見て取れた。クリスベルに関しては、微笑を崩さないままである為、本意は不明だ。
「以上の五名を筆頭として、今後守護陣の修復を実施します。本部として第十七会議室を指定し、隔日の進捗報告会議を午前に開くこととしましょう。ではリンクス、先を」
カールハイツがノルディに後を続けるよう促せば、彼はその場に立ち上がって杖を持ち上げ、何かを高速で呟き始めた。それが魔術だと気付いた時には、彼の杖先が鈍く光り、会議室の中間に光の二重円を作り出していた。彼が杖を振ると、二重円の周りにもう一つ円が現れる。
「今回の修復は二つの修復手段を並行して行う。第一案は従来通り守護陣の外側に制御機能を停止させる作業陣を作る方法、第二案は」
ノルディはエリリアナを一瞥した後、再度杖を振った。外側の一円が消え、二重円の数か所に赤い光が灯る。
「魔法の影響を受けないエリリアナ・トゥルクが、直接守護陣を修正する方法。このどちらに関しても、第一に綻びを見つけなければ何も進まない。僕は調査団の結成および指揮、エランディアはその警備計画、ミレニカには各種方面への手配を担当してもらう。クリスベルには……」
そこでノルディは眉間に皺を寄せながらクリスベルに目を向ける。それを受けて、クリスベルはより優雅に笑みを浮かべた。無意識の反応か、ノルディの眉間の皺が深まる。
「ひとまず……クリスベルとトゥルクには、僕と共に第二案の精査をしてもらう」
「リンクス殿」
嫌そうに声を絞り出したノルディに向け、微笑を浮かべたままのクリスベルが挙手して発言の許可を求める。
「何」
「『精査』とは、具体的に何を?」
クリスベルと共に指名されたエリリアナとしても気になった質問に対し、リンクスは一言だけ返した。
「人体実験」
明確にエリリアナを見下ろしながら。




