緑の王国
良司は塔子の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いていた。そのまま話を続ける。
「緑風会の権限って、今どきないくらいに大きいらしいんだ。予算や規則はもちろん、生徒の懲戒を決めることもできるって」
呟くように説明する良司の言葉を、塔子は静かに聞き入る。
「つまり、廃部や部活動停止なんて、緑風会には簡単なことなんだよ。そこまでいかなくても、小さな違反行為で減点が積み重なれば、予算を削られたりもするし……。強引な勧誘も、もちろん減点対象だよ。だから、巡回中の役員はおっかないんだ。強力なイエローカードを持っているからね」
「そうだったの……」
吉田たち三人の動揺ぶりを思い出す。
すごいところに来てしまったものだと、塔子は思った。いくら生徒に自治をゆだねているといっても、懲戒権限まであるとは、恐れ入る。大正当時からその校風が変わっていないとすれば、それだけ信頼のおける自治を、生徒たちが長年おこなってきたのだろう。
(つまり優秀な人達のあつまりってことよね……なんだか遠い世界の話だわ)
一生徒のはずだが、自分達のこととして、まるで考えられないと思う塔子だった。
「ごめんね。なんかつまんない長話聞かせて」
塔子の沈黙を、返答に困っていると取ったのか、良司が気遣う。気まずげな表情でこちらをうかがう良司に、慌てて首を振ってみせた。
「そんなことない。すごく、よくわかったわ。詳しいのね」
「うん。じつは兄貴もここ出身なんだ。もう卒業しているけど」
照れたように良司は笑う。
「あんまり楽しそうにこの学校のこと話すから。いろいろ聞いていたら、どうしても入りたくなって」
「そう。お兄さんのこと、好きなんだね」
兄弟仲がとても良いのだろう。兄に可愛がられている良司の姿が、目に浮かぶようだ。塔子は良司の持つ、屈託ない人柄のルーツが少し分かった気がした。
良司は素直に頷く。
「うん、自慢の兄貴だよ。何でもオールマイティにこなせるし。おれは、兄貴みたいに出来がよくないから、かなり必死で勉強したけど」
おどけて言った良司につられて、塔子も笑った。
寮に続く小道には、アカマツや樫の木の他に、桜が植えられていた。平野部では開花しているだろうが、山間部に位置するこの場所では、桜もまだつぼみを固く閉じている。
しかし春の日の光を柔らかくうけて、今この時にも花弁が綻びはじめるような、静かなきざしが感じられた。
塔子は目を細めて、頭上のつぼみを眺めた。
「今日のホームルームも、そんな感じで森を眺めてたね」
前を見ながら呟く良司に、塔子は少し驚いて向き直る。
「……見てたの?」
担任の話を聞き流し、昨夜を思い出していたときのことだろう。気まずさに、思わず声に批難がこもってしまう。
良司はちらりとこちらを見やった。
「だって気になるだろう。何を見てるのかと思ったんだ」
「そ、そうよね。……森に囲まれる生活に、まだあまり慣れなくて」
恥じ入って、塔子は呟く。
ああ、と良司は納得がいったように頷いた。
「うちの学校、徹底して森の中だもんな。さすが緑の王国というか」
二人はようやく、寮棟の辺りまで来ていた。そこから小道は二手に分かれる。それぞれ男子寮と女子寮に続く道だった。良司とはそこで別れることになるので、塔子は立ち止まる。
もう一度良司に礼を言おうと思ったが、ふと、先ほどの言葉が引っかかった。
「……緑の、王国? 緑の学園じゃなくて?」
「うん」
「そんな呼び名、はじめて聞いたわ」
塔子の反応に、良司はきょとんとして首を傾げた。良司も立ち止まっており、分かれ道の中心で、二人は向き合う形になる。
一陣の大きな風が吹き、良司と塔子の間をすり抜けた。同時に葉擦れの音が波のように打ち寄せ、森全体が騒ぎだす。
その音を聴きながら、塔子はなぜか胸騒ぎを覚えていた。
(なんで、こんなに不安な気持ちになるんだろう。)
言いようもない、悪い予感がした。その言葉に含まれる、避けることのできないだろう何かを感じる。しかし、ただ感じるだけで実体もなく、塔子にはどうすることもできない類のものだった。
複雑な塔子の思いとは裏腹に、良司はまったく平和な顔で、塔子を見つめて告げた。
「たしかにその呼び名は、兄貴以外の人から聞いたことはないかもしれない。でも兄貴はおれに話すとき、よく言ってたよ。ここは、この学校は――“緑の王国”だって」
風に煽られた枝葉の影が、塔子と良司の足元で、蠢くように揺れていた。




