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獅子の系譜【旧版】  作者: 谷下 希
第2章 獅子の娘
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スキャンダル


 入学式から一週間が経っていた。


 山あいに位置する松風館高校にも、ようやく遅い春が訪れようとしていた。林道の桜は開花が始まり、満開までもう少しといったところだ。咲き初めの花弁が、鈴を振るように淡く風に揺れ、目に楽しい。

 桜のほかにも、菜の花やレンゲ、白く小さな花を無数に咲かせるユキヤナギも見られるようになり、森全体が華やかに色付いてきた。

 風は徐々に暖かくなり、戸外にいる方が気持ち良いくらいである。しぜんと塔子らは、昼休憩の時間を、外で過ごすことが多くなっていた。


 今日もよく晴れたので、噴水広場のパラソル付きベンチに陣取り、のんびりとランチを取っている。塔子の隣には紗也加が、テーブルを挟んで向かいには、クラスメイトの高木真帆と杉野涼子が座り、皆で談笑にふけっていた。


(気持ちいいなあ)


 購買で買ったメロンパンをかじりながら、塔子は春の陽気に目を細めた。広場は塔子らと同じように、日の光を求めて来る生徒達で賑わっている。その足元の芝生には、点々とレンゲの花が咲き、風に揺れて愛らしい。


「で、本当のところはどうなの、塔子」


 真帆の言葉に、塔子は現実に引き戻された。ここ一週間の間で、何度聞いたかしれない言葉だけに、どうしても不機嫌が顔に出てしまう。

「だから本当も何も、言った通りよ。付き合ってない。誓ってもいいわ」

 げんなりしながら、塔子はすっかり口癖になった台詞を繰り返した。真帆は、マスカラを黒々と塗ったまつ毛を瞬かせる。


「あんなに仲が良いのに? 信じられないわよ」

 そうよ、と隣の涼子も同調する。

「二人で親密な空気作っちゃって」

 肩にかかる、緩く巻いた髪の房をくるくるともてあそびながら、涼子は口を尖らせた。


 クラスの中でも真帆と涼子はお洒落な女子で、毎日髪をセットし、注意されない程度のメイクをばっちりと決め登校している。塔子には、とても出来ないと思える芸当だ。二人はそんな風に外見に気を遣う分だけ、恋愛ごとにも目がなかった。

 隣にいる紗也加は、素知らぬ顔で、紙パックのフルーツオレを飲んでいる。噂が立ってからというもの、塔子のとばっちりで、紗也加も質問攻めに遭う被害者だった。こういう場は静観が一番と学習したらしく、無言を押し通している。


 そもそもさあ、と真帆は言った。

「入学式のあと、手繋いで広場でいちゃいちゃしてたんでしょ? それは付き合ってるって言わないの?」

「それ、ものすごい誤解があるよ……」

 あまりの脚色に、塔子は泣きたい気持ちで否定する。


 入学式以降、塔子と良司は公認カップルとして騒がれ、同級生の噂の的になっていた。

 入学式の部活勧誘での一件が、ことの発端だった。強引な勧誘に困っている塔子を良司が助けたところや、手を繋いで駆けていく姿、噴水広場で語らっている姿が、それぞれ複数の生徒に目撃されていたのだ。

 たしかに傍から見れば、恋人同士のように見えた状況かもしれなかった。入学式の翌日、クラスの女子から付き合っているのかと聞かれ、塔子は心底仰天したものである。そのときは懸命に否定したのに、数日後には、一学年中に知れ渡る公認の仲になってしまっていたのだ。

 なぜかといえば、当事者のはずの良司が噂を煽ったせいだった。


 女子から二人の関係について問い詰められ、彼は軽いノリで答えたのだ。

「うーん。残念ながら、付き合ってないんだよね。でもこの際だから、期待に応えようか?」

 ね、篠崎さん、と良司は塔子を振り返り、にっこりと笑ってのたまったのである。今までの火消しの苦労が水の泡となった瞬間だった。


 唖然とする塔子をよそに、良司の言葉を公開告白と取ったクラス中が湧き、噂は爆発的に広まってしまった。その後沢山の尾ひれが付き、先ほどの真帆の話に至る。


「あのときは助けてもらっただけ。いちゃいちゃしてないし、ほんとに、そんな関係じゃないんだよ……」


(穴があったら入りたい……)

 塔子は何度ついたか知れないため息を吐いた。


 小学校からずっと、クラスのなかでも目立たず、大人しい存在なのが塔子だった。静かで平穏な生活に、十分満足して過ごしてきたのだ。それが、入学早々に浮名を流すはめになるとは、いったい誰が予想できただろう。

 隣にいる紗也加をちらりと見やる。フルーツオレを飲みきったようで、いまは手持ち無沙汰に手遊びし、ベンチに背を預けている。仲の良い彼女でさえも、噂を聞いたときには“塔子って、意外とアグレッシブなのね”と評し、塔子は相当なショックを受けていた。

 誤解が誤解を呼んで、いまや塔子の内実と全く反対の風評に、心身ともにぼろぼろな気分だ。


「告白もされたのに?」

「前にも言ったじゃない。だから、あれは冗談だから」

 疑う真帆に、苦々しく返す。そこは確信を持って言えるところだった。塔子のめずらしく強気な態度に、真帆は不思議そうにまつ毛を瞬かせる。

「そうだとしても、何であんなに打ち解けてるの? 塔子って、ほかの男の子とは全然喋らないじゃない。だから親密そうに見えるのに」

 今度は涼子が切り返した。歯に衣着せぬ物言いに、ぐっと詰まってしまう。

「ぜ、全然ってことはないよ……」


「それ、あたしも聞きたい」

 紗也加が初めて口を挟んだ。丸い目で、塔子をのぞきこむように見つめてくる。

「ふしぎだったんだよね。塔子って大人しいし、異性の友人が多いタイプじゃないのに」

 そうそう、と意を得たとばかりに涼子と真帆が頷く。塔子は困って眉根を下げた。

「それは、そうなんだけど……」


 たしかに、紗也加の言葉は的を射ている。

 じつは塔子は今まで、異性の友人がいたことはなかった。特に男子だからと、構えたつもりはない。けれど相手も話しかけてこず、自ら交友を広げるつもりも全くなかったので、関わるきっかけがなかったのである。

 良司の場合は、その機会が向こうから転がり込んできたようなものだった。


 塔子は出会いを思い出しながら答えた。

「……なりゆき、かな。それと、坂本くんが優しいんだよ」

「なにそれ」

 涼子と真帆は腑に落ちない顔をしたが、紗也加は大きく頷く。

「そっか。そうだね、わかる気がする」

「どういうこと?」

「坂本くんが、誰とでも仲良くなれる人ってことだよ。特別なことじゃないの。わかるでしょ?」

 塔子は淡々と答えた。

 

 ひとえに良司が積極的であったから、友人となれた。それだけのことだと思う。そして、良司のその積極性は、クラスメイトなら誰しもよく分かっているはずだった。

 彼は様々な人に気軽に声をかけるので、入学して一週間で、クラスの中心的存在になっていたのだ。

「えー、つまんない」

「つまらなくていいから」

 涼子の不平に、塔子は頭の痛い思いで返す。しかしやっと誤解が解けて、嬉しくもあった。ほっとして、飲みかけのジュースに手を伸ばす。


「じゃあ、あたしにも希望あるかな、坂本くん」

 真帆は急にいきいきと身を乗り出した。今度は紗也加がため息をつく。もっとオリジナルな答えはないのか、と言いたくなるほど、誤解が解けたあとの女子の反応は、涼子と真帆の二種類のパターンに分かれていた。


「ライバル多いのね、彼って」

 うんざりとした様子の紗也加に、塔子は首を傾げる。

「紗也加も、カッコ良いって言っていたじゃない」

「噂を煽る愉快犯は好きじゃないわ」

 そう言って、ばっさりと切り捨てる。紗也加はミーハーだが、理想は高いようだった。


「あ、柊一(しゅういち)様だ!」

 不意に涼子が声を上げた。


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