スキャンダル
入学式から一週間が経っていた。
山あいに位置する松風館高校にも、ようやく遅い春が訪れようとしていた。林道の桜は開花が始まり、満開までもう少しといったところだ。咲き初めの花弁が、鈴を振るように淡く風に揺れ、目に楽しい。
桜のほかにも、菜の花やレンゲ、白く小さな花を無数に咲かせるユキヤナギも見られるようになり、森全体が華やかに色付いてきた。
風は徐々に暖かくなり、戸外にいる方が気持ち良いくらいである。しぜんと塔子らは、昼休憩の時間を、外で過ごすことが多くなっていた。
今日もよく晴れたので、噴水広場のパラソル付きベンチに陣取り、のんびりとランチを取っている。塔子の隣には紗也加が、テーブルを挟んで向かいには、クラスメイトの高木真帆と杉野涼子が座り、皆で談笑にふけっていた。
(気持ちいいなあ)
購買で買ったメロンパンをかじりながら、塔子は春の陽気に目を細めた。広場は塔子らと同じように、日の光を求めて来る生徒達で賑わっている。その足元の芝生には、点々とレンゲの花が咲き、風に揺れて愛らしい。
「で、本当のところはどうなの、塔子」
真帆の言葉に、塔子は現実に引き戻された。ここ一週間の間で、何度聞いたかしれない言葉だけに、どうしても不機嫌が顔に出てしまう。
「だから本当も何も、言った通りよ。付き合ってない。誓ってもいいわ」
げんなりしながら、塔子はすっかり口癖になった台詞を繰り返した。真帆は、マスカラを黒々と塗ったまつ毛を瞬かせる。
「あんなに仲が良いのに? 信じられないわよ」
そうよ、と隣の涼子も同調する。
「二人で親密な空気作っちゃって」
肩にかかる、緩く巻いた髪の房をくるくるともてあそびながら、涼子は口を尖らせた。
クラスの中でも真帆と涼子はお洒落な女子で、毎日髪をセットし、注意されない程度のメイクをばっちりと決め登校している。塔子には、とても出来ないと思える芸当だ。二人はそんな風に外見に気を遣う分だけ、恋愛ごとにも目がなかった。
隣にいる紗也加は、素知らぬ顔で、紙パックのフルーツオレを飲んでいる。噂が立ってからというもの、塔子のとばっちりで、紗也加も質問攻めに遭う被害者だった。こういう場は静観が一番と学習したらしく、無言を押し通している。
そもそもさあ、と真帆は言った。
「入学式のあと、手繋いで広場でいちゃいちゃしてたんでしょ? それは付き合ってるって言わないの?」
「それ、ものすごい誤解があるよ……」
あまりの脚色に、塔子は泣きたい気持ちで否定する。
入学式以降、塔子と良司は公認カップルとして騒がれ、同級生の噂の的になっていた。
入学式の部活勧誘での一件が、ことの発端だった。強引な勧誘に困っている塔子を良司が助けたところや、手を繋いで駆けていく姿、噴水広場で語らっている姿が、それぞれ複数の生徒に目撃されていたのだ。
たしかに傍から見れば、恋人同士のように見えた状況かもしれなかった。入学式の翌日、クラスの女子から付き合っているのかと聞かれ、塔子は心底仰天したものである。そのときは懸命に否定したのに、数日後には、一学年中に知れ渡る公認の仲になってしまっていたのだ。
なぜかといえば、当事者のはずの良司が噂を煽ったせいだった。
女子から二人の関係について問い詰められ、彼は軽いノリで答えたのだ。
「うーん。残念ながら、付き合ってないんだよね。でもこの際だから、期待に応えようか?」
ね、篠崎さん、と良司は塔子を振り返り、にっこりと笑ってのたまったのである。今までの火消しの苦労が水の泡となった瞬間だった。
唖然とする塔子をよそに、良司の言葉を公開告白と取ったクラス中が湧き、噂は爆発的に広まってしまった。その後沢山の尾ひれが付き、先ほどの真帆の話に至る。
「あのときは助けてもらっただけ。いちゃいちゃしてないし、ほんとに、そんな関係じゃないんだよ……」
(穴があったら入りたい……)
塔子は何度ついたか知れないため息を吐いた。
小学校からずっと、クラスのなかでも目立たず、大人しい存在なのが塔子だった。静かで平穏な生活に、十分満足して過ごしてきたのだ。それが、入学早々に浮名を流すはめになるとは、いったい誰が予想できただろう。
隣にいる紗也加をちらりと見やる。フルーツオレを飲みきったようで、いまは手持ち無沙汰に手遊びし、ベンチに背を預けている。仲の良い彼女でさえも、噂を聞いたときには“塔子って、意外とアグレッシブなのね”と評し、塔子は相当なショックを受けていた。
誤解が誤解を呼んで、いまや塔子の内実と全く反対の風評に、心身ともにぼろぼろな気分だ。
「告白もされたのに?」
「前にも言ったじゃない。だから、あれは冗談だから」
疑う真帆に、苦々しく返す。そこは確信を持って言えるところだった。塔子のめずらしく強気な態度に、真帆は不思議そうにまつ毛を瞬かせる。
「そうだとしても、何であんなに打ち解けてるの? 塔子って、ほかの男の子とは全然喋らないじゃない。だから親密そうに見えるのに」
今度は涼子が切り返した。歯に衣着せぬ物言いに、ぐっと詰まってしまう。
「ぜ、全然ってことはないよ……」
「それ、あたしも聞きたい」
紗也加が初めて口を挟んだ。丸い目で、塔子をのぞきこむように見つめてくる。
「ふしぎだったんだよね。塔子って大人しいし、異性の友人が多いタイプじゃないのに」
そうそう、と意を得たとばかりに涼子と真帆が頷く。塔子は困って眉根を下げた。
「それは、そうなんだけど……」
たしかに、紗也加の言葉は的を射ている。
じつは塔子は今まで、異性の友人がいたことはなかった。特に男子だからと、構えたつもりはない。けれど相手も話しかけてこず、自ら交友を広げるつもりも全くなかったので、関わるきっかけがなかったのである。
良司の場合は、その機会が向こうから転がり込んできたようなものだった。
塔子は出会いを思い出しながら答えた。
「……なりゆき、かな。それと、坂本くんが優しいんだよ」
「なにそれ」
涼子と真帆は腑に落ちない顔をしたが、紗也加は大きく頷く。
「そっか。そうだね、わかる気がする」
「どういうこと?」
「坂本くんが、誰とでも仲良くなれる人ってことだよ。特別なことじゃないの。わかるでしょ?」
塔子は淡々と答えた。
ひとえに良司が積極的であったから、友人となれた。それだけのことだと思う。そして、良司のその積極性は、クラスメイトなら誰しもよく分かっているはずだった。
彼は様々な人に気軽に声をかけるので、入学して一週間で、クラスの中心的存在になっていたのだ。
「えー、つまんない」
「つまらなくていいから」
涼子の不平に、塔子は頭の痛い思いで返す。しかしやっと誤解が解けて、嬉しくもあった。ほっとして、飲みかけのジュースに手を伸ばす。
「じゃあ、あたしにも希望あるかな、坂本くん」
真帆は急にいきいきと身を乗り出した。今度は紗也加がため息をつく。もっとオリジナルな答えはないのか、と言いたくなるほど、誤解が解けたあとの女子の反応は、涼子と真帆の二種類のパターンに分かれていた。
「ライバル多いのね、彼って」
うんざりとした様子の紗也加に、塔子は首を傾げる。
「紗也加も、カッコ良いって言っていたじゃない」
「噂を煽る愉快犯は好きじゃないわ」
そう言って、ばっさりと切り捨てる。紗也加はミーハーだが、理想は高いようだった。
「あ、柊一様だ!」
不意に涼子が声を上げた。




