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獅子の系譜【旧版】  作者: 谷下 希
第2章 獅子の娘
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氷の王子

「え、どこどこ?」

「あっちよ、噴水のところ。左側。……こっちに向かってきてる」


 紗也加と真帆が腰を浮かして、涼子の指の先を探す。特に紗也加は妙に目が輝いていて、先ほどのテンションの低さが嘘のようだ。


「あ、いたいた!」

「いつ見ても麗しいわ……すてき」

「目の保養ね」

 かしましく騒ぐ三人のなかで、塔子は完全に取り残され、ぽかんとした。

「……しゅういち様?」

「一組の鷹宮(たかみや)くんのことよ。知ってるでしょ? ほら、もう近くに来る」


 焦れったそうに涼子が呟く。視線を追って顔を上げれば、たしかにこちらへ歩いて来る、一人の男子生徒が目に入った。

 姿勢が良く、足も長い。やけに端正な身のこなしで、育ちの良さがにじみ出ている。しかしそれでいてなぜか、ピリピリと張りつめた気配を湛えている青年だった。

 春の日差しの下、寛ぎ騒ぐ生徒たちのなかで、彼ひとりだけ、熱も音もない場所にいるかのようだ。


(あれが、鷹宮くんか……)


 塔子はじっと凝視して思う。

 じつを言えば、塔子が柊一をまともに見たのは、このときが初めてだった。学年中の女子が騒いでいることは知っていたが、自分のことで精一杯で、まったく余裕がなかったのである。

 柊一が間近まで迫ってくる。伏し目がちな切れ長の目元と、高い鼻梁が涼しげだ。その下の固く結ばれた薄い唇には、少し冷たい印象を受ける。しかしそれでも、きわめて繊細な造りの、美しい青年といえた。


 塔子ら四人は息をつめて、脇を通り過ぎる柊一を見つめてしまっていた。そのほかの女子も、彼に熱い視線を送っていることに、塔子は気づく。彼の通る場所だけ、あたりが静かになるのだ。


「……彼と同じ学年なんて、本当に奇跡よね。神様に感謝しなきゃ」

 後ろ姿を見送りながら、ほう、と息をついて涼子は呟いた。うっとりとした顔で真帆が大きく頷く。

「綺麗で頭も良くて、家柄も良いなんて。王子様って本当にいるのね」

「家柄の話は初めて聞くわ」

 紗也加が好奇心旺盛に食いついた。真帆が鷹揚に請けあう。


「このあたりの旧家の家柄らしいわ。松高の設立にも関わった、地元の名士らしいの。だから、それ以来、鷹宮家の人間は代々ここに入学しているって」

「よく知ってるわね」 

「先輩から聞いたの。ここでは有名な話みたいよ。昔から鷹宮家は優秀な一族でもあって、卒業後も、それぞれ多分野でめざましい活躍をしているって……。なかでも、柊一様は本家の直系らしいから、正真正銘のサラブレッドよね」


(……全てに恵まれる人って、ほんとにいるのね)


 真帆と紗也加の話を聴きながら、塔子は感嘆して思った。遠い世界の住人が、ここにもいたようだ。

 涼子が夢見る目つきで頬杖をつく。

「ああ、お近づきになれたらなぁ……」

「だめだめ、相手にされないって。なにせ“氷の王子”だもの」

 遠くから観賞するのが一番、と紗也加が淡々と返す。だよねえ、と涼子と真帆は納得したように頷いた。

 

 またも塔子だけ取り残され、首を傾げる。雰囲気を察して、紗也加が説明した。

「彼、ものすごーく冷たいことでも有名なのよ。話しかける女子はことごとく無視だし、よこしても、吹雪みたいな視線だけ。友達もつくらないし、そもそも、基本的に人と関わらない。だから、陰で“氷の王子”って呼ばれてるの」

「孤高よね」

「クールだわ」

 涼子と真帆が合いの手を打った。塔子は微妙な気持ちで頷く。


(それって、たんに性格が悪い人なんじゃないの……?)


 思うが、ファンの三人を前に、口に出来ないものがあった。紗也加も、見ているぶんにはいいと割り切っているらしく、素直にはしゃいでいる。顔が良いというのは、得なことだと思う瞬間だった。



「あ、でも柊一様、緑風会に入ったみたいよ」

「え、うそ。緑風会って指名制じゃないの」

 情報通の真帆がまたしても、新たな情報を三人の前に披瀝した。例に漏れず、涼子と紗也加が飛びつく。

 真帆は自慢げにつんと鼻を上げて言った。


「指名制だからよ。優秀な人材は早く捕まえておかないと。彼、間違いなく幹部候補生だもの」

「それにしてもよく氷の王子が入ったわね。あの人はもっと、一匹狼みたいな人かと思ってた」

「入るのが当然だったんじゃない? 鷹宮一族って、ほとんど緑風会役員だったらしいから」

 意外そうに声を上げた紗也加に、真帆が返した。涼子が目を輝かせる。


「榊葉(さかきば)会長もハンサムだし、荒巻(あらまき)副会長もきれいだし。柊一様まで入ると、緑風会って美男美女のあつまりになるわね……。私も入りたい」

「それなら、優秀だってことを示して、指名されないとね」

 紗也加がからかうように言った。涼子は、うう、と唸って口を尖らせる。


 塔子も、緑風会の指名制については聞き知っていた。

 ここでは、生徒会長は選挙によって選出されるが、それ以外の役員は、会長からの指名によって選ばれるのだった。基本的に、自主参加は不可とされている。

 会長職に関しても、選ばれた役員のなかから、さらに選出するのがならいなので、選挙は実際には信任投票といえた。つまり緑風会に入りたい者はすべからく、優秀さなどで、生徒達のなかでも頭角をあらわす必要があった。大きな自治権をあずかる緑風会だからこそ、仕事のできる、精鋭の人材を求め指名するからだ。


 追い打ちをかけるように、真帆が続けた。

「それに、会長と副会長は恋人同士らしいわよ。残念ながら、入る隙はないわね」

「そんなあ」

「公然の事実よ。一年の終わり頃からの、古い仲みたい」

 撃沈した涼子をあやすように、真帆がくしゃくしゃと頭を撫でる。

 塔子はと言えば、会長と副会長の顔をよく覚えていなかったので、特に感想を持つ事実ではなかった。ふうん、と適当に相槌を打っていると、紗也加がため息をつくように呟く。


「……だけど、誰も文句が言えないくらい、あの二人はお似合いよね。ほんとに目の保養なカップルだわ」

「見蕩れる二人よね」

 と、真帆。

「ああ、あたしもすてきな彼氏が欲しーい!」

 涼子が叫び、広場に悲痛な声が響く。つまりは、それに尽きるのだった。真帆と紗也加が、悔しげに小さく頷く。

 彼女らの思いとは裏腹に、春の日差しは穏やかだ。春風は柔らかく四人を撫でている。

 塔子はそのなかで、ひとり全く違うことを考えていた。


(みんな本当に、事情通なのね……)


 つくづく感嘆して思う。 

 塔子がひとり右往左往していた一週間のうちに、ほかにも様々な情報が裏で飛び交い、把握されていた。いかに人数の少ない学校とはいえ、情報の速さには舌を巻くものがある。


(これも、緑の学園の功罪ってものかしら)


 緑に囲まれ、娯楽も少ない全寮制高校なのだ。仕方がないのかもしれないと、塔子は穿った見方をして思う。

 しかし逆に言えば、噂が移り変わるのも早いということだった。この情報の速さであれば、塔子たちの噂はそろそろ鎮まる頃合かもしれない。地道な努力によって、誤解であることも周囲に知れてきている。


(やっと、静かな生活に戻れるのかも)


 あたたかな風がまた吹き、塔子のセーラーカラーと、肩にかかる黒髪を煽る。

 ようやく見えてきた明るい予感に、塔子はそっと息をついた。



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