氷の王子
「え、どこどこ?」
「あっちよ、噴水のところ。左側。……こっちに向かってきてる」
紗也加と真帆が腰を浮かして、涼子の指の先を探す。特に紗也加は妙に目が輝いていて、先ほどのテンションの低さが嘘のようだ。
「あ、いたいた!」
「いつ見ても麗しいわ……すてき」
「目の保養ね」
かしましく騒ぐ三人のなかで、塔子は完全に取り残され、ぽかんとした。
「……しゅういち様?」
「一組の鷹宮くんのことよ。知ってるでしょ? ほら、もう近くに来る」
焦れったそうに涼子が呟く。視線を追って顔を上げれば、たしかにこちらへ歩いて来る、一人の男子生徒が目に入った。
姿勢が良く、足も長い。やけに端正な身のこなしで、育ちの良さがにじみ出ている。しかしそれでいてなぜか、ピリピリと張りつめた気配を湛えている青年だった。
春の日差しの下、寛ぎ騒ぐ生徒たちのなかで、彼ひとりだけ、熱も音もない場所にいるかのようだ。
(あれが、鷹宮くんか……)
塔子はじっと凝視して思う。
じつを言えば、塔子が柊一をまともに見たのは、このときが初めてだった。学年中の女子が騒いでいることは知っていたが、自分のことで精一杯で、まったく余裕がなかったのである。
柊一が間近まで迫ってくる。伏し目がちな切れ長の目元と、高い鼻梁が涼しげだ。その下の固く結ばれた薄い唇には、少し冷たい印象を受ける。しかしそれでも、きわめて繊細な造りの、美しい青年といえた。
塔子ら四人は息をつめて、脇を通り過ぎる柊一を見つめてしまっていた。そのほかの女子も、彼に熱い視線を送っていることに、塔子は気づく。彼の通る場所だけ、あたりが静かになるのだ。
「……彼と同じ学年なんて、本当に奇跡よね。神様に感謝しなきゃ」
後ろ姿を見送りながら、ほう、と息をついて涼子は呟いた。うっとりとした顔で真帆が大きく頷く。
「綺麗で頭も良くて、家柄も良いなんて。王子様って本当にいるのね」
「家柄の話は初めて聞くわ」
紗也加が好奇心旺盛に食いついた。真帆が鷹揚に請けあう。
「このあたりの旧家の家柄らしいわ。松高の設立にも関わった、地元の名士らしいの。だから、それ以来、鷹宮家の人間は代々ここに入学しているって」
「よく知ってるわね」
「先輩から聞いたの。ここでは有名な話みたいよ。昔から鷹宮家は優秀な一族でもあって、卒業後も、それぞれ多分野でめざましい活躍をしているって……。なかでも、柊一様は本家の直系らしいから、正真正銘のサラブレッドよね」
(……全てに恵まれる人って、ほんとにいるのね)
真帆と紗也加の話を聴きながら、塔子は感嘆して思った。遠い世界の住人が、ここにもいたようだ。
涼子が夢見る目つきで頬杖をつく。
「ああ、お近づきになれたらなぁ……」
「だめだめ、相手にされないって。なにせ“氷の王子”だもの」
遠くから観賞するのが一番、と紗也加が淡々と返す。だよねえ、と涼子と真帆は納得したように頷いた。
またも塔子だけ取り残され、首を傾げる。雰囲気を察して、紗也加が説明した。
「彼、ものすごーく冷たいことでも有名なのよ。話しかける女子はことごとく無視だし、よこしても、吹雪みたいな視線だけ。友達もつくらないし、そもそも、基本的に人と関わらない。だから、陰で“氷の王子”って呼ばれてるの」
「孤高よね」
「クールだわ」
涼子と真帆が合いの手を打った。塔子は微妙な気持ちで頷く。
(それって、たんに性格が悪い人なんじゃないの……?)
思うが、ファンの三人を前に、口に出来ないものがあった。紗也加も、見ているぶんにはいいと割り切っているらしく、素直にはしゃいでいる。顔が良いというのは、得なことだと思う瞬間だった。
「あ、でも柊一様、緑風会に入ったみたいよ」
「え、うそ。緑風会って指名制じゃないの」
情報通の真帆がまたしても、新たな情報を三人の前に披瀝した。例に漏れず、涼子と紗也加が飛びつく。
真帆は自慢げにつんと鼻を上げて言った。
「指名制だからよ。優秀な人材は早く捕まえておかないと。彼、間違いなく幹部候補生だもの」
「それにしてもよく氷の王子が入ったわね。あの人はもっと、一匹狼みたいな人かと思ってた」
「入るのが当然だったんじゃない? 鷹宮一族って、ほとんど緑風会役員だったらしいから」
意外そうに声を上げた紗也加に、真帆が返した。涼子が目を輝かせる。
「榊葉会長もハンサムだし、荒巻副会長もきれいだし。柊一様まで入ると、緑風会って美男美女のあつまりになるわね……。私も入りたい」
「それなら、優秀だってことを示して、指名されないとね」
紗也加がからかうように言った。涼子は、うう、と唸って口を尖らせる。
塔子も、緑風会の指名制については聞き知っていた。
ここでは、生徒会長は選挙によって選出されるが、それ以外の役員は、会長からの指名によって選ばれるのだった。基本的に、自主参加は不可とされている。
会長職に関しても、選ばれた役員のなかから、さらに選出するのがならいなので、選挙は実際には信任投票といえた。つまり緑風会に入りたい者はすべからく、優秀さなどで、生徒達のなかでも頭角をあらわす必要があった。大きな自治権をあずかる緑風会だからこそ、仕事のできる、精鋭の人材を求め指名するからだ。
追い打ちをかけるように、真帆が続けた。
「それに、会長と副会長は恋人同士らしいわよ。残念ながら、入る隙はないわね」
「そんなあ」
「公然の事実よ。一年の終わり頃からの、古い仲みたい」
撃沈した涼子をあやすように、真帆がくしゃくしゃと頭を撫でる。
塔子はと言えば、会長と副会長の顔をよく覚えていなかったので、特に感想を持つ事実ではなかった。ふうん、と適当に相槌を打っていると、紗也加がため息をつくように呟く。
「……だけど、誰も文句が言えないくらい、あの二人はお似合いよね。ほんとに目の保養なカップルだわ」
「見蕩れる二人よね」
と、真帆。
「ああ、あたしもすてきな彼氏が欲しーい!」
涼子が叫び、広場に悲痛な声が響く。つまりは、それに尽きるのだった。真帆と紗也加が、悔しげに小さく頷く。
彼女らの思いとは裏腹に、春の日差しは穏やかだ。春風は柔らかく四人を撫でている。
塔子はそのなかで、ひとり全く違うことを考えていた。
(みんな本当に、事情通なのね……)
つくづく感嘆して思う。
塔子がひとり右往左往していた一週間のうちに、ほかにも様々な情報が裏で飛び交い、把握されていた。いかに人数の少ない学校とはいえ、情報の速さには舌を巻くものがある。
(これも、緑の学園の功罪ってものかしら)
緑に囲まれ、娯楽も少ない全寮制高校なのだ。仕方がないのかもしれないと、塔子は穿った見方をして思う。
しかし逆に言えば、噂が移り変わるのも早いということだった。この情報の速さであれば、塔子たちの噂はそろそろ鎮まる頃合かもしれない。地道な努力によって、誤解であることも周囲に知れてきている。
(やっと、静かな生活に戻れるのかも)
あたたかな風がまた吹き、塔子のセーラーカラーと、肩にかかる黒髪を煽る。
ようやく見えてきた明るい予感に、塔子はそっと息をついた。




