良司
「坂本くん……」
「おい、誰だお前」
「俺達が勧誘しているんだ。一年は後にしろ」
顔を上げた上級生は、相手が男と見るや先ほどの慇懃さをかなぐり捨てて、良司を睨んだ。声も低く唸るようで、聞いている塔子がひるんでしまう。
良司は何も言わず、すっと塔子の隣に立った。ひょろりと背が高く、上級生と並び立っても全く遜色ないことに、塔子は気付く。ただ、相手の筋骨隆々とした体つきと比べて、良司は細く胸板も薄い。力の差はありそうだった。
危険な空気に塔子はおののいたが、良司の表情は取りすましたままで、上級生の睨みも全く効いている様子はない。驚いて見上げていると、良司はこちらを向き、安心させるように小さく笑ってみせた。人を食ったような笑みに、塔子はびっくりする。
良司は何も言わず、そのまま上級生にぺこりと頭を下げた。
「すいません。彼女、困っていますし、このへんにしといてやってくれませんか」
綺麗なお辞儀だった。
塔子はぽかんと口を開ける。上級生は、一触即発の雰囲気に水を差されて、動揺した様子をみせた。
「お前……何考えてんだ」
高塚がぽつりと呟く。
「ヒーロー気取りかよ。調子に乗ってんじゃねえぞ。ようやく折れそうなところだったのに」
吉田はにわかに激昂し、良司に顔を寄せて対面で凄んだ。しかし良司は平然とした顔を崩さない。そのまま、良司は吉田の鼻先で静かに告げた。
「緑風会の巡回が、もうすぐ来ますよ」
「!」
塔子にはどういう意味かわからなかったが、吉田は立ちどころに良司から離れた。三人は素早く目線を周囲に走らせる。良司の一言は、三人に想像以上の大きな効果をもたらしていた。
周りは騒ぎを聞きつけて、残っていた新入生や在校生が、少しずつ集まりだしていた。良司は襟を正しながら、こともなげに言う。
「まだ見えるところには来ていませんよ。おれは先触れするために来たんです。先輩たち、目立ちすぎですよ。強引な勧誘だと見ていてわかります。イエローカードを取られたくなければ、早く散った方がいいですよ」
「お前……」
「ああ、おれが呼んだんじゃないですよ。呼ばなくても、あの様子じゃ時間の問題でしたし」
にやっと笑う良司に、吉田は舌打ちで返した。
三人は良司を睨み据えて、そして塔子をちらと見やる。無言の視線に、塔子はびくりと肩を揺らした。無意識に良司の背後へずるずると移動してしまう。
吉田はさらにもう一度舌打ちをして目をそらし、そのまま何も言わず引き返していった。林と高塚も気まりが悪そうに、吉田の後を追い去っていく。
呆気ないほどの幕切れに、塔子は呆然とした。
「あんまり悪く思わないでくれよ、先輩達のこと」
引き返していく上級生三人を静かに見送りながら、良司がぽつりと呟いた。
「え?」
「全寮制だし、出会いも限られているだろ。学年によって校舎も別々だから、他学年の子との繋がりといったら部活くらいだ。気になる女の子は何としてでも部に引き入れて、お近づきになりたいんだよ」
「気になるって……」
塔子はうろたえて口ごもる。良司はそんな塔子の様子を、不思議そうに眺めた。
「篠崎さんってさあ……」
「坂本っ!」
不意に後ろから野太い声が聞こえた。
塔子が振り返ると、見知らぬ上級生が数名、こちらに向かって駆けてくる。よく見ると全員様々なユニホームを着ており、一つの部だけではなさそうである。
「あ、やべ」
怪訝な顔で眺める塔子の頭上で、ふと呟きが漏れた。
ぽかんとしている間に、右手を良司に取られる。暖かな体温にぎょっとしていると、そのまま一目散に、塔子を引いて走り出した。
「ちょっと、坂本くん!」
手を握られたままの塔子は、引きずられて危うく転びそうになる。
良司のコンパスは長く、景色がぶれる速さだった。息をつかせぬ勢いで、そのまま噴水広場まで駆けるつもりらしい。
乱れた息で塔子が叫ぶ。
「なんで、走るのっ」
「ごめん、面倒なことになるから!」
頭上で楽しそうに良司は言った。後ろから追いかけるように、上級生の声が響く。
「おい、待て。坂本! 話くらい聞けー!」