大人の話
「仮予算案の続きを。二十二ページを見てください」
「おれたちはどうすれば」
「とりあえず見ていればいいから。どんなことをしているかだけ、今日は分かればいいよ。まあ楽にして」
良司の言葉に、直哉はにこやかに返す。ソファに深く座り、そのままページを繰り始める。塔子と良司は二人で顔を見合わせ、それにならった。
「テニス部ですが、昨年の実績を鑑みて、申請額を通そうかと」
「雑費がやけに多いわね」
ペンを顎に当て、志津香が静かに指摘する。冷静に史信が応じた。
「部室の必要備品を含めるとその額になるそうです。しかし全体としてみれば、昨年度とそんなに変わらない、微々たるものかと」
「そうは言っても、同好会の活動費が賄えるくらいの額よ。根拠は必要だわ。今までの支給額では足りないのはなぜ?」
「必要物品リストを作らせましょう。後でこちらで確認するということで」
志津香の言葉に、柊一が口を挟んだ。史信もしばし考え頷く。お互いに納得しあうと、三人で直哉に顔を向ける。
「じゃあ、そういうことで」
のんびりと直哉がそれだけ言う。話はこれで決まるようだった。
「次、バスケ部」
史信が淡々と続ける。
「交際費って何」
「違反も十五点あります」
「昨年度よりも大幅ダウンがのぞましいですね。この予算では甘すぎます」
塔子はただただ目を丸くしているしかなかった。仮予算案を叩き台として、更に細かな額の修正を、彼らは次々とおこなっていく。
そのひとつひとつは微々たる数字だが、全予算額を見るとあまりに膨大で、塔子は気が遠くなりそうだった。膨大な金の流れが、こんな茶話会で淡々と決められていたこともショックである。
「おれ、頭痛くなりそう」
いろんな意味で、と良司が囁く。予算案をぴらぴらとつまんでいるところを見ると、数字の羅列にも辟易しているらしい。塔子は同志を見つけて微笑んだ。まったく、頭の痛くなるような話である。
「おーい。総長連れてきたぞー」
ふいに玄関の方から野太い声が聞こえた。塔子が顔をドアに向けると、大柄で体格の良い男子生徒が勢い良く入ってくる。
「仁科先輩! 連れてくるならはじめに言って下さい!」
「だから今言っただろう」
史信が叫ぶが、仁科と呼ばれた男はひょうひょうとしている。しかし彼以外の面々は、仁科の第一声を聴くなり、なぜか殺気立っていた。それぞれ立ち上がり、持っていた予算案を手近なところへ速やかに仕舞う。
「おい、早く資料隠せ」
柊一が塔子と良司に鋭く声をかけた。固まっている二人の手から、素早く冊子をぶんどり、背後にある本棚に突っ込む。千歳は小柄な体で、ローテーブルにある資料を必死にかき集め、自分のカバンに押し込んだ。塔子と良司は唖然として見ているしかない。
実に鮮やかな手際だった。
「やあ、皆さんお揃いで!」
全て片の付いた素晴らしいタイミングで、「総長」と言われた男子生徒が入ってきた。仁科と並ぶように立ったその生徒は、短く刈った髪に日に焼けた肌をしている。学ランの第二ボタンまで外しており、鮮やかなブルーのTシャツがのぞいていた。
チャラい、とはこういう人をいうのか、と塔子はひそかに思った。右目の下にある小さな泣き黒子さえ、その雰囲気を引き立たせている。まじまじと見ていると、ふいに目が合った。
「お、見ない顔だな。ニューフェイスじゃん。一年だよね? 名前なんていうの? 彼氏いる?」
「いきなりナンパしないでもらいたいね。うちの可愛い新人に」
直哉が男子生徒の前に立ちはばかる。背は断然直哉の方が高いので、彼を見下す姿勢になる。
「身長差で威嚇すんのほんとやめろよな」
「うるさいチビ」
「あのー」
威嚇しあう直哉と「総長」に、良司が呑気な声をかけた。放っておくと話が長くなると学習したらしい。直哉らが声を出す前に、ふと仁科と呼ばれた生徒がぬっと丸刈りの頭を良司に突きだした。
「お前が坂本良司か。総司先輩によく似てる」
近づいた巨体は筋骨隆々として、明らかに体育会系の猛者だ。制服の上からでもその厚い胸板がわかる。いやあ、懐かしいなあ! と彼は良司の頭を思いきりぐりぐりと撫でた。良司は本気でびっくりしていたが、傍から見ると完全に親子の図だった。
「ちょうどよかった。こちらが、役員三年の仁科壮平。柔道部主将でもあるから、準役員扱いだけどな。強いぞー」
「よろしくな」
直哉が朗らかに紹介し、壮平が分厚い手で良司と塔子に握手を求めてくる。塔子のことも彼はやはり承知しているようで、にこやかに手を差し出す。握手すると大きな手にすっぽりと包まれてしまい、おっかなびっくりで彼を見上げた。直哉とまったく同年に見えない貫禄の持ち主である。
驚いている塔子の前にずずいと「総長」が乗り出した。
「おれはクラブ連合会、略して“ク連”総長の高橋一樹です! 三年です! 彼女募集中です!」
「お前は紹介してない」
直哉がまた一樹を引きはがす。
押しの強さに動揺しつつも、なるほど、と塔子は思った。クラブ連合会総長なら、たしかに予算案の資料を見られてはまずいだろう、と思う。予算をもぎ取ろうとするクラブ連合と、切り詰める側の緑風会本部とでは、本来敵対関係にあるはずだからだ。
端の方で史信が大きなため息をつく。時間の大幅なロスを気にしているのだろう。しかし会議を続けるわけにはいかず、目に見えてイライラしている。
「で、今日は何しに来たんですか」
史信の苛立ちをくみ取ったのか、柊一がずばりと「総長」一樹に問いただす。
「何しにって酷いねえ、王子。会長様にちょっと野暮用でね」
一樹が首をすくめてみせた。
「また“大人”の話ですか」
「いやらしい」
呆れたように柊一が言い、それに合わせて千歳が口を出す。キッと小動物が威嚇するように睨まれて、一樹はさらに情けない声をだした。
「そんなこと言わないでよ、うさぎちゃん」
「やめてくださいそのあだ名!」
まあまあ、と直哉が苦笑してとりなした。一樹の肩に手をかける。
「そういうことみたいだから、おれたち上でこもりまぁす。三十分で終わるから、進めておいてくれる?」
「わかりました」
待ってましたとばかりに史信が請け合った。志津香もにっこりと笑って頷く。大人の話、という言葉に塔子も良司もよくわからず頭に疑問符を浮かべるしかない。
「それから、篠崎さん」
ふいに名を呼ばれて塔子はきょとんとした。目が合うと、直哉が柔らかく微笑む。
「仁科も来てくれたから、ちょうど良いし、役員の最後のひとりも紹介したいんだ。探しに行ってくれないかな?」
え、と塔子が漏らすと、直哉はさらに続けた。
「大丈夫。すぐわかるよ。三年校舎裏にある、池にいるから。でかいカメラ持ってる奴」
「おれ行きましょうか」
良司がすっと立って申し出た。直哉が首を振ってとどめる。
「こういうときは、野郎が迎えに来るより、可愛い女の子の方がうれしいだろう?」
にこにこと言われ、良司は怪訝な顔をしつつ腰を下ろす。どう、篠崎さん、と直哉に聞かれれば、塔子に異を唱える理由はなかった。
「わかりました」
「ありがとう、助かるよ。あいつの名前は、今井彼方っていうから。覚えておいて」
「おれあいつ苦手」
一樹が直哉の言葉に渋い顔をした。お前の印象はいいから、とずるずると直哉は彼を引っ張り出ていく。出る際にも、よろしく頼むよ、と入念に塔子に声をかけ立ち去った。
塔子は良司と目と目を見かわし、首を傾げる。二人が去ったことを確認し、てきぱきと資料を出してくる本部の面々を横目に、塔子は立ち上がった。




